東京電力
最近理解しがたいことがありませんか?
東京電力の要請
最近東京電力が、国家、すなわち我々の税金から1兆円ほどの資本補てん、10%の家庭用電力の値上げ要請、一部の原発の再稼働要請を出したと報じられました。理解しがたいとは思いませんか?もちろんまだ要求段階で、今後政府を含めて様々な検討が行われると思いますが、それにしても、福島の原発で事故が起きた原因究明や検証の結果すら公表されていない今の段階で「何故?」と思わずにはいられません。
私はある会社の経営を託され、一時上場をしていました。株主や金融機関からの資金をもとに必要な投資をし、将来の成長・発展のために全知全能を傾けて経営をしていました。会社に何かがあった時には、まず、株主が迷惑を被ります。金融機関の貸出金が影響を受けます。民間企業は何があっても国家や顧客に何かを要望することはできません。それにひきかえ国のインフラを預かる商売をしていること以外上場会社として全く差のない東京電力が、なぜ将来展望の具体的説明もなしに「フェアーでない」扱いを受けることを要求するのか理解に苦しみます。
株主や金融機関の責任はどうなったのでしょうか?民間企業である東京電力が生き残るために、顧客である国民が一方的に負担を負う、更には、際限なく拡大する国民の負担に誰が責任を負うのでしょうか。そこが分からないのに、顧客がその企業とつきあうことなど到底ありえません。
検察審査会の控訴
また、小沢一郎議員の今回の裁判に関して、彼の好き嫌いは別にして、検察審査会が第一審判決の控訴を申し立てたという報道は理解ができません。
検察審査会の制度の存在意義から考えても、何故、検察審査会に控訴権まで付与するのかまったく分かりません。本来検察審査会には、検察のやり方や検察が組織のいろいろな内部の事情から特別な案件について手心を加えることがないよう、国民の目で監視するという意味において存在意義があったはずです。
今回、裁判官は明確に無罪を言い渡しました。本件に関する、これまでの検察の対応やその判断に対して裁判官が明確にしたのが今回の無罪判決のはずです。従って、控訴云々は先述の検察審査会制度の存在意義からするとおかしいと思いませんか?
そんなことをすれば、特定の人物の冤罪を起こしかねません。司法制度を上手く利用して特定の政治家を抹殺したいと考えた時に、ある機関と結託するなど等この制度を利用する温床となりはしないでしょうか?
事実と証拠にもとづいた判断は、第一審の判決で明確になったと思うのは、私だけでしょうか?いろいろな報道や政府の発言を見るに、裁判とは全く離れて「なぜ小沢氏は有罪にならなかったのか?それがおかしい」と、魔女狩り的に言い続けているとしか思えません。大新聞の報道や社説の論評を見ると、このトーンが如実に出ているのも全く理解しがたいのです。判決の筋論からは関係がない話と思います。
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