財政
第180回 多極化時代の世界とアメリカの現状から学ぶこと(10)
前回の続きです。
日本の文明を維持するために
この項の最後に、過去繁栄した国が何故衰えたかについて少し考えて見ます。誇れる日本の文明を維持していくためです。
地中海の覇者、ベネチアは、大昔ほど栄えていないのが事実です。この共和国が何故衰退したのでしょうか。
技術進歩でリードする
800年頃東ローマ帝国の自治領として誕生し、地中海の覇者として隆盛していましたが、1796年ナにポレオンにより滅ぼされ、1100年の歴史に幕を下ろしました。ベネチア共和国滅亡の原因は何かです。
一つは、技術革新への対応の遅れが指摘されています。
当時の軍船は漕ぎ手が奴隷などの人的エネルギーでしたが、15世紀にポルトガルが帆船を開発しました。
また、大航海時代に入り地勢学的に重要性が低下したことも原因です。カイロが東方貿易の主流になり、拠点はポルトガルのリスボン等大西洋に面した港湾都市になりました。ベネチアは地中海という内海の中心でしかなくなりました。このことで、人々の通商意欲が衰退してしまいました。
幸いなことに、日本はシーレーンの問題はあるとしても、地政学的にベネチアほど大きな弱さは発生していません。 しかし、技術進歩をリードする力が一つの文明を守っていくのに如何に重要かを、この国の歴史から学べるところだと思います。
また、カルタゴは地中海の南側のアフリカ大陸北岸(今のチュニジア共和国あたり)で紀元前10世紀ごろまで海洋国家として長く栄えていたことを、我々も世界史で学びました。この北側に栄えたもう一つの都市国家ローマがあり、常に意識する存在でした。
経済至上主義にかたより過ぎず、政治や文化などの充実
カルタゴの滅亡の原因です。
カルタゴは豊富な農産物と造船技術で交易を発展させた経済国家でした。富の獲得に血眼になり、政治的、文化的、倫理的な進歩が遅れました。経済至上主義を貫いていたのです。
勿論軍備も備えていました。海軍は自国民でしたが、陸軍は大半が傭兵で、戦時にこの傭兵に依存していました。傭兵の目的は金銭で、自国のための意識が薄かったのです。他人依存の状態と言ってよいでしょう。日本の安全保障問題とも関係します。
カルタゴは経済的、軍事的に対立国のローマに脅威を抱かせ存在であったことが特徴的です。そのように力をつけている隣国を滅亡させるべしとの世論をローマ市民は持ち、戦争の機運が高まり第三次ポエニ戦争が開戦になりました。この二つの国は、三回のポエニ戦争で130年以上戦争し、最終的にカルタゴが世界史から消滅してしまいました。
今や、軍事では国の文明を維持できない時代になっています。隣国との外交関係を重視しなければならないのは当然としても、経済至上主義ではなく、国家としての政治的、文化的、倫理的な進歩の重要性をカルタゴの衰退から学びます。我々は教育を通じて、今後の日本を支える傑出した人材を育成していかなければなりません。
この教育は、私などが受けた画一で同一的なものでなく、新しい日本をつくる心意気を推し進める非画一的で創造性豊かな人物をつくるものが望まれます。過去の価値観や制度が意味を失いつつある現在では、全く別の新しい教育概念や制度を導入しなければならないと思います。
以上、多極化時代の世界で日本がどう生き延びていくかに関して、約2か月かけて述べさせていただきました。
第179回 多極化時代の世界とアメリカの現状から学ぶこと(9)
前回の続きです。
どうすれば良いか、解決策はあるか
先週のコラムで、個人の収入、支出に引き直して、日本の財政の問題点を浮彫にしました。この問題点から、
第1点は、どうやって収入を増やすか、
第2点は、どうやって支出を減らすか、
第3点は、その結果、どうやってローン残高を減らしていけるかを考えてみます。
収入、すなわち、税金の収入は簡単に増えるのか
個人の所得税率を更に上げるのは、いろいろな反対が出てきます。そこで、法人からの税率をあげられるかを考えると、これも厳しいです。日本が魅力的な投資国家であるためには、法人税の率が今は高すぎるので、逆に引き下げの圧力が出てきます。
税率を引き下げることで沢山の企業が日本に誘致され、彼らが旺盛な投資を実行し成長してくれれば、税率の引き下げを埋め合わせに足るとのストーリーが、現実議論されています。しかし、これでも二桁の成長率は望めません。成熟社会のステージにある日本が数パーセントの成長率で満足しなければならない段階に入ってきているからです。
