農耕型企業風土
第283回 日本的風土――水に流す
前号に引き続き、日本的風土についてふれます。
外国人には不可解な言葉があります。「水に流す」の言葉です。
2013年頃、日本人の精神性の項で本件を取り上げたことがありますが、日本人と水との歴史的関わりで、深く考えている人の本に出合ったので再度書きます。
その方は、樋口清之氏という登呂遺跡の発掘をはじめ考古学的遺跡発掘の権威者です。
水に流すとは、読んで字の如くこれまであったことをあっさり忘れ去ること、良くも悪しくも、済んでしまったことは仕方がないとの発想です。この日本人の行動様式は穏やかで優しい人間関係を維持するための知恵とされてきました。
諦めや順応さの性格醸成
「過去に拘らず、論(あげつらわず)わず、責めず、忘れ、受容し、許す、これが日本人の行動様式」だと、樋口氏は言っています。諦めやすく順応な日本人の一般的性格に通じると考えます。
人間の性格には、環境が与える影響が大です。我々は、河川の氾濫、火山活動など、自然災害が頻繁に起きる国に育ちました。万一、不幸にも氾濫や災害に遭遇しても、早く立ち直る、身代わりの速さが「水に流す」性格を育んだのではないかとも言われています。
日本の川は、地形的なものから流れが速い河が多い。水の量も多い。もともと川は巨大なゴミ捨て場でしたが、流れが速いことは、水に流して川の清らかさを保つ利点があります。
また、日本列島は季節による寒暖の差が激しく、地域によっても気候が大きく異なります。この自然環境によって、日本人の順応性の良さと諦めの良さが形つくられたかもしれません。
対立を好まない関係性
また、人間関係の上で対立を好まない日本人は、良く「す(済)みません」という。
この表現は普通、自分の過失を詫びる言葉ですが、これは水に流す行動が表れた一つの言葉で、「住む」と「済む」と「澄む」ことは同義でした。このことについて民俗学者の荒木博之氏は次のような内容を述べています。
川が澄んでいない、汚くなった状態の時です。これが、「澄まない」、「済んでいない」となるとのことです。これは、自分は流れに逆らいませんという、人間関係を滑らかにするための呪文のようなものであり、水に流す行動が表れた一つの言葉で、流れに従順ではかった自分が悪かったという表現ではないでしょうか。「私も今までのことは水に流しますから、あなたもどうぞ水に流してください。そして、新しい澄んだ気持ちになりましょう。」と。以上が荒木氏の主旨です。
思うに、交通事故などで発する「すみません」の言葉は、ある意味でこれを内包している言葉で、早く「水にながしたい」ことを言いたいのではないでしょうか。ビジネス活動の中で、この言葉を聞くたびに、私は荒木氏の主張を思い起こします。
第282回 集団の内側と外側の峻別
今回は、ビジネスと少し距離のある日本的風土を取り上げます。
「誠に申し訳ない」発言
最近よく耳にする政治家や官僚などがある嫌疑をかけられた時の答弁が、明らかに嘘とわかることが多くあります。そのような時の彼らの謝罪発言の中には、「世間に対して誠に申し訳ない」と決まった言葉が出てきます。セクハラに対して、その根拠は別としても自らは無罪と主張していながら、政治や世間を騒がせたことについては謝罪して辞任するという、このパターンです。
論理的に思考をする人には、これは不可解です。「何故、それなら辞任するの?」、「誰に対して責任を取って辞任するの?」と不可解に映ります。
彼らの発言の裏側にあるこの発想の根底にある世間は、実は社会ではありません。
ここに言う世間は、社会ではなく、自分が関わっている限られた人間関係のつながり集団だと解釈すると、先の答弁も実に分かり易い。
自分とのつながり
