現場
第155回 ミドルが会社を変える起爆剤
先週および先々週は、会社の発展状況に応じた経営手法について述べました。
今週は、その経営を引っ張っていくミドル層について述べます。この層に、自己の置かれた立場を再認識していただき、更に奮起を促したいと思います。
私は、これまでの経営体験を通じて「農耕型企業風土」づくりを提案しています。この風土を培った日本企業こそが、これまで中・長期的な成長と発展を遂げてきました。今後もその傾向がつづくと考えます。
しかも、この企業風土こそが我々日本人に一番馴染む企業文化だと考えています。にもかかわらず、国際標準の名の下に日本企業の良い所をないがしろにして、短期的利益追求のみに邁進している一部の企業を見るに残念です。あたかも、特定の風土・風習を持った民族に対して、覇権を目指す特定の国が他国の啓蒙と合理主義の名の下に侵略して、結局失敗した政治の世界のアナロジーと見て、他山の石とすべきです。その部分の詳細については、『これからの課長に仕事』などに譲ります。
この企業風土を背景とした会社では、社長の仕事は別として、課長、いわゆるミドルの仕事が重要な決定要因となります。ミドルが会社変革の一番良いポジションにいると考えています。成長している日本の伝統的な企業では、この層こそが会社を引っ張っている存在です。
経営の要
過去に私が経営を託されていた時、トップの私は、会社のビジョンと将来像、さらに中期戦略を明確に示すことを、自分の主要な仕事にしていました。そして、その実現に向かって全社員のベクトルを合わせていく努力をしていました。
他方、現場の第一線で働くフロントの社員は、顧客の要望に応えて日々の業務を全うする責任があります。
この両者をつなぐ必要があります。トップと第一線たるフロントを蝶番でつなぎ、実質的に会社を動かしていたのが、実はミドル層でした。この層を当時マネージャーと読んでいましたが、1千数百億円のサービス売上を上げるために数百人のマネージャーがいたと記憶しています。このマネージャー層が会社を切り盛りする力となっていたのです。
何故、変革のキーか?
何故、彼らが会社を動かす、変えるキーとなったのかを考えてみました。
組織の中での彼らの立場が重要でした。私は彼らに多くの権限を付与する組織運営方法を取っていました。業務の執行にあたり、彼らの判断に委ねる部分を意識的に多くし、顧客の要望に対して、マネージャー諸氏があたかも商店主のように臨機応変にマネジメント行動を起こせるようにしていました。
彼らは、
1.文字通りトップとフロントの中間の自由な位置にいます。
トップの指示は一般的に抽象的です。その指示に対して、その内容を本人の言葉で現場に噛み砕いて落とし込み、トップの方向性を意識しながら何かを実現出来る大きな自由度があります。単に、物理的なことではなく、自分が実現したいことを、自分の言葉で部下に指示できる非常に自由な立場にあることです。
私の例では、数百人のマネージャーが、この立場で現場の采配を振るっていたことになります。
2.現場の情報に一番近いマネジメントの立場にあります。
解決が現実的です。根本的な原因は、日常のマネジメントを通じて皆察しがついています。しかし、これを根本的に改革できる立場にあるのは、本来は本社などの権限を持った部門です。ところがそれらの部門に迅速に対応してくれることを期待しても、それがなかなか実現しないのが実態です。しかし、顧客は待てません。
そこで本社の分析のデータを待つまでもなく、すでに察しがついているので、現場で可能な範囲で現実的な対応をとれます。ミドルはそれを指示出来る立場にいます。
3.実質的に動員できる部下が多数います。
何かを成し遂げるには、本人をサポートする一定量の人員が必要となります。逆に、一定量の人員の動員なくして大きなことはなかなかできません。
マネージャーが何かの変革をすべくある方向に動かしたい時、一定量の部下を一番大きな力で動かせるのは、組織の機構の中でもミドル層です。部長や役員の立場になって考えてみると、このことが良く分かると思います。
4.社内の政治力を発揮できる立場にいます。
ミドル自体が、日常的に他の部門のミドルと公式、非公式に情報交換をしているのが一般的な日本の会社です。案件が発生すると、公式には「課長クラスでまず詰めてくれない?」と、この部門の会合に案件が託されることが多いです。非公式には、夜の飲み会に「今日は、部長を呼ばないで、我々課長クラスだけで飲み、例の案件を詰めようよ」と、なります。やり方如何で、彼らの力は組織の枠を超えて発揮できることになるので、社内変革の起爆剤的存在になるのです。
