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植物

第192回 「生き残るために―植物編」(2)

Posted on 2016-02-25

 前回の続きです。

 植物の知性の一部を紹介します。

 飛ぶ鳥の群れが何故ぶつからないか不思議と思いませんか?鳥の群れが集合体として造る動作も不思議です。

 

根が何故ぶつからないか

 これに対して著者は面白い解釈をしています。その「解答は単純です。」と。

 「自分の前方と右の鳥から数センチ距離を保て」という基本ルールを全ての鳥に持たせればよいとの解釈です。確かにこのルールを全ての鳥が守れば、ぶつからないことになります。

 鳥と同様に、根端も自分の傍で成長している他の根端から一定の距離を保つように注意しているのではないでしょうか。こうするとお互いの根端がぶつからないで、それぞれの生育を遅らすことにならない工夫を植物はしているからです。

 

鳥の群れの集合体が造る動作と創発行動

 鳥の群れの動きと同様に、植物は分散知能を持っていると説明されています。

 分散知能の下では、生物の各個体が集まって群れをつくる時、個体そのものには存在しない性質が全体として現れ、これを「創発」と言うようですが、植物もこの創発行動をとっています。

 すなわち、環境から情報を入手し、予想・予測し、共有し、処理し利用する能力をはじめ、選択、学習し、記憶する能力を持っています。植物は、最近ではロボット工学や情報科学にとってアイデアの宝庫とも言われます。また、全植物の95%が未開拓で、植物は新薬開発の宝庫とも言われているのも、むべなるかです。

 

分割可能性

 また、人間の各器官はそれぞれ一つで取り換えが不可ですが、植物は地中の根に無数の司令塔を持ち、それぞれの根が分割可能な生き方が出来ます。すなわち、インターネットに似たネットワーク構造を持っています。

 人間が対抗できない力です。

 

植物の尊厳

 2008年スイスから「植物に関する声明の尊厳――植物自身の利益のための植物の倫理的考察」と題する報告書が出ていることが紹介されています。

 植物は単なる物体ではなく、活動的で環境の適応力を持ち、主観的資格の能力を備え、何よりも人間に全く依存しない独自の生き方をしているのだから、尊厳と言う概念を植物に与えて問題はないことを根拠としているようです。驚きです。

 

帰結

 最後になりますが、私たちが住んでいる地球という惑星は、宇宙の辺境に位置する銀河系の全く取るに足らない一惑星にすぎません。すべてのことをこの地球を中心に考える宇宙観を、ひょっとしたら我々は捨てなければならないかもしれません。人間以外の森羅万象と人間を区別するために造り上げたこれまでの常識を捨てることになるかもしれません。

 植物は生まれた時は大きな不自由さを持っています。しかし、諸問題を解決し「生き残る」ために乗り越えていく力を持っている植物のしたたかさを、この本から学び、著者が称する植物の「知性」に脱帽した次第です。ご興味のある方は是非ご一読ください。

 

第191回 「生き残るために―植物編」(1)

Posted on 2016-02-18

 正月、家族からプレゼントされた本を読み、感銘を受けました。

 ここに紹介することで、我々人間が如何に固定観念に縛られているかに気づき、それを打破するきっかけになれば幸いと思い、私がこの本から感銘を受けた部分を今回取り上げさせて頂きました。

 この本は、「植物は『知性』をもっている」というタイトルの本です。イタリア、フィレンツエ大学農学部教授の植物学者、ステファノ・マンクーゾ氏と科学ジャーナリストのアレッサンドラ・ヴィオラ氏の共著です。

 

人間中心の階層化に疑問を呈す

 アリストテレス以来2300年ほども、「人間―他の動物―植物―無生物」という階層・序列を、一般の人びとはあまり意識せずにいました。これに、「植物は動かない」、「感覚を持たない」という間違った考えも加わって、植物は動物より低い階層に位置づけられていると強調しています。

 また、旧約聖書の創世記を読んだ読者が知らず知らずのうちに「植物は生物ではない」という認識を持ったことも、この序列に関係するかもしれないとも述べています。旧約聖書の創世記では、神は動物を創造し、最後に動物の中から最も優れたもの、すなわち人間を創造しています。神は7日間かけて、この創造の仕事をしています。植物は3日目に、人間は6日目に創造しています。植物の光合成機能を考えると、植物が先に存在したのは今の科学の見解とほぼ一致します。

