言い訳、謝罪、育った環境、認識ギャップ、感受性
言い訳の認識ギャップ
誰にでもあります。叱られそうになった時、叱られた時に、何かと言い訳をする。このことは、ビジネスの世界でどこでも、ごく日常的に起きていることです。
世代間の違い
私が幼少の時を考えてみると、言い訳をすることは世間が余り評価しないことの範疇に入っていたはずです。
潔さが無い、日本人らしくない。言い訳をすると、人間としての品格を疑われるような雰囲気がありました。極論すれば、言い訳より謝罪が良い、文句の一つも言わず、他人の責任までもかぶって「男を上げる」という風潮があったことを覚えているのは、私だけでしょうか?
特に上下(かみしも)、上司・部下の関係の中では、言い訳がましいことを言うことを潔しとしなかったと記憶しています。
他方、現代の若者はどうでしょう。
彼らが育った環境は、私が青年時代の安保世代の環境とは格段と違います。教育現場の指導の仕方が明らかに変化しました。教育現場で生徒や保護者をお客様扱いする風潮が広がり、親のエゴ、ゴネ得が目立つようなことが発生していると、各種報道で知ることが多くなりました。
叱らない教育が主流となってきたのです。若い世代は、何かまずいことをした場合、事情をしっかり説明した方が良いという姿勢が根底にありそうです。
上司と部下の認識ギャップ
この時代のビジネスの世界で、上司が若い部下を指導する時に考えておかねばならないことは、若い世代の人が言い訳をするのは当然、という認識をもっていることです。時代の変化です。
何かの失敗に対して、上司の「何故、そうなったのだ?」という問いかけに部下が応えようとすると、「言い訳なんか、聞きたくない」「反省しろ」と、即部下の話を遮り、謝罪を求める雰囲気を上司が出す。
部下からすると、上司に理由を質問されたので、それに至った事実関係を応えようとしたのに「聞いてもらえない」、また、上司が理由を聞いておきながら自分が説明しようとすると「言い訳するな」と叱られるのを理不尽と取ります。
上司の世代では潔くない、見苦しいと取ることが、若者にとっては、育った環境背景から、そのような感受性が備わっていないのです。これが、認識ギャップです。部下からすれば、キチッと説明をするつもりなのに、それをいきなり遮られ怒鳴られたのでは、上司の態度に反発心を抱き、以後適切な説明をする気にはなりません。当然のことです。
双方の対応
どう対応すれば良いのでしょうか?
まず、上司が部下を分かってやることです。
上に述べた通り、育った環境とプロセスが違うので、若者は、何の事情説明もしないで謝罪する方がおかしいという思いが根底にあるのです。
この違いを上司たる年配者が理解して対応することです。若者は謝罪をしたくないのでなく、まずきちっと説明をしたいということです。説明のプロセスを経ていくことが若者には当たり前のことであることを、年配者の上司が理解し、その上で対応する努力が必要とされます。
次に、部下も上司を多少理解してやることです。
武士道の潔さ、不当な待遇にも耐えて生きる、理由の如何を問わず他人の責任までも自分が被っていくことで、その場を円満に収めることこそが「出来た人」との評価を得る風潮が、上司が育った時代にはあったことを若者が想像することです。ある時代までの風潮が日本人に根付き、これが、脈々と彼らの血の中に引き継がれていることを理解することです。若者サイドの想像努力も必要とされるのです。
ただし、自分の能力不足を言い訳で防衛的にカバーしようとする態度は、どの世代でも許されないことだということを、若者は肝に銘ずる必要もあります。
もともと日本人は、忍耐強さや克己心を貴ぶ傾向があります。文句も言わず真面目に仕事をする、「出来た人」という評価を得ることを尊重していた国民性があります。しかし今の時代は、言い訳せずに責任のみかぶっても、そのように評価してくれる人が傾向として少なくなりました。先ほどのような潔さの美学がどこかに消え失せたのも事実です。そこで、双方が相手のことを少しでも理解しようとする努力で認識ギャップを埋めることが、相互のコミュニケーションを良くすることに少なからず効果があると考えています。
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