私の経験でも、部門や会社全体の経営に対して、この層の政治力を敏感に肌で感じていました。トップとしてその力を良い方に利用することで、会社の成長スピードを更に上げることになりました。
5.他部門のミドルとの交流を通じて、他の部門の知恵を拝借出来ることになります。
ある知識や知恵が何かの命令や指示で社内に拡散するよりも、はるかにスピ-ド感を持って、しかも実のある拡散の仕方をしていくことを経験しています。「暗黙知」的なものも、違う部門のマネージャーを通じて会社全体にスピード感を持って拡散できる機会が多くありました。
DNAを引き継ぐ
以上のことを述べた背景は、彼らの存在なくして、日本の企業の成長や変革は難しいのでは、と思うことが多くあるからです。
一部の外国かぶれの経営者が、短期的な利益を計上するために合理化と称してミドル層を削減し、結果として失敗する悪い例をみることがあります。また、すべてをトップの指示に従わせ、ミドル層の自由な発想を止めることで、ミドルが不活性化し、結果として経営に失敗する例も見ます。結局、ミドルの存在意義を過小評価したことで、その企業の変革が大きく遅れてしまうのを見るにつけ、日本の企業が持ち合わせているDNAを、我々はもっと大事にすべきだと、常に思います。
非常識の尊重(2)
前回の続きです。一般的には非常識と言われていることでも、私は次のような非常識は大変尊重しています。
時に、戦略より組織能力を
戦略は合理的であることが必須ですが、私が見る限り、戦略を実行するにあたっての組織能力が欠落している会社が多いのです。この場合には、組織としての成長をどう図るかを第一義に経営をしなければなりません。 頭でっかちでなく、手足も同時に鍛えるイメージを重視しています。どういうタイミングで経営上何を打ち出すかの「時」を見て打ち出す策を考えています。
セグメンテーションの論理の常識無視
セグメンテーションのマーケティングの論理のみでは、今の時代を乗り切れないと考えています。企業はどうしても、企業の論理や経済性からセグメントで顧客をくくりたくなります。私はこの性癖をどうブロックするかが、経営者としての仕事の一つだと思っているほどです。顧客を徹底的に個別に把握するやり方はコストがかかりますが確実に競合との差異化につながると確信しているからです。
例えば、セグメンテーションでなく特定の人の名前を商品に入れて本をプレゼントし、プレゼントされた人の口コミでマーケットを拡張するという発想が実現するとすれば、新しい顧客開発の仕掛になるかもしれません。個人の名前を入れることでワン・ツー・ワンのサービスを実現することになります。
現に私はある人から私だけに宛てた本、「園山征夫様に送る本」を贈呈されたことがあります。世の中に一つです。今でも、印象に残り、いろいろな場所でつい話題に出してしまうほどです。
余りにロジカルに考えないこと
会社の経営を任された限りロジカルな思考は当然要請されますが、あまりこの発想に拘泥すると、経営者の脳の活性化につながりにくいのです。偶然に何かの事象に遭遇したとしても、そこからあるひらめきで次の策に導く力につながらないかもしれないことが過去の経営であったからです。
時に、効率性軽視
効率は短期的なものはダメです。顧客のサポートなど中長期的な観点の作戦は、短期的には経営効率を悪くすることになりますが、そんな常識は信じない方が良いと思います。最近アメリカ的な観点でどんどん切り捨てられている短期的な無駄も、中期的視点では「無駄の効用」があることをトップは自覚すべきと確信しています。
人材育成の仕組みの非常識
日本のかなりの会社で上司が後輩を育成する「縦系列の指導伝承型OJT」方式がなくなっているとの報告が多く挙げられます。この指導伝承型OJTにすることが実は人材育成の非常識と思い、私は重視しています。
こうなった背景として、会社の組織がピラミッド型と同時にプロジェクト型で運営されるケースが多くなったこと、業務がIT化され仕事がブラックボックス化され先輩の仕事ぶりを学んで育つ現場環境が少なくなってきたことなどがあげられます。
この結果として、上司が電話口で顧客から叱られ頭を下げている姿を部下が見ながらOJTで学べるチャンスが少なくなってきたり、その時の上司の対応を見ながら「自分だったら、こういう対応をする」と上司を他山の石にする機会も少なくなってきました。
