クセ
第216回 不合理な判断のクセ
ほとんどの人間は、自分は合理的な思考をしていると思っています。何かを購入する時の判断も、自分の消費行動を合理的と言いたいのが常です。
しかし、果たしてそうでしょうか。自分の経験に照らしても、人間はかなり不合理な判断やそれから来る行動をしている場合が多いと気づきます。それに気づいて、少しでも合理的な判断をしようと努力していますが、いまだに不十分です。
一部の選択肢からの判断するクセ
1.人間は選択肢が沢山ある場合、かえって情報過多に陥り迷います。本来、それらの情報の中から無駄なものを省き、その中からあらゆる可能性を考えて適切に判断を下すのが正しいことも分かっています。
現実には誰でも、自分の頭の中に浮かんだ一部の選択肢のみに注目して、それから判断する傾向があります。それで満足してしまうのです。しかし、本当にそれで良い判断が出来たのか。その時に自分の都合の良さそうな事象で判断して満足する傾向があることを忘れてはなりません。
最初の強烈な情報をもとにした判断のクセ
2.しかも、世の中の沢山ある情報の中で、自分が強い印象を受けた事象や最初に頭に浮かんだ事象を下にして判断していることがどんなに多いことか。
このリスクを少しでも回避しようと、私はある時期から、それらの情報を一定期間メモの形で寝かせておくことにしました。手帳に挟んだpost-itを利用することが多いです。
出会ったときには強烈な印象をもたらした事象も、時間を経てpost-itの内容を見ると意外にも最初の強烈さがどこかに飛んでしまうことがあります。
このことで少しでも客観的で合理的な判断をする努力をしていました。
一部で全体を決める判断のクセ
3.さらに、沢山ある情報の中で、ある部分がその全体を決めることにつながることが如何に多いことかも思い知っています。
脳の構造とも関係があるかもしれません。人間が反応することの多くは、感覚的な情報からです。その感覚で強烈な印象を持つと、他の部分もその印象に引っ張られてしまるようです。
犯人像も一例です。指名手配の写真を見ると、そのことが目立ち、彼のすべての人格を悪と決めてしまうクセを持っています。
現実には、その人の良い所も沢山あるはずです。何かのきっかけで罪を犯すことになったかもしれません。しかし、我々一般的な人間はその写真一枚で彼の他の部分も見る癖があります。
これを少しでも回避すべく、私は人をできるだけ多面的に見ることにしています。特定の社員の噂もしかり。ある人物を誹謗中傷する情報が流れると、その人物の全体をすべてその情報に紐づけてみるようはことを止め、「本当にそうかな?」と特定情報から感覚的に判断するのでなく、事実に戻り、それをもとにして判断する努力をしています。
それまでの判断を踏襲する判断のクセ
4.過去の判断が誤っているのに、その踏襲をするクセが人間にはあります。経営上、特定の判断で失敗したのに、更に多くの追加投資することも知っています。
ビジネス社会で、その失敗が大先輩の判断である場合、余計たいへんです。しかし、考えてみると、その組織全体でみる限り、犠牲を最小限に食い止めるのが経営者の役目です。摩擦を恐れず最大限合理的判断をする行動努力を惜しんではなりません。
自分の力を過信した判断のクセ
5.サンプルの数が多いほど信頼性の高いデータが出ますが、人間には、自分の判断能力を過信するのみならず、状況をコントロールできる力があると過信することがあることです。ほとんどの人が学校で学んで分かっているにも関わらず、現実の判断では忘れがちになり自分を過信します。
サンプルの数が多いと、そのサンプル次第で偶然に左右されることが少ないのです。例えばコインの裏と表をトスで決める方法がありますが、偶然、裏や表が出るのみで、これを一万回やればほぼ、50%の確立になることも、皆知識としては知っています。
にもかかわらず、現実には、このような判断をしないで自分勝手な判断をすることが多いのです。
実力を反映しない判断のクセ
6.何事も、自分の実力の平均に近づくことを忘れがちです。経営上もしかりです。
ある偶然で、良い経営結果が出た。ところが翌年は出なかったことで悩むものですが、良く考えてみると、自分の実力以上のことが昨年出来ただけで、それらと今年の実績を合計すると、実力の範囲内であることを忘れがちになります。
悩むより、自分の経営の実力をあげるために勉強することが先の筈です。ところがこう考えないのが人間のクセです。立派な経営者は不合理な判断をする人間のクセに気づき、柔軟に考え方や行動を修正する力が強いのではないでしょうか。
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