「俺は違う」と言う人もいますが、日本人には、「世間」の目を気にしながら生きている人が多いと思います。世間から後ろ指を指されないように、常に自分の言動に配慮しているのではないでしょうか。
ここでいう世間とは何か。この定義は先ほど述べた通り、一般的には、個人と個人を結ぶつながりだと解釈してはどうでしょう。
このつながりが個人個人を強固な絆で結びつけているのが、良い意味でも悪い意味でも、日本の社会に根づいている現実です。大学の同窓会、何々高校出身OB会、会社関係の年賀状など、形は変わってもつながっています。非常に大事なつながり、現実です。
内側と外の世界
個人個人のつながりを得た関係上、ある意味その代償として、世間には厳しい掟があります。
結婚式や葬儀での序列、何かを互助する際の金額の多寡など、我々が日常体験していることも、ある種の掟です。
しかも面白いことに、内部で掟を守ることと同時に、内部での競争は出来るだけ排除されることです。その世間に属していない人々に対して、排他的、差別的になりやすくなるのも事実です。
昔、出雲の田舎で部落の決め事のために行われていた定例の部落会は、内と外を峻別して内を守る掟のようなものがあったと記憶しています。
西欧の考え方との違い
前段で、日本でいう世間は社会を意味しないと言いましたが、西欧では社会と言う時に個人が前提となり、その個人は何人にも譲れない尊厳を持って、その個人の集団で社会をつくっていると解釈します。
西欧とひとくくりにするのは若干問題ですが、特に、キリスト教文明下では、絶対的な神に対しての個人と社会という関係が築かれており、ここにいう世間が登場しません。従って、個人の意思に基づいてその社会の在り方も変容してくることになります。
ところが日本では、世間は個人の意思によってつくられると言うよりは、世間がほぼ所与と見做されることが多いのです。
私自身、「独立自尊」を標榜して生活しているつもりでも、世間を意識しながら生活しているのが偽らざる気持ちです。私の中では、世間と社会を意識する精神性が両立しているのではないかと推量していますが、知らず知らずのうちに出雲の自宅の部落会の行事が頭をもたげ、世間から排除されないように日常の言動に気を付ける習慣が身にまとわりついているのではないかと思うほどです。
「農耕型企業風土づくり」の経営
私が日本での経営には「農耕型企業風土づくりの経営」が適していると主張しているのも、このような背景があります。
日本人の性格に影響を与えた最大の要素は、稲作農耕を基盤としてきて生活してきたことです。稲作には水が不可欠で、川上の村と川下の村の水争いがよく起きました。これを避けるため、普段から村同志が共同体を形成して部落会で話し合い助け合っていく方法がとられました。内側を結束させ強めることで自分が属している共同体を維持しようとする思想が根底にあるのです。
水で結ばれ、土地で結ばれた村落共同体では何事も全員の賛成の上でことが行われ、村のリーダーの一番の仕事は意見の違いから起こるいざこざや反対者を「丸く収め」、世間に迷惑を及ぼさないことだったのです。
このような風土を背景とする限り、日本では周囲と折り合いを上手くマネジメントして、競争社会という世間で生きるほうが成功しやすいのではないでしょうか。
第280回 マインドの問題
ビジネスマンの世界で「結果を重視せよ!」という指示が飛ぶのをよく見ます。しかし、経営上それが本当に得かを考えてみた上のことでしょうか?
確かに「結果は行動で決まる」という経営の考え方もあります。これを強調するあまり、特定の人物の行動パターンを見習えといったやり方を押し付けるなど、極端な経営者も稀にいます。
マインドセットが行動に影響する
しかし、それでは上手くいかないケースを沢山の経営者が体験してきています。何故でしょうか?
