園山征夫のビジネスコラム 園山征夫のビジネスコラム 園山征夫のビジネスコラム

語り継ぐ経営

第254回 戦略の策定の大前提—環境認識(8)

Posted on 2017-09-14

前回からの続きです。

4) 富の分配と貧富の格差が世界的に拡大するという認識が不可欠です

 

a) 富の偏在が世界的に拡大している

 国際貢献のための南スーダンへの自衛隊の派遣後、安保法制による「駆けつけ警護」撤退のタイミングが平和五原則に違反しているのではないか等と、散々国会で問われていました。どういう言葉を使おうが、私からするとこの地は明らかに戦争・戦闘状態であったと考えます。このようにアフリカでも、また、シリアなどの中東地域でも沢山の紛争が勃発しています。

 他の場所で述べた如く、この根源は経済問題、貧しいことにあると考えますが、現在富の偏在による格差が拡大しているのではないでしょうか。

 ピケティ氏が資本収益率と給与所得と関係する経済成長率の議論から出発する『21世紀の資本』によれば1700年から1820年まではあまり格差がなかったようです。19世紀の産業革命後、西欧各国が新しいマーケットと原材料を目指して、インド、東南アジアやアフリカで植民地政策を開始し、これが欧米に膨大な金や富という資産をもたらしたのは、学校で学んだ通りです。蓄積された資産が子に相続され、労働者には分配されず、貧富の格差が拡大し、20世紀の初頭のフランスでは、上位1%が6割の資産を所有していたと書かれています。

 その後20世紀に入り、西欧の植民地支配から脱した国々では、国民が建国に燃え、人口の増加と生産力の強化が図られました。その過程で国民は富の偏在に気づき、富の再配分を要求する中でいろいろな紛争や動乱が発生し既存の社会構造自体に変化をもたらしています。

 一握りに富裕層に金と権力が集中し、大多数の人々が貧乏な生活を強いられる。これで良いのかと国民が疑問を抱くのは当然のことです。

 イスラムの弱体化は植民地支配により富を奪われたことにある。だからイスラムの価値体系やイスラム世界の復興を目指すとの思想潮流の流れをくむイスラム各派の抵抗運動もこの一端と見るべきです。

 このような運動があっても現実には、富の偏在と格差、すなわち、資本収益と給与所得の差が拡大していることがピケティ氏によって明快に説明されています。我々庶民の実感もこの通りではないでしょうか。

 

b) 市場原理のルールを政治で一部変える選択もある 

 これに対して、所得格差や貧困は「市場原理」によって起きているから仕方ない、避けがたいとの見方があるのも事実です。しかし、これが是とされるのは、市場原理の前提条件が満足いくものである限りです。はたして、その前提条件が満たされているのでしょうか?

 我々は発達した文明社会の中で一定の「ルール」によって生きていることに誰も疑問がないはずです。ルールに基づいて取引が成立しマーケットが形成され円滑な経済活動をおこなっていますが、そのルールは最終的に国の政府が定めるものであるとすれば、時代により変更可能なものである筈です。

 誰か一方を利するルールで富の不平等や格差が生じているとすれば、このルールは中立的ではないことになります。また、人が作ったルールは普遍的でもないということに気づかなければなりません。必要なら民主主義のルールに従って、富の偏在や屋格差の拡大の根源となっているルール自体を修正しなければなりません。

 

c) どの層を戦略的に狙うのか? 

 日本も格差社会に直面しているように感じます。

 日本の一億総中流と言われる時代は既に終わったのではないでしょうか。

 アルバイトや非正規社員が現場の主流を占め、安定した雇用の下で仕事をできる人が少なくなってきています。本来この層が日本の中流階層を築いていましたが、これが今や内部崩壊しつつあります。この層が消費を支えていましたが、支える人が崩壊したのでは、経済の成長と物価の上昇等が理論的に無理な時代になってきていないでしょうか。

 しばらくは先代の遺産でなんとか生活できるとしても、人口オーナス期に突入する頃からそれも厳しくなり、市場原理を一部修正しない限り富の偏在と貧富の格差は修正できなくなるほどにならないかと危惧しています。

 この状況を、一事業経営者が簡単にコントロールできるものではありません。これはむしろ政治の世界での解決に負うところ大です。

 そのような状況下でビジネス戦略を考える時、ある種の視点が必要になります。

 格差社会の中での大衆は誰でしょうか?数パーセントの富裕層ではありません。経済的に余裕はないが、一所懸命生活を楽しんでいる層です。その大衆はどんな価値を求めているか、その価値を一定の中期的スパンで提供できる方法はないのか等、富裕層の消費者を相手にする視点と明らかに違う戦略視点を真剣に考えると解が見つかるはずです。

 

 

第253回 戦略の策定の大前提—環境認識(7)

Posted on 2017-09-07

前回からの続きです。

(3) 世界の経済をかく乱する要因が多くなる、その中でのビジネス展開には、自社のみではコントロールが難しいリスクがあるとの認識が不可欠です

 このように成長が予想される中国やインドなどが世界経済を引っ張っていけるのでしょうか?そこでのビジネスのリスクはないのでしょうか?