 アダムとイヴに関係して、オリーブの葉とブドウの木は創世記に登場することはご存じの通りです。にもかかわらず、植物らしきものは登場していません。このことは、多分、植物を生物と見做していなかったからと推測されます。

 いずれにしろこれらの間違った常識やそれを主張する学者に、著者が真っ向から挑戦した本です。沢山の植物の行動などの事例を基にして論拠立てて説明していますので、植物が大好きな私は書かれている内容に一気に引き込まれてしまいました。

 

動物は植物なくして生き残れるか?

 学校の生物の授業で学んだ通り、我々人間も属する動物は、植物が作り出した物質やエネルギーを利用しています。一方、植物は太陽エネルギーを自己の必要のために利用していますが、動物に依存しなくても生存できます。

 植物は、太陽エネルギーを化学エネルギーに変換して自分の中に集めて貯めていくという光合成のプロセスによって、光と空気中の二酸化炭素と水が糖類に、つまり高いエネルギーの高分子化合物にかえられるという機能を持っています。

 また、植物は太陽の光からエネルギーを生み出す中心的役割を演じ、それを食す動物を助けることから太陽と動物を繋ぐ媒体となっています。しかも、地球上で生きている多細胞生物の総重量を100とすると、植物の総重量は99.5%だと書かれています。圧倒的に植物が支配していることになります。

 従って、植物は、人間が勝手に区分けした階層の中で、下に方に位置づけられるのでなく、本来主役のはずだとの主張です。

 

我々が抱いている植物に関する常識――動かない、感覚が無い

 植物の動きを人間の近くで捉えにくいから、植物は「動かない」とされていたことに対する反証が書かれています。

 動物系に属する「ゾウリムシ」と植物系に属する「ミドリムシ(ユーグレナ)」を比較し、ミドリムシが光の当たる場所に移動する事例を明示することで、主張の背景を裏づけています。我々が想像する「動く」ことの通念とは違いがありますが、明らかに植物が移動する事例です。

 また、「感覚を持たない」ことについてもいろいろな事例が紹介されています。

 我々動物が5つの感覚を持つのに、植物は動物の感覚に15も加えた20の感覚を持ち、「生き残るために」したたかな戦略を駆使して生き残っていることを説いています。植物が「したたか」に生き残るために、これらの感覚がどう関係しているかに関して詳細に説明されています。

 

知性がない vs 無数の根端の情報処理能力

 階層の下に植物を位置づけする理由の一つが、知性がないとの常識です。

 これに対して、著者はこの見解を間違った知性の定義に基づいた結論ではないかと問うています。知性の定義を拡張することにはいろいろ議論があるかと思いますが、確かに著者の以下の定義も一理あると考え、私は賛同します。

 「脳があるか、無いか」で知性を分類する旧来の概念を、著者は変更、または、修正し、「『生きていく』ために耐え、諸問題を解決しているか否か」を知性の根拠とする概念を定義に持ち込んでいます。これならば、植物も「知性をもっている」ことになります。

 「生きていくために」、植物は、感性を駆使し、コミュニケーションをし、眠り、記憶し、他の種を操ることも出来ることを、植物に関する最近の研究から紹介しているからです。

 この概念に於いて、無数の根端、根の先にある1ミリ未満の部分がそれぞれの植物のキーです。植物を引き抜くと根の先端に位置する部分です。この根端が「生きていくため」の司令塔になっています。根端こそが植物のデータ処理センターの役を持ち、彼らが「生きる」ために重要な部分と説明されていますが、その通りだと思います。

 この「(根端を作動させて)絶えず前線を形成しながら(植物は)進んで行っています。根系全体が一種の集合的な脳で、根は成長しながら栄養を摂取したり、生存に必要な情報を獲得する分散知能として植物の個体を導いていく」と、著者は述べています。

 根端がデータ処理センターだとすると、何処に進めば栄養が補給でき、「生きていくため」の条件が満たせるかをそれぞれの根端がデータ分析して、最善の解答を得ながら植物は生存していることになります。

 これぞ「知性をもっている」ことにならないのでしょうか。