結果には行動でなく、社員のマインドセットが大きく影響することが原因です。
私もこのことを、経営上体験してきました。
疲弊しきった社員の心に結果のみ押し付けても上手くいかない。むしろ、行動に反映できない心の部分に何か問題が潜んでいる、このことを経営側が分かって社員に手を差し伸べる手段を講ずるほうが行動に影響を及ぼし、経営上はるかに良い結果につながることを、学びました。
社員のマインドを変えない限り、事象が一瞬良くなったとしても、マインドが定まっていないので行動パターンは一般的には長続きしない。カンフル的措置で一瞬経営回復したように見えても、中期的には成長軌道に乗らない会社を多く見るのはこれが一因です。
戦略の妥当性などを除けば、経営が上手くいかないのは大半社員のマインドが原因です。マインドの持ち方が正常にセットされていない社員で構成されているからです。その背景にはいろいろな事情や壁があります。
職場の人間関係などの壁もこの一例です。行動の変化を双方に指導しても効果がでない。良くなったようにカモフラージュして双方一時避難する。双方のマインドの部分に原因があるので、行動より更に深いところで人間関係がギクシャクしているので、解決しません。
双方の一方的な思いの部分を変えてもらわない限り、カモフラージュが剥がれ心理的対立が残ったままになり、組織の効果的運営に支障をきたすことになります。
マインドセット—心の持ちよう
ここにマインドセットとは、心の持ちようです。「志」、「信条」、物事をどう観るかの「捉え方」、「視点」ということ、人や周囲との関りでの人間関係、直面する課題、環境、チャンス、責任などをどう捉えるかの心の姿勢です。
従って、本来は個人の問題です。
ところが、集団で仕事をする、集団で何かを追求する場合、個々人のマインドが上手くセットされていないと集団がまず機能しない。同じ目標に向かって一致団結してその目標を達成しようとするマインドが少ないと、たとえ優秀な社員を揃えても、組織としてのエネルギーが高揚されません。
入り口の重要性
ビジネスマンのマインドを形成するためには、ビジネスマンとしての入り口が大切です。
入社時の研修は、たとえ上手くなくてもとにかく自社で対応する。自社の社員の中で鏡と見做す人が運営すべきことを、私が主張するのは、入り口のところで良いマインドをセットさせるためです。
ビジネスの世界で一番重要なことは社員が最初に入社した時の環境、最初の上司です。新しい世界に入った時の第一印象が、ビジネスマンとしてのマインド形成の入り口です。
従って、会社内のピカ一の人を上司として当てる。マインドのレベルが低い人は絶対に充てない方針を貫いています。
自分事の視点で捉えるマインドをセットする
マインドのセットで最初に重要なことは、人の働く環境、直面している問題を、自分事の視点で捉えられる姿勢を植え付けることです。
研修などでビジネスマンに最初に基本的なことは教え込む。咀嚼した段階で評論家風でなく自分事として捉えるマインドを植え付ける。知識を植え付けるステージから物事を真剣に自分事として捉え、その課題をどう解決するかのマインドをワークショップなどの体験を通じて会得させる事が肝要です。
組織を経営できるため周囲の環境を察知して対応するマインドをセットする
次に、「自分のために」を優先するのでなく、集団の成果につなげるにはどうするかの視点を身に着けさせることが重要です。組織を経営するには必要不可欠なマインドです。
私は、経営のために必要なマインドをセットさせる一環で、会社のマネジメント方法にグループ制を薦めています。組織を小グループに分けて、一定の範囲内で本人に経営を任せマネジメントさせる方法です。グループをまとめて経営する体験から、自分の立ち位置と周囲の目標との関係を考えることにより、経営にとって必要なマインドセットの仕方を学ばせるためです。
自分のグループのことのみを考え、自分のグループのための利益のみを考えるマインドでは、追って行き詰ることを、グループ経営の体験で学びます。