消費税が5%から8%に、更に、2017年には10%へと引き上げられることが予定されていますが、仮に10%に引き上げても、計算上、税収は大きく増加しません。 成熟段階にありながらも、帰結として経済が成長しない限り、税収は増えないことになります。
従って、通常のやり方ではない方法が必要です。毎年、同じように予算を配分するのでなく、大きく重点を置いたやり方にしては如何でしょう。
付加価値の高い新しい産業を育てて世界を引っ張っていけるようなものです。既存の技術に新しい技術を組み合わせて、付加価値の高さで他の国と違う取り組みこそ早急に進めるべきです。
しかもその取り組みをすることが税制などでもメリットがあるような制度設計を国全体で早期に取り組むべきと考えます。
支出を減らすことが可能か
今は少子化で社会保障費の赤字が膨らみ、毎年多額の国債を発行して帳尻をあわせている状態です。
しかも社会保障費は、毎年数パーセント、約2.6兆円ずつ増えてきているのが現実です。消費税の増分(10%で約13.5兆円の増加)をすぐ食ってしまうほどです。高齢化社会で受給者が増えてきているからです。
支出を減らせるどころか、社会保障制度の抜本的改革がない限り、むしろ支出が増える傾向になりそうです。
これは、ある意味で当然のことです。若者が、増加する高齢者をささえる方式である「賦課方式」では、誰が考えても先は見えません。2000年には3.6人の若者が1人の高齢者を養う状態でしたが、今の制度だと、2050年には1.4人が1人を養うことになります。
日本の「賦課方式」の制度は、現役世代の払った保険料を高齢者に給付する「世代間扶養」の制度ですので、少子化で現役世代が減少すれば、高齢化社会では、この制度が行き詰るのは当たり前のことです。公的年金の支給開始年度を引き上げても、それは根本的な解決にはなりません。
少子化、高齢化社会で現方式は限界
このことは現在の「賦課方式」の構想を抜本的に変えない限り、支出の大幅な減少につながらず、日本が「財政破綻」への道を歩むことを物語っています。 早急に新しい方式を政府が提案し、国民の議論の過程を経て、改革に取り組むべきです。
そもそも過去の制度の前提は、定年になったら退職する、働くという辛いことから解放され、定年退職後は隠居して自由時間を使い人生をエンジョイする想定です。
しかし、現実は、この想定とは違うのを見聞きします。
特に男性です。暇を持て余したり、少額の年金で生活が苦しくなったり、仕事がないことで社会からの疎外感を味わって病気になる人が多いと、私は見聞きしています。余りにも、貧弱な社会制度がもたらしてきたものです。
彼らが仕事をしていない、働いていない、若い頃の経験が活かせる社会的仕組みがないことが最大の原因なのです。
年令を問わず働く環境インフラ
これを解決するには、退職者も無理なく働ける社会的インフラの整備が不可欠なのです。インフラと企業組織を造り直さねばならないと考えます。
高齢者の体力には配慮しなければなりません。時間的自由度も配慮しなければなりません。高齢者の古い知識を再整備やレベルアップ出来る、低コストの再学習機関の充実なども必要とします。
働くことを生活だけのためにするという過去の意識、それを前提とした定年制度や長時間労働の横行する労働環境を改革しなければなりません。年老いてまで働きたくないと思われる今の職場を、老いも若きも全員参加できる職場に抜本的に変える必要がるのではないでしょうか。
更に、公務員の給与などの改革が不可欠です。ギリシャの例を持ち出すまでもなく、公務員は既得権益を守るため、員数や予算枠を増加させる方向に向かう傾向があります。公務員の仕事は経営的尺度で測りづらいので、給与の値下げ圧力が低いのが一般的です。官僚の反対を押し切ってでも、国家の存亡のために、この膨張傾向を食い止めることができる政治家が出てくるのが待望されます。
最後に、ローン残高の減らし方
徳政令などよほどのマジックが無い限り、毎年の収入から借金を返済するわけですから、上に記載の通り、抜本的な取り組みをしない限り論理的に減少することはありません。
早期に歳入と歳出の抜本策に取り組み、日本が財政破たんのルートから逸れるよう国民全体の課題として考えなければならないと思います。
第178回 多極化時代の世界とアメリカの現状から学ぶこと(8)
