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折々の言葉 / 遊び心

紫陽花の一首から天平の世を見る(2)

Posted on 2013-06-27

 前編で橘諸兄の歌を紹介しましたが、今回はその続きです。当時の時代背景を知ると、詠まれた歌の本当の意味が浮かび上がってきます。

 「壬申の乱」の当事者となる二人、天智天皇と大海王子(天武天皇)が詠んだ歌も万葉集に残っています。しかし、編者が意識的に削除したのかどうか、当時の闘争を匂わせる歌はありません。

 その中でも大伴家持や額田王などの歌には、この闘争を若干推察させるものも存在します。中でも、先に挙げた橘諸兄の紫陽花の花を組み込んで詠んだ歌は異色と思います。

 「壬申の乱」は日本の歴史においても稀にみる内戦でした。

 苛烈を極めた権力闘争を勝ち抜いた天武天皇の時勢には藤原一族が牛耳り、それにたてつく役人などは徹底して排除、左遷されたと言われています。

 先の橘諸兄と同族の一派かどうかは不明ですが、藤原一族の横暴に対して橘奈良麿という人物が「橘奈良麿の変」で藤原仲麿に謀反を起こそうとしたのですが、橘奈良麿が最も信頼していた側近の告げ口によりこれが事前に発覚、橘奈良麿は殺害されてしまいました。

 有名な大伴家持も左遷組で、北越から都の奈良に戻ることを願望していたのに印旛の国へ左遷され、腐った毎日を送った役人の一人です。酒浸りの中、地方から奈良の都を懐かしく詠んだ歌があります。

 彼は藤原一族に対して中立を保っていたにも拘わらず、42歳で印旛の国に左遷されたようです。その後、68歳で逝去するまでの歌は一首も残っていないそうです。万葉集に編纂された彼の歌はすべて、42才以前のもので、彼の落胆の度合いが分かります。

 最後に、「壬申の乱」との関係で額田王の歌も面白いです。

あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る

 これは皆様学校で習った歌です。

 万葉の時代、毎年5月5日には薬狩りと称して薬草を摘み、鹿などを追う行事があったようです。

 場面は滋賀県の近江の蒲生の野原です。

 額田王は天智天皇と、彼の弟である天武天皇との両股を掛けた色恋沙汰の本人です。野原での薬草摘みの場面でかつての恋人に会いたい、でもこのことを誰かに気づかれることを懸念した心の混乱がこの歌からにじみ出てきます。

 彼女が、先に述べた「壬申の乱」の一因との説もあるほどです。エビデンスが無く証明はできませんが、この歌はそのことを何となく匂わせるものです。

 今の季節の花、紫陽花から天平の時代を推察しました。

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