修正するための術も身に付いてきます。隣の部門や相手のニーズ、目的、課題にしっかりと目を向け、自分の仕事が相手に与える結果を想定し、隣の部門にも役に立つように自ら努力する術です。
例えば、全社のコスト削減の指示が出たとします。これに対して自グループのことのみ考慮した策を講じたとすると、他のグループや会社の事業全体のエキスの部分に損害を与えることにもなりえない。部門の機能は皆つながっているからです。結果、全社の人的資源の一律カットのところまで行きついたとしたら、自分のグループは生き残れたとしても会社全体がおかしくなり、自グループの存在も危うくなります。当然、皆が損をすることも分かります。
相手の仕事を知らないと組織の経営できなくなる、互いに相手の仕事内容を知ることでそれぞれが相手の仕事と自分の仕事のつながりをよく理解できるようになり、全体効果を上げるために、自分に何ができるかを考える習慣がグループ制下で芽生え、セットされていきます。
逆に、壁の厚い組織では、これが出来ていません。隣の部門がどのような仕事をして、今何に困っているかを知ろうとしません。これでは組織全体は効率的に回るはずもありません。自分のグループのことだけを考えて、結局自分が損をすることになります。マインドが関係します。
詳細は省きますが、私自身この弊害を除去するために、「農耕型企業風土つくり」の経営と称して、この経営手法を提唱しています。この経営を進めると、隣の部門の苦痛を肌感覚で察し、必要なタイミングで隣の部門に手を差し伸べる互助のマインドが醸成されます。結果、組織の経営にも役立ちます。
債権回収の仕事で実績を上げる社員が相手が何に困っているのかを察知し、それをサポートする姿勢と具体策を通じて自社の債権の早期回収に成功するパターンとよく似ています。
マインドセットで変わること
最初の入り口で、良いマインドをセットする。経営的マインドをセットさせる。このような社員の塊が増えると、マネジメントのやり方さえ軌道に乗せれば、管理をしなくてもよい職場になりやすいです。マインドセットが変わると社員がおのずと行動を起こすようになるので、「行動を変えろ」と指示する必要はなくなります。こういう社風の職場をつくると企業の成長が早いのではないでしょうか。
第186回 今の日本には「農耕型企業風土づくり」の経営が必要とされる(4)
先週からの続きです。
e) 一言で言い表せる「企業風土」
他の会社に無い企業文化を持つことで、「違い」を実感させ、自らその違いを営業現場などで体験させることです。
ある時期から、一言で自社の「企業風土」を言い表せる社員が多くなりました。
これにはいろいろな努力の結果です。経営をしていた私自身は、自社の企業風土の特徴を皆が簡単に顧客や他の人びとに言い表せると、自信を持っていましたが、実はそうではないことにある時気づきました。それならと当時、会社の企業文化を「SOSFCCQ」の言葉で具体的に表現したところ、一気にこれが社員の間、更に外部に向かって情報発信できることになったことを覚えています。会社の思想がより深く浸透する契機になりました。
・Sはスピードです。
・Oはオープンで会社の情報などを全て公開するものです。
・Sはシンプルです。複雑なことに嘘があり、単純、且つ、簡潔明瞭にすることです。
・Fはフリ-です。自由闊達に仕事をする環境をつくることです。
・Cはチャレンジです。すべての社員が新しいことに挑戦する義務を負うことです。
・Cはクリエイティブです。創造性をとにかく重視していました。
・Qはクオリテーです。以上の中で相互矛盾をきたす時は、クオリテーを最優先に考えることです。
このように自社の目指す企業文化を明示的に表現して、日常の仕事、教育訓練、採用等すべての活動局面で、会社の全構成員がこのことを頭から一刻も離なさず、実践することに決めたのです。
このようなことは経営体験を通じより深く味わるので、彼らが営業、現場のサービス提供局面、企画等全体を経験して、なるべく早くグループ長として経営者に育つ訓練を、ローテーションを通じて計画的に実施していました。