以下、前回の続きです。
日本の財政状態の図式
先述の通り、日本国家の借金が1000兆円を越えており、明らかに財政が危機状態にあります。GDP比率230%ということは2年超分の借金があるということになります。
平成25年度の国の一般会計予算は歳出が92兆円、歳入が47兆円(内、税金と印紙税収入は43兆円。これに国有財産の売却などを合計して47兆円)ですから、45兆円が不足しています。
この予算案は単位が大きすぎて身近に感じません。そこでこれを個人の家計の収入と支出に引き直して説明した記事が、以前日経新聞に出ていたのを思い出して、これを一部修正の上数字をあてはめて説明してみます。
年収470万円の家計で支出が920万円
夫の収入(税収)が430万円、妻のパート収入(国有財産の売却など)などの副収入が40万円で、合計収入が470万円の家計です。そんなに裕福で無い若者の家計を想定したら良いでしょうか。
この家計、支出面が大変です。
おじいちゃんの医療費など(社会保障費関連)が270万円、郷里への仕送り(地方交付税)が180万円、防犯(防衛費)に50万円、教育費(文教費)に56万円、家の修理(公共事業費)に58万円、その他いろいろも合計すると、支出が合計でなんと920万円にもなります。
すなわち、450万円が家計赤字で不足の状態の家計です。
赤字国債と借金
この不足分450万円を、新たな借金(国債発行)をしてまかなっていますが、このうち、220万円が過去のローン(国債)の返済(償還と金利)に充当されている状態です。借金とその返済という自転車操業状態の火の車の家計が、今の日本です。 このように、日本は家計の支出の半分を借金で工面している異常な状態です。
夫の収入も増えない中、おじいちゃんの医療費や郷里への仕送りは増えていく状態です。
結果として、ローンの残高(国債の残高)は、年収470万円の家計で1億円(年収の20倍強)になり家計の首が回らないといった状態です。
同じ話を国家レベルに戻しますと、92兆円の財政の約半分、45兆円の不足を国債(借金)でまかなっているのが現状です。借金である以上、返済期日(満期)が来たら返済しなければなりません。このための「国債費」が平成25年度の場合、22兆円、すなわち、45兆円の内、22兆円が国債の償還費(約11兆円)と国債の利子(約10兆円)の返済のために充当されている現状です。
日本は、1970年代以前からこのパターンでしたが、赤字の規模が当時はうんと低かったと思います。結果として、借金(国債の残高)、ローンの残高が家計レベルにすると1億円になった状態です。
今のところ、家計の金融資産は、過去の遺産相続か何かで約1.1億円あるのでしばらく安心という意見を吐く人もいます。しかし、こんなことを信用して良いのでしょうか。金融資産はいつでも目減りしてしまいます。
目減りしやすい金融資産
資産側から見ると、確かに、日本の家計の金融資産は、約1100兆円あるとの統計資料があります。金融資産が国の借金1000兆円を上まっているので、これまで日本政府発行の国債を国内で消化出来ました。しかし、この幅が減少傾向のようです。高齢化社会を迎えて、金融資産を取り崩すリタイア人口が増えてくるからです。また、金融資産の中身としてアメリカ国債も相当の比率を占めていると言われます。
負債側の方を見ると、日本政府発行の国債の購入者は95%位が国内消化です。すなわち、国内の保険会社や金融機関の購入で、海外が8.4%(以前は5%)マイノリティなのが日本の特徴です。従って、「海外の投資家の売りにあわないから、日本の国債が暴落しないのだ。」と、言われています。日本がギリシャなどとの大きな違いを述べる人々が、よく使う言葉です。
理論経済学で学んだとおり、国債の価格は長期金利と連動しています。金利iが下がれば国債の価格Pが上がります。国債の人気が高いときは入札で金利が安くなりますが、その国の信用度が下がると国債価格が下がり、金利iが上がり、国債の発行政府,日本は資金繰りが困難になり国債の利払いができなくなります。
このようにある日突然、日本の国債が暴落するかもしれないリスクは無いと誰が保証できるのでしょうか。遂には借金が返済できなくなり、いわゆる財政破綻となるリスクです。
第177回 多極化時代の世界とアメリカの現状から学ぶこと(7)
前回の続きです。
ギリシャの轍を踏まないこと
