店頭公開
嬉しいことが沢山ありますか?(2)
嬉しいことシリーズの続きです。
嬉しいこと(3)-考え方の具体化
アドバイスをしているある会社の役員である岩田俊行さん、遠藤紀妃子さんが2012年春頃の会議で人事考課の基本的な考え方を描いた絵をだしたのを見た時、小さいことですが大変嬉しい気持ちでした。
顧客にサービスを提供するにあたり、各社員はその年度の目標を持ちそれぞれの社員がいろいろな機能実行に関係し、評価を受けます。「人事考課は単に数字がどうのこうのを超えたものが関係します」と、顧客重視の姿勢の趣旨を絵に描いて紹介されたのです。
顧客の要望や満足をさらに増大させるためにどうするかが基本的に問われるもので、サービス提供の導線の中で、社員が自己のスキルを磨きながら顧客に向いてどう仕事をするかを評価で重視すべきであると、私は考えています。これを先述の二人が人事考課に上手く関係させてくれたのです。
社員にとって評価ほど関心が高いことはありません。その会社の桑原知之社長が日常強く説いていることを人事考課に反映させることで会社を変化させる有効な武器とする大きなステップを踏み出したことが大変嬉しく思いました。
嬉しいこと(4)–きずな
また、フェイスブックでも紹介しましたが、2012年春にも自分自身にとって嬉しいことがありました。私が久しぶりにあるゴルフ場に行ったら、たまたま組み合わせで同伴になったパートナーから「園山さん、本を読みました。」と、私が書いた『これからの社長の仕事』のことを突然話題に出されたのです。
私のことをほとんど知らない方と私は勝手に思っていただけに、その方が私の本を通じてこんなにも「つながっている」ことを知って本当にうれしかったのです。
本の威力です。
さらに、つづけて嬉しかったのは、この内容をフェイスブックに載せたところ、中島大希くんから書き込みがありました。「(園山さんが)コミュニケーションの世界を広めたかもしれませんね。今、『農耕型企業風土』づくりのロードマップのところを読んでいます。」と、ありました。
彼が『これからの社長の仕事』を読んで勉強してくれていたことと、彼のように勉強熱心な若手の経営者を指導する材料を提供できたことで更に嬉しくなってきました。
嬉しいこと(5)―株式上場廃止の最後の株主総会
今でも忘れられない2004年の株主総会後のシーンです。会社がファンドを主体の株主構成となり株式の上場を廃止することが決定をしました。
法の定める手順に従って既存株主から株式の買取をすすめていましたが、栃木県にお住まいのある個人株主の方が最後まで買取請求に反対されていました。会社の担当が交渉に何度も行ったのですが、「この会社が好きだ。なんで上場を廃止するのだ。株式を持ち続けたい。」の一点張り。
この株主は毎回株主総会にご出席の下さり、建設的な質問をされる方でした。本当に会社のファンの一人だったと思っています。紆余曲折あった末最後には、買取請求に応諾されました。
最後の株主総会で、その個人株主の方がこれまでの私の経営を高く評価する発言をされたのを記憶していますが、なんと株主総会が終了した後、私に駆け寄り、「これをどうぞ。これまでありがとうございました。」と、お菓子のお土産を私に手渡されたのです。
涙が出るほど嬉しかったのを記憶しています。経営者冥利に尽きる瞬間でした。
嬉しいことが沢山ありますか?(1)
嬉しいこと(1)-勉強会
「わくわく元気会」の三つの部会が2012年3月頃から動き出し、盛んに議論が進んでいるのも個人的に嬉しい限りです。
松下信武氏の「コーチング品質保証コミュニテイー」と金丸徳久氏の「“こころ”応援コミュニテイー」、さらに、中島大希氏の「経営者育成部会(園山塾)」です。業種や経歴が全く違う方々がこの勉強会に参加され違う視点での見方を披瀝されるのは刺激的です。
いずれの部会も私の主張する「農耕型企業風土」づくりを通じて会社の中・長期的成長を遂げる為に、人間臭い経営をどう推進していくかや組織の中での人間の心の部分にタッチする勉強会です。
違う専門の立場からの意見交換を通じて、半年後、1年後に「わくわく元気会」から何か新しいものが出来あがる予感がします。嬉しい限りです。
嬉しい記憶(2)-店頭公開直後の「祝う会」
①2012年春、私が二冊の本をネットスクール出版から出版した後、東京と大阪において「出版を祝う会」を有志が主催・開催してくれました。こんなにも沢山の方々が参集してくれ感謝感激です。皆が集まれる「場」を用意出来たことも嬉しい限りです。
②また、1987年にある会社の経営を引き受けてからいろいろな苦難を乗り越えて、1994年に店頭公開(当時は、この制度がありました)にこぎつけた時は、別な意味の「祝う会」で感無量だった記憶があります。
実は、それ以前、社員に、店頭公開に至るまでの苦労のことは一切明示的に話していませんでした。なぜなら、これから成長する若者に経営者の過去の苦労話、金銭や手形ジャンプ等の折衝や裁判に関わる心理的プレッシャーなどを話しても余り意味がないと日頃から思っていたからです。それよりも、もっと前向きな話をした方が、彼らには有益な財産になると思っていました。
店頭公開した直後の事業計画発表会(上半期)。私の自筆の原稿骨子案を見た当時の役員の一人から、「少し、過去の苦労話を入れていただいたほうが良いのではないでしょうか?」との依頼を受けた時に、しばらくどうするか悩みました。
それではと、ほんの一行だけ入れました。
「当社は、本日店頭公開を祝えるほどになりましたが、この会社には、過去苦難の道のりがありました。これを多数の方々の協力と並々ならぬ努力で解決・克服して今日があることを、皆様忘れないで頂きたい」と。
今でも明確に覚えています。公式に、社員の前で過去の苦労を披歴したのは、この時が初めてで最後でした。
この時、過去の苦難を思い起こすと同時に、次の世代の若者にはこんな後ろ向きな仕事はさせまいとの思いで、自分でも涙が出そうになり、声が詰まったのを覚えています。
私の講話が終了して席に戻った時、CSKの創業者、故大川功会長が、「園山、大変だったなぁ!!」と声をかけてくれましたが、経営者として私の気持ちを一番良く分かってくれたのが嬉しいかぎりでした。
③この事業計画発表会直後の二次会のことも記念すべきことでした。
お客様への挨拶回り、次の期の事業計画の戦略策定と、時間がいくらあっても足りない状態でした。やっと、「六つの約束」として公約した店頭公開を約束して6年後に達成できたのです。疲労困憊するとは、このことかと思うほど本当に疲れ切った状態でした。
その最中での「祝う会」で、連獅子の舞いを踊ることになりました。どこかの有名なテレビ局から借りてきた大変豪華で貴重な衣装でした。
忙しい中ですので、一、二回簡単な練習をしたのみで、私はいきなり本番。齋藤和男君が赤獅子、私が白獅子を演ずるもので、二人で首を何回も回す例のしぐさをすると拍手喝さいですが、私はふらつくほどでした。当時の写真を見ると明らかに疲労困憊の様子が分かりますが、それでも社員を鼓舞すべく踊りました。
連獅子踊りの最後に社員が私を騎馬戦よろしく肩車し、直後に私が上から飛び降りて締めるのですが、ドライアイスの煙幕で下が見えません。舞台の台座から外れた場所におちる羽目になるほどの危険を伴いましたが、すんでのところで新入社員が何とか支えてくれ危険に逢わなかったことを、思い起こします。
本当に嬉しい思いをしました。
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