理、情、日本人の精神性
理と情
私は欧米人と日本人の思考パターンには、根本的な違いがあると今でも考えています。
最近はグローバルな付き合いが必要になるので、日本人でも一見欧米人的な行動を起こす人がいますが、その人の心の底に流れている本心は違うのではないかと考えます。一般的に日本人は、考え方や行動の根底に、理より情が優先的に流れているように思います。
アメリカでのある会議での体験を、私は今でも忘れません。理と情の違いが決定的に出ていると感じた体験です。
顧客との大きなトラブルが発生し、会社に少なからぬ損害を及ぼしかねない事態が発生しました。この原因を作ったと思われる本人が必死でトラブルの修復活動を行っている矢先に、各国から6~7名集まった幹部の会議での議論が私の体験です。
原因究明優先か?
トラブルの原因について、アメリカ人とイギリスやオランダからの代表の意見が違い、激烈な議論が延々と戦わされていました。その最中の私の発言です。
私は、「そんな議論をしても、いまさら仕方ないことでしょう。その原因がどのこうのと言うより、改善に一生懸命やっているその人の頑張りをサポートする方法を今考え、彼の修復活動の部分を褒めて応援してやらねば、結局顧客を失い会社が大変なことになりますよ。」と、仮にその人が原因を作った主人公だとしても、彼がその改善に全力を尽くして努力しているとしたら、トラブルの早期収斂に重きを置き、彼をサポートすべきと主張しました。
勿論、原因究明こそ大事なことは分かっていますが、頭を下げてクライアントに謝り改善に努力している姿勢の方を優先した発言です。平均的な日本人には、私のような行動パターンを取る人が多いのではないでしょうか。
加えて、議論の中で感じたのは、彼らがトラブル修復に関するその会議体での決定が、彼ら自身にどんな影響をもたらすかに非常に神経質なことでした。組織としてクライアントの離脱を防止しなければならないのに、組織よりも自分のメリットを優先しているのではないかと感じる発言も多数あったことです。
理か情か?
この議論から特徴的に感じたことは、第一に、彼らは、理(ロジック)にかなっていないことには賛成しないことです。勿論、情の部分について彼らも分かってはいますが、原因を延々と議論しなければ納得しないほど、欧米人にとっては、理が情に勝るのではないかと思いました。
個人の利益優先?
第二に、常に自分自身のことを考えていることです。彼らも当然組織に属しています。しかし、優先するのは個人の利益(ベネフィット)です。会議体での決定が、自分自身にとってどんな利益、ベネフィットをもたらしてくれるか、不利益をもたらさないかをまず発想する思考経路を、欧米人は本質的に持っていることです。
このように、我々と、少なくとも私と発想の根底に流れるものに決定的違いが見受けられます。
日本人の精神性
極論すると、ダメもとで相手を刺激して、結果として自分に有利な落とし方を狙う発想につながります。
このやり方は、現在進捗しているTPP交渉でのアメリカ側のやり方に象徴的に出ていると思います。選挙民の票を意識し、ロビイストのプレシャーもあるとは思いますが、少しは相手のことを慮る我々日本人の発言や行動とは、明らかに異なります。我々は決定的なケンカを避けて和を重んじます。
また我々は、このような場ではまかり間違っても自分個人の利益をベースとした発想は一般的にはしません。その決定で、自分自身より自分の属する組織や集団が変な影響を受けないかの思考回路が優先的に働くようです。
これを日本的だと批判されるかもしれませんが、そもそも日本では、どんな機能図や組織表を作っても、それはそれとしてそれよりも人間関係を重視した行動を見ることになり、しかも、組織を超えた助け合いが発生します。上司が命令するまでもなく、人間関係が良好な場合、困った部門に対して組織の枠組みを超えたサポートをします。
権限が曖昧だからと、これを一部の人は批判しますが、私は、日本人の本質的なことだと思います。権限などの人工的な枠組みを超えた日本人の精神性の一つだと思っています。
勿論日本人も、理を追い求めることをやろうとすればできます。しかし、その先に何があるのかが、潜在的に日本人は分かっているからこのような発想をするのではないでしょうか。
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