ところで、所得格差が拡大しないように我々がいくら頑張っても、日本の財政が破たんしたのでは、元も子もありません。ここで、ギリシャを例に挙げながら、日本の財政がどうなっているのかを俯瞰してみます。
アメリカの財政が厳しいという内容を、このコラムの中で述べました。実は、それよりも大変な国があります。よく話題に上るギリシャです。日本の現状を語るのに参考になりますので、少し、横道にそれますが話題とします。
今回のコラムのために、ギリシャのことを調べてみました。
端的に言えば、かつてアメリカでやったと同じカネのばら撒きが、ギリシャで起きました。沢山増刷したこのカネを国有企業に導入しすぎたのが、ギリシャの財政破たんの始まりのようです。
すなわち、1974年、それまでの軍事政権から選挙で社会主義政権へ移行したのは良かったのですが、ここで政権は労働者主権を標榜しすぎて、市場にカネをばらまく政策をとりました。
この時期、ヨーロッパ各国がある意味でヨーロッパの起源たるギリシャを何とか仲間に入れたいと積極的にギリシャを口説き、1981年、ギリシャはEUの前身のECに正式に加盟しました。
このような連盟に加盟すると、インフラ等各種投資に沢山の補助金が出るとのことです。高速道路などは、自国の負担は1/3くらいで、残りは連盟が補助してくれるとの話も聞きました。ギリシャに入るこの補助金を財源として、その金を国営企業づくりに利用したようです。選挙の票の見返りに国営企業の職とポジションを斡旋するという安易な政治をやり、結局、新聞でよく記事になる通り、4~5人に1人が公務員がとなることになったようです。
2001年にユーロ圏に入りますが、1ユーロが300ドラクマ以上となり、国民の通貨感覚が麻痺してしまったと、ある本に記載されていました。国が大インフレとなり、金銭感覚がマヒして国民の消費グセもついてしまったようです。
ユーロ加盟でギリシャの信用が増大し、外国からの資金が流入(この背景にヨーロッパ、特にドイツの銀行がいろいろな儲け話に関係し、資金流入に積極的に動いたとの噂も耳にします)し、庶民に貸付(かなり外貨で貸し付け)し、政府は大量の国債を発行したとのことです。
これ以後に起きることは当然の帰結です。
2010年に財政危機が表面化し、2011-12年頃から国民の生活が激変したと言われます。国民の大多数の給与、年金がダウンし、新税制導入で、企業倒産、雇用の解雇の嵐となったことが新聞報道で記憶に新しいと思います。
この危機を、EUからの特別支援で一時的に何とか乗り切ったように見えました。
しかし、2015年、EU内部もギリシャに対して強硬路線をとるようになりました。結局、ギリシャの新首相もぎりぎりの線で交渉を妥結させ、返済期限4か月の延長で合意し、国の破産宣告がなくなりました。これまで以上に国民に緊縮財政を強いることとなりますが、25才で65%が失業中であるにも拘わらず、自分の不利益には「ノー」で、3Kの仕事などは違法滞在の外国人にやらせるこの国民を、何度も選挙を繰り返し選ばれる、時の政権が納得させられるかはなはだ疑問で、財政破たんの問題の先送りとしか、私には見えません。
日本の金融政策のトリック
ギリシャのケースは極端としても、日本の財政赤字も放置できないほどだと言われます。特に経常収入で経常支出を賄うプライマリーバランスが問題です。アメリカが財政赤字を縮小するために軍事予算を減らすなど、いろいろとやっていますが、日本ではどうすれば良いのでしょうか。
日本の借金は、1000兆円です。毎年の収入、すなわち、GDP(安倍首相が最近600兆円を目指すと言っています)の2年超であるという事実です。
この財政を立て直すべく側面援助で黒田日銀総裁が行った「異次元の金融緩和」策は、デフレからの脱却と称していました。日銀が2年間で市場に供給する通貨の量を2倍に増やし、2%(最近この時期が曖昧になってきました)の消費者物価上昇率を達成するというものです。
しかし、これには、誰が考えてもすぐ分かるトリックが潜んでいます。
政府の財政赤字を日銀が穴埋めすることに他ならないものだからです。カネを市場に供給するかに見えて、実はそこで還流した金を日銀が引き受けている方式です。国の借金を国の一部の日銀が引き受けている構図です。
またこの策は、株高がずっと続き、税金の増加と国民の消費増加で財政赤字が軽減するというストーリーです。しかし、国債市場が危機に瀕している日本で、これが上手くいくわけがないとの見方もあります。