このことが、冒頭や飲み会に書いた、かつての社員からのいろいろなメッセージになったのではないかと思います。
f) 仕組、仕掛け
社員には自分を鍛える訓練が出来る「仕組」や「仕掛け」をつくりました。
年間計画、月間報告、週間報告を義務付け、しかも、これを自分の言葉で「書き表す」習慣を付させました。書き表すことで自己の考えや将来像を固めさせるためでした。勿論それが、会社が目指す目標と重なることを経営層としては望んでいましたが、それにこだわることは社員個々人の価値観を強制することになるので、それはしませんでした。
しかし、社会も受けいれられる戦略目標を会社が定めることで、社員の価値観との同心円で重なる部分が大きくなることも分かりました。
自分でやるべきことをリストアップしその達成状況を週間報告で記述させました。手書きで書かせることで、テクノロジーの支配から解放させ、自分で考える時間をつくるようにさせました。社員の心の揺れも文字から分かるようになりました。しっかり考え、計画し、優先順位を自分自身で考えていくことで、自分が合意した計画目標を、切迫感を持って実行させるためでした。
このことで、社員個人が重点的に取り組まなければならないことを意識し、結果として自分の時間を有効に使う知恵を学ぶようになったと思います。一度に一つだけ実行させ、次月にそれを質問し報告させることにしていました。重要なことを後回しにすることで結果として約80%の仕事が後々影響を受けるのを避けるためでした。彼らはそれで自分の自由にできる時間をつくる工夫を学び、「すぐやる」ことが如何に重要なことかを学ぶ機会にさせました。
g) 対話
最後に重要なことは、「対話」です。
これは上司、部下という立場を抜きに、人間対人間が話し合うことを意味しています。
上司と部下との会話で悪い例は、上司が部下の話の途中で、「それはこうだよね。あなたの言いたいことはこうだよね。」と部下の話を「括る」ことです。これでは、部下の意見を吸い上げることにならず、上司が考えていたことを部下の前で披瀝することにすぎません。
実は、ほとんどのビジネスでの会話がこのパターンです。忙しいことを理由として、話を「括る」のです。建前上は、「何でも君の考えを話してよ。」としながらも、実は一方的です。「対話」になっていません。
これを避けるには、上司の我慢意外に方法はありません。部下の話は、時にまとまりがなく、時に冗長です。しかし、我慢しながら聴いていくと、彼らの本心が何かに行き当たります。こうなるとしめたもので、次の正確な対策につながります。また、部下からの貴重な意見を得ることにもなります。
こうなって初めて、上司と部下との信頼関係の糸口がつかめるのです。
結論
以上のような「ソフト面」を経営上充実する結果として、私が主張する「農耕型企業風土づくりの経営モデル」は、一旦この企業風土を作り上げると、極めて強固な組織になります。詳細は、『これからの課長の仕事』,『これからの社長の仕事』(ネットスクール出版)『礼節と誠実は最強のリーダーシップです』(クロスメディア・パブリッシング)に譲りますが、私はこのことを約20年間の経営で実証してきました。
アメリカ流のマネジメントにもたくさん学ぶところがあります。しかし、このスタイルのマネジメント経営だと、万一、経営リーダー機能が不全になった場合、全組織が多大な影響を被るというネガティブ面のリスクが大きいのではないかと考えます。
日本に於いては、私の主張する「農耕型企業風土づくりの経営」のほうが企業の中・長期的な発展には適していると確信しています。
極端な例ですが、リーダーは善で「社員はこのリーダーに従え」的な一元的発想による経営の場合、経営においてリーダーの機能に狂いがで出ると、たとえ法規制や諸制度の保護があったとしても、ミドル・マネジメントを中心としたチームワークによる自主的補完機能がないために経営上芳しからざる結果を招くことが多いのです。
特に、「資本の論理」を全面に出す資本家的経営リーダーが経営者としてアサインされたときは、このリスクを大いに警戒せざるを得ません。