人が育つには、先輩の一挙手一投足が一番だということを私は経験しました。ある会社の経営を託される前、故大川会長のカバン持ちをしていた時代があり、その時に自分は成長したと自負しているからです。
具体的に何をどう教わったというマニュアル的なものは全くありません。それでも、なぜ、その時そのような行動と判断をしたのかを実際の場面で指導してもらったことになったからです。
このような非常識はぜひ日本の会社に残したいものです。
非常識の尊重(1)
私は「農耕型企業風土」づくりを通じて会社が中・長期的に成長するための「フォーミュラ」と「公式」を経営者に説いています。経営者の育成と社員の安寧、会社の成長が目的です。
私は先の「フォーミュラ」や「公式」に沿いながら、一般的に非常識と言われることを大変尊重していました。一見矛盾することを言っているように見えますが、「フォーミュラ」や「公式」の内容を読まれるとすぐ分かります。したがって、以下に述べるビジネス上の非常識な例は、私の論理と矛盾することではないと理解していただけると思います。
ライバルは敢えて見ないこと
分析が得意な部門は、どうしてもライバルと自社を比較しがちです。そしてその報告を経営者に上げます。一般的には、貴重な判断資料です。しかし、ライバルを見ることは、かえって自社の作戦の足かせになることも考えてみる必要があります。私にもそのような経験がありました。
ある業界での会社の経営にその分野の素人として参入したとき、その業界の常識的な知識を入れ込みたい人が周囲に多数いました。でも考えました。その常識があったからこそ事業がうまくいかなかったのではないかと思ったのです。どうしてもライバルのやり方を超えようとして、かえって世の中の定説の渦巻きから離れられなく、落とし穴にはまりやすい傾向があるからです。
「ゼロからの発想」のためには、業界に通じたライバルのことを敢えて見ないで、それを知らない違う分野の人材の考え方などを取り入れるこの「非常識」が、役に立つことがあります。私はその業界以外の意見を非常に尊重して聞くことにしていました。今もそれを試しています。
特に、「ライバルだから」と称して、自分の会社と違う大きさや生い立ちを備えたライバル会社をベンチマークしても、私の経験では単に特定の部門の知識欲を満足することに終わってしまうことが多かったのが現実です。
打てば当たる
商品は簡単には当たりません。「合理的な考えから発想しないと商品は当たらない」と教科書では書いていますが本当にそうなのかと思うことが多くありました。むしろ、いろいろたくさんの商品を出すことで初めて良く言われる「20:80の論理」に意味があると思うのです。
たくさんの回り道をし、新しいセンスで沢山の商品を出して初めて良い商品に行き当たることが多いのが実態です。特に昔ヒット商品を出した人が自分のセンスで次の商品の開発を担当し続けるのは、私は外れとみます。固定化した観念の、昔の世界の商品の焼き直しにしかならないと見ます。
それより若い人の斬新なセンスで魅力ある商品を開発し続けることが、「20:80の論理」の正当性を証明してくれると信じています。
論理より感じる魅力
良い商品でも売れないことが多いのを私は何度も経験しました。「これは絶対に世のため人のためになる商品で売れる」と自分では確信していた商品も、は惨敗したこともあります。気をつけなければならないのは特に上記のような大企業的論理が、中規模の会社でもまかり通ることが多いのを見ます。果たしてこれで上手くいくのでしょうか?
商品が消費者にとって魅力的で、彼らが「買いたい」と意欲を掻き立てられるか否かが基本です。この意味で言えば、今関係している出版の商売では、本のカバーデザインは入り口として大変重要です。手にとって魅力を感じるか否かで決まるからです。たとえば若い人が読む本ならば、読む人と同年代の若手のセンスが肝要です。
私はこれに影響を与えそうな意見を敢えて積極的に言わない主義を通しています。若手のセンスに任せることに徹しています。これが正解だと考えているからです。
現場は見ないこと
現地現場を大事にすることは私の持論ですが、例外があります。上手くいっていない現場です。上手くいっていない現場は、現場の状況の診断は出来ても新しい発想で本質的な改革をすることにはつながらないことが多いのです。本質を重視するからです。
私はそのような現場の近視眼的な情報をとりあえずシャットアウトして、根源的、本質的、理想的なことを「考える」主旨で、あえて見ないことにすることもあります。
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