国内の成長企業が多くなるほど、投資資金が国債から株式などに向かい、国債市場が有力な買い手を失うことにもなるとの皮肉な議論もあります。こうなると公的年金の債券離れが生じて、国債の金利高騰への影響が無視できないほどになります。
後述する通り、歳出の半分近くを国債で賄う恒常的な赤字体質と少子高齢化に悩む日本の場合、将来の財政が好転する展望が描きにくい状態です。ある日突然ギリシャのようにならないと誰が断言できるのでしょうか。
第176回 多極化時代の世界とアメリカの現状から学ぶこと(6)
前回からの続きです。
地方の疲弊と街づくりのコンセプト欠如
人口が減った上、首都や一部の大都市に経済活動が一極集中する弊害に対して、現政権でも大きなかじ取りをしているようには見えないのが残念です。過去には、人、物、金、知恵が三大都市に集中していたメリットも沢山ありました。しかし、今はどうでしょう。国家の戦略自体が分散型に変わったはずなのに、実体は、「なるようになる」的にしかなっていないと映ります。
特に、地方が悲惨です。
地方で得意なはずの農業、漁業、林業を含む経済活動が、活性化しているとは、とても思えません。私の出身地の出雲の田舎でもペンペン草が生い茂り、前の湖の景色全体も雑木が生い茂って何とも殺風景な景観になりました。これまで耕作されていた湖付近の田んぼも休耕となり、葦が繁茂して湖が見えなくなっている状態です。
景色を懐かしく思っても意味が薄いのですが、仮に観光などで栄える街にしようとの発想があるなら、行政としてのやり方、予算の配分などで一考するところが多いのではないかと思います。
村が町になり、市に統合されても何も変わらないのは何故でしょう。
それではまずいと、一部の中都市では、少ない人口を特定の地域に集約化して、住民の機能を集中する議論がなされています。この集約化で数十万の人口を集積させ、コンセプトを明確にした都市をつくるのも一つの方法です。例えば、観光、ハイテク、林業と材木加工、漁業と加工生産など特色あるコンセプトに衣替えし、特色ある街にするのも地方の活性化につながるのではないかと考えます。
その衣替えを実施する場合、競争原理を導入していく必要を感じます。地方のサービスの生産性は、アメリカの地方のそれに完全に負けています。
ローカルの疲弊の原因は、不完全競争が一般的なので、問題点があからさまに出にくい環境があるのも一因です。これでは、なかなか雇用の淘汰や移動が起きにくく、サービス生産性は落ちます。結果、地方の企業が共倒れ状態になります。
この労働移動を促進するには、地方では金融機関がカギだと考えます。自治体との協力の下、経済性を前面に出し、淘汰した企業の雇用を吸収出来る新しい産業を起こすコンセプトを実行に移すため、地方では金融機関が大きな役割を果たせるのではないでしょうか。
所得格差の萌芽
日本にもアメリカ流の考え方がビジネスの世界でいろいろ導入されてきています。もちろん良いものも沢山あります。しかし、考えさせられることも沢山あります。
一つは、経営者の報酬です。ある有名なメーカーでは外国人を社長に据え付け、多額の報酬を約束しました。その金額は、普通のビジネスマンの年収の100倍ほどです。
この金額が妥当か否かにはいろいろ議論があります。しかし、どんなに優秀な経営者でも、一生懸命に仕事をする社員100人分の働きをするのでしょうか。経営の仕事と普通の仕事は違うと主張しますが、私の経営体験では、その差額が妥当なほどのリーダーシップがどんなものかについては大いに疑問を感じる次第です。この報酬体系が、今後所得格差を大きくする原因の一つです。
もう一つは、金融業に従事する人の給与です。
現時点の日本では、アメリカほど金融がビジネス界を凌駕していないのが幸いです。金融界で仕事をする人々で異常に高額な給与を得ているビジネスマンは、外資系などの一握りの人びとです。成功報酬、しかも、短期的な成功報酬のスキームで高額な報酬を得る人々で、今の日本では限定的なのが幸いです。
今のうちにカネが全ての社会にならないよう、ある種の歯止めが必要です。これ以上、この傾向を強くしないように、株主のみならず国民による監視責任があると考えます。
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