物差し
第193回 閑話休題―金社会になり過ぎた世の中
世の中、便利になってきました。何でも欲しい物がすぐ購入できます。買えないものが無いほどの世の中です。しかし、それでも消費欲求や願望が消えない。
これが今の世の中です。
この結果、普通の消費者が、自己の満足の追究のために消費の行きすぎを防止できなくなっています。債務過多の状態です。企業で言えば、資金ショートで倒産です。
あくまで個人的な考えですが、例えばクレジットカードで購入しまくる行為は明らかに行きすぎと見ます。便利ですが、現金で購入する時より、購入金額は、明らかに多くなる傾向がある。資金の裏付けもないのに、大きな買い物をする習慣が我々に根付いてしまっています。
世の中が便利になったことで、健全であった個人が、自己の欲求の満足を我慢しきれなくなってしまった時代ではないでしょうか。
これを個人の消費習慣の問題と見る立場もあります。それで便利さを享受し、その状態に満足している。その事実を尊重すれば良い、後は自己責任だという立場です。しかし、本当にそんな世の中でよいのでしょうか?
このようになった原因の一つは、金融が支配する経済がプラス面のみならず、多くのマイナスをももたらしたことと関係します。消費をいびつにあおる、金(カネ)で価値を測る社会構造そのものを作ってしまったことです。
アメリカでは金融部門が経済の中で占める割合がどんどん大きくなってきました。住宅やシェールオイルなどの資源も、一時実態以上の投機的対象にされました。物の重要さより、金を生む道具にされてしまったのです。学校を卒業した優秀な人材も金融部門の報酬の大きさに目を奪われ、自己の才能が本当に生かされるか分からない金融部門に吸い上げられているようです。
日本でも同様にこの傾向が出てきています。
金融の革新で、例えばクレジットカードを世界中どこでも利用できる便利さを享受、これは旅行者にとり有り難いことです。
しかし、企業の経営面でみると、金融の革新による沢山のメリット以上に、金融支配の構造が気になります。日本の戦後の哲学であった社会的存在としての企業という考え方が、便利さの中で、どんどん何事も金融の物差しで図る経営に変質してきています。
今や短期的視点での効率を重視し、社員や他の構成員の犠牲のもとに株主価値を最優先する考え方に変わりつつあります。
果たして、これを推し進めることで、日本の企業が世界で特別、特異な存在意義を示せるのでしょうか。競争の土俵を少し変えることが出来ないでしょうか。金(カネ)に傾きすぎて、金(カネ)がすべてを決める世の中の価値観に、日本古来の良さを前面に打ち出すことで、何か一石投じる経営が出来ないでしょうか?
閑話休題です。あしからず。
最近のコメント