才能
第214回 経営者が人格の幅を拡げるには(2)
前回の続きです。
人格を育てる方法
自分の体験です。違う人格を育てるのに以下のようなことをしました。
ある会社の経営を託された時に、経営の師匠と仰げる人が幸い近くにいました。
その人のやり方などの技法を学ぶ人が多くいましたが、私は、それには余り興味がありませんでした。その人の才能というか人格を学ぶ、盗む努力をし、お陰で私に備わっていない才能を沢山学ばせてもらいました。
しかも、その才能は自分が一番苦手とするものでした。自分の性格に向いていないと勝手に判断していましたが、それでは経営者が勤まらないことを分かっていました。意外なことに、やっていくうちに自分の隠れた人格を育てることに成功しました。
人格を育てた効果
この結果、
第一に、人を見る見方の幅がうんと大きくなったように思います。部下の気持ちや相手の気持ちが分かるようになりました。今、経営コンサルタントとして経営者を指導していると、この新たな人格が大いに役立っています。
第二に、いろいろな人の状況や心境に合わせて、それに適した人格で対応できるようになりました。顧客にあって、瞬時に状況に合わせた自分の人格を引き出せるようになりました。
第三に、多重人格をマネジメントする努力をしていくうちに、自分自身の心の中の欲と言うかエゴを、少しく静かにみつめることが出来ようになりました。
瞑想の訓練とも関係があると思いますが、自分の心の中のエゴを「何とかしよう」とするのでなく「そういうエゴが心のどこかにあるのだ」と、第三者的に観察できる時もあります。
これが人格のマネジメントかもしれませんがこれを繰り返していくうちに、面白いことが起きました。
経営再建の始めの頃は、再建のために何とかしなければ自分が失敗経営者の烙印を押されると、どちらかといえば利己的に発想する人格の持ち主でした。
ところが、ある段階になると、自分は社員の幸福のために頑張らないといけないと考える視点に完全に変わり、更にその後、社会的存在価値のある会社にして、全ての社員が幸せ感を感じられる会社にしたいと、本心で考えるようになりました。この詳細は、『これからの課長の仕事』をご参照ください。
小さなエゴからそれを包含して、だんだん大きなエゴに成長していたことになります。自分の志や使命感が健全な社会の発展につながってくるような変貌を遂げてきたことを覚えています。
ご参考になれば幸いです。
第213回 経営者が人格の幅を拡げるには(1)
複数の人格が同一人物の中に潜むという意味で、経営者は、若しくは、ほとんどの人間が、ある種の多重人格者だと思います。
複数の人格
そう言う私も、下に述べる定義による多重人格の一人です。
私は約20年位ある会社の経営者でしたが、社員の心を一つにまとめるために、会社のビジョンや将来像を熱く語りました。ある種の「夢」の実現に向けて自分の思いや志を熱く語っていました。
その一方で、毎月の社長点検時には、計画の数字の達成に厳しく質問攻めで望み、ある意味で「数字の鬼」となっていました。そうしないと、企業として社会的存在価値が断たれる可能性があったからです。
このように、同一の私に複数の人格がおり、置かれた状況や立場で「異なる人格で対処していた」ことになります。
人格とは
ここで人格とは何かです。
「あの人はxxの様な人だ。」と言いますが、実はこれが人格だと考えています。このxxに、普通は何が入るのでしょうか。
真面目、数字に強い、手先が器用、細かい仕事が得意、人の面倒見がよい、陰険などなどが入ります。この言葉群を見ると、ほとんど才能と言ってもよいかもしれません。すなわち、嘘を絶対につかない優れた才能、理論的に思考する才能、繊細で細やかな作業を好む才能、マネジメントが得意な才能などの、才能群が浮かびます。
多くの才能の持ち主
従って、多重人格とは、肯定的にとらえると多くの才能の持ち主だということにつながります。多くの人格のうち、現時点ではその一つが表現されているのです。
課長のレベルで必要な才能が出ていたとしても、その人が経営者になって暫くすると、本人が深層的にもっていた隠れた才能が、社長職と言う状況や環境の変化で開花する人もいます。
立場や状況に即して、人格が自分の中に育ち、表に出てくるのです。なお、よく心理学者が議論する幼少期の虐待の体験者は、この事実を強く抑圧されて表面に出ないようにしているといわれていますが、このような抑圧された人格の議論に関しては、私の範疇を超えたものとなりますのでここでの対象外とさせていただきます。
人格を育てる
上記のような特殊な場合を除いた人格については、わたしはマネジメント出来ると考えています。
それでは、表の人格に加えて隠れた人格双方を開花させるにはどうすればよいかを取り上げます。これを取り上げるほうが皆さまの生活がより豊かになるからです。
答えは、人格を「変える」のでなく、隠れた部分を「育てる」発想です。
皆、長年生きて、自分の人格を形成してきているはずです。育った生活環境、友人や会った人物、家族の影響、海外体験など様々な生後の影響により形成されてきたものです。
現実にはその人格を自分でコントロールできない場合も発生します。
このような場合には、変えようとせず、それはそれとして、新たな人格を育てる努力をすれば良いのではないでしょうか。
個人的には、短気で結論を急ぐ人格の持ち主でした。それを自分で意識していたので、私自身、のんびり相手のことを聞く人格を育てる努力をしました。経営者になってからです。相手に寛容になる修業を自分の中でしたつもりです。自分で言うのもおかしいですが、そのような人格を演じていると、しばらくしたら、それが自分の中に「育ち」、意識的に必要な努力をしなくとも出来るようになりました。
経営の指導を要請されるときなど、この体験のメリットにより、その経営者の心の在りようが何となく自分の内面に映り、鮮明に分かるように感じることがあります。その経営者が落とし穴にはまり失敗しないようにアドバイスするために大いに役立っています。
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