社員の知恵が仕組として生かされる「農耕型企業風土」のような経営組織が、そのようなマネジメントには組み込まれていないからです。「農耕型企業風土」に根差した組織では、現場の経験の集積が知恵の塊として存在しこれを生かす仕組があるので、万一の場合にも経営リーダー機能の一部をカバーする力があり、この点でも組織を強固にしています。
人間が作り出すシステムで利益を追求する組織ではある以上、「効率」を重視するのは当然のことです。経営システムも然りです。
しかし、これが行き過ぎると経営システム全体が一部の特権的リーダー中心の単純化した仕組になりやすい、と私は考えます。
効率がキーワードで、この言葉自体に論理的に大義名分があるので、なかなか正面を切って異を唱えるのが難しくなります。「効率」をキーワードにどんどん経営が単純化され、いわゆる経営の「遊び」の部分を無くしていくことこそが「良い経営」と株主からは賞讃されることになるかもしれません。
実は、ここに「落とし穴」が潜んでいます。単純であればあるほど、これが上手く作動している場合は良しとして、何か経営のリーダーシップに狂いが生じた場合、経営システム全体が作動しなくなるリスクが大となる傾向があります。
私は経営に故意に「遊び」や「効率を阻害する」仕掛けを組みこませる努力をしました。それらの仕掛けが「人間の心」や「仕事と生きがい」の観点から本来人間という生命体が持っている自然な姿に近いものであると信じ、「遊び」や「効率を度外視した」仕掛けも併存的に組みこませていました。
組織として生きた状態、活性化した状態を永く維持するには、このことが必要不可欠なことだと約20年間の経営で学びました。
そろそろ除夜の鐘が鳴りそうです。
皆様、良い新年をお迎えください!!
第185回 今の日本には「農耕型企業風土づくり」の経営が必要とされる(3)
前回の続きです。
「ソフト面」の部分の基本的で主要な要素は次の通りです。
a) 信頼の土壌づくり
社員が経営から派生することにも積極的に関心を払い、他方経営層が社員を、社員が同僚や上司を尊重し合う信頼の世界をつくることが第一です。
信頼できる人にしか自分の仕事上のノウハウを教えないのは人間として一般的なことです。また、経営側が社員全員に考え方や方針を噛み砕いて何回も説明し、彼らの心や魂に訴えかけることで、経営層と社員相互の信頼をベースとした仕事場環境ができます。知識や情報の共有が一層可能となります。知識や情報を共有できることが、次の改善やイノベーションにつながりやすいのです。
逆に、管理や監視の環境下では社員の自由度が無くなりイノベーションは生まれにくいです。信頼をベースとした自由闊達な環境下からこそ発想の自由が生まれるからです。
b) チームワークで強固な組織
レベルの高いチームワークが重要です。
私は小グループの店単位の経営を重視していました。構成人数の大小もありましたが、一番効果を発揮したのは、10人前後のグル-プでした。そこにしっかりとマネジメント出来るリーダーを据え置きました。
この規模では情報の共有にも特段の仕掛けを必要とせず、しかも、グループが上手く作動し沈没しないよう全員が実力以上のクリエイティブなマインドと努力をおしまない雰囲気ができるからです。
他方、そのチームのまとまりが良すぎて同質化のシグナルもウォッチしていました。時には同質な人材のグループ編成を意図的に破壊して、あえて異質な人材を入れて、一見まとまりの悪いと思えるチームを編成したこともありました。これで安逸から組織の活性化につなげたのです。
組織は多数の小さいグループで成り立つことを目指してグループの長に相当な権限と自由度を託し、一定の枠内で本人が自由にグループをマネジメントできる組織です。この組織は、全体系が人間の心や集団の中で人間が本来あるべき姿を仕事環境でもできる限り実現することを基本とした経営組織です。
ミドル・マネジメントを主軸として多くのグループ間でお互いにチームとして支え合う、助け合うシステム体系で、ほかのグループとのチャンネル接点の入口が多数用意されていますので、どこかの小組織(グループ)に突然何らかの障害が生じたとしても、類似した経営をしている他のグループからの補助・補完により、そのグループが速やかに再生可能となります。
この補完機能が備わっていることで、全体が非常に強固な組織となります。
c) 勉強、勉強、また、勉強できる環境
「構成社員の「知」レベルの総和以上には会社が成長しない」というのが、私の持論です。
したがって、構成する社員自身が勉強、研修して成長してもらわなければなりません。
それぞれの社員に発展段階の違いがありますが、各人が自己の「足りない」ことを常に意識してもらわねばなりません。グループに貢献するには、今の自分の知識や情報のレベルでは限界があること、自分が勉強して、知性豊かな人材にならなければグループに貢献できないことを認識してもらわねばなりません。
リーダーたる上司は、皆がこれを実行できる「時間」と「場」の環境を与えることです。少しでも変化に対応できる知恵を個々人が増やすことにつなげられるからです。
d) 語り継ぐ人
事の背景やあることを成し遂げた心意気などが、マニュアルでは伝わりにくいです。完全に説明できにくいことが多いからです。ここにストーリーの語り部の役割が必要となります。
私の場合、これを「分身」と思える社員に手伝ってもらいました。一連の失敗や成功の体験を物語として語ることです。単に文字になっていることを読むのでなく、体験した本人が自分の言葉で部下に語ることがどれほど実のある教育・研修になるかを、私は実体験で学びました。
「分身」を通じて語られるストーリーが彼らの心に残るので、眼に見えない威力を発揮します。この語りは営業マンだったり、部長が困難な局面を乗り越えた経験だったりしますが、聴く人の心に紙芝居的な映像として残ります。
私自身は約20年の経営の中で、自らの苦難の経営局面を自ら社員に語ることは、ある時までは、約10秒だけでした。
確か株式公開が出来た後の挨拶で、一言「本日、株式公開が出来ましたが、ここに至るまで過去苦難の局面があったことを忘れないで頂きたい。」と。 私からすれば、資金の工面経験などは、経験させたくない、彼らのマネジメントにとってはあまり役にたたない、もっとマネジメントにとって優先順位の高いことがあるとの思いが強かったからです。
ところが、ある時、元、オリコの副社長だった田中顧問が、「園山社長、そろそろ昔の苦労した局面ことを知っている社員が少なくなったので、それを語った方が良いですよ。」とのアドバイスを強力に受けました。彼はその時は会社の顧問で、かつて裁判で死闘を演じた男です。「敵ながらあっぱれ」と、それ以前から長く役員を引き受けてもらっていました。
これは会社の経営を引き受けてから、株式公開、そして上場と邁進し、大分時間がたった頃の2003年頃のことです。アドバイスに沿い、局長クラスの数十名に過去の倒産寸前の苦難の経緯を話したことを覚えています。局長クラスのメンバーが私の「分身」として自らの言葉で自分の部隊の部下にその内容を語り継ぐストーリーテラーの役目を担ってくれたことを記憶しています。さらに私の経営に関する考え方の浸透が増してきたことを覚えています。
e) 捲土重来のチャレンジできる制度
失敗しても捲土重来チャンスを与えることです。
私の経験を振り返っても沢山の失敗から学びました。特に若い頃、沢山の失敗をしました。上司から怒鳴られた経験もあります。顧客から出入り禁止を食らったこともあります。
私が経営を引き受けた時には、このような経験がどれほど役にたったのかを思い知り、この趣旨を社内の人事制度に反映させました。
挑戦して、仮に上手くいかなくても再度チャレンジして捲土重来を期す機会をあたえるものにしました。このことで現場の組織の活性化のみならず、「チャレンジしろよ!!」という私の言葉が偽りなく本気なのだとの評価が定着し、経営への信頼感につながったことを、以後社員から聞きました。社員が安心して仕事が出来たようです。
最近のコメント