 

c) 中国でのビジネスの難しさとリスクをどう見る

 企業の経営者なら、大きなマーケットたる中国などへ進出しようという戦略上の選択肢は当然出てきます。このマーケットが大きな潜在的収益源になりうるからです。

 既に日本から中国に進出している経営者達に伺う機会がありました。成功している人、当初の目論見通りにはいかなかった人と、いろいろでした。以前よりは改善したとしても、中国でビジネスを展開するリスクは、聞けば聞くほど悩ましく映ります。

 本来、地勢的リスクはどの国へ進出しようがあるものです。しかし、他の国でのビジネス展開の時のリスクとは異質なものがもしあるとしたら、それは事前に詰めて適正な戦略判断をしばなりません。

 中国は日本の25倍の面積を持ち10倍の人口を擁しています。この国を、わずか7人の中国共産党中央政治局常務委員が動かしている中央政府を考えると、果たして政府が適正な政策判断をできるのか、中央政府の強権をもってしても、国の隅々まで政策が正確に浸透していくのかを、まず疑問に思います。地方政府の腐敗などの撲滅を必死に叫んでいるのを新聞などで読むにつけて、これが止まらない証左かもしれません。

 統治力の問題は別としても、進出企業にとって技術が盗まれることは最大のリスクです。私的財産の保護が極めて緩く、先進国から最新の技術を盗むほうが安上がりという慣習が未だに改善されていない状態では企業は安心できません。また、事業進出にあたり関係機関に提出する技術に関するデータや書類の守秘も安全なのかが心配になるとの話を聞きました。

 最近では品質の管理に力を入れる企業が多くなったとはいえ、元来中央の計画に従って一定量の製品を作ることこそを目的にした国なので、どちらかと言えば、品質より生産のほうが優先するのが一般的とのことです。

 また、ビジネスが上手くいかず何らかの事情で撤退を決断しても、それが容易ではないと聞きます。中国との合弁事業の解消自体が関係する役人にとっては自分の将来の出世に明らかに不利になるので、解消を簡単には認可しない。結局、設備などを捨てるか、時には支払いまでして逃げ出すしかない状態もあると聞きます。これでは、進出をためらう要因になってしまいます。

 更に困るのは、中国政府の反日政策です。国内の不満がある一点を超えると、そのはけ口を外交に求める。特に、これまで日本は、直接反論せず時間の経過で何とか収まるのを待つ姿勢を示してきました。これが彼らにとってはくみしやすい国ととらえられ、国民の不満のはけ口のために日本や日本の企業が標的になるというビジネス活動上極めて大きなリスクを抱えています。

 

d) 個人主義というより自分主義にどう対応する?

 中国でのマネジメントも大変と聞いています。

 もともと中国人は集団より自分を中心に考え、非常に現実主義のようです。自己主張や自己弁護が上手い国民で、本音と建前の使い分けが上手で、臨機応変に言い方も変えてくる国民のようです。 

 その一例が、政治の世界での尖閣諸島の問題です。

 尖閣諸島は、魚釣島、北小島・南小島などの島々でなりたっていますが、日本国への帰属に関していろいろな本やサイトから得た情報を私なりに整理すると、1885年、福岡の実業家、古賀辰四郎氏の開拓許可申請を機に、日本は1895年にこの諸島がどの国も支配していない無人島であることを確認して閣議決定により日本の領土に編入し、翌年から、民間人に島の土地を貸与、民間人が鰹節工場などを営み、一時は人口が約250人いました(その痕跡の写真もあり)が、1940年に工場を閉鎖、無人島になり現在に至っています。

 1968年、国連アジア極東経済委員会(ECAFE)による「尖閣諸島周辺海域に石油埋蔵の可能性あり」の報告発表(この前年に日本、台湾、韓国の専門家らが実施した学術調査の報告書を基にしたもの)後、中国が領有権を主張し始めたということです。それ以前の1920年には、遭難した中国人を救助した日本人への当時の中華民国駐長崎総領事からの感謝状には、遭難した福建省の漁民が漂着した場所として「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と明記されているとのことです。また、1953年1月8日付の人民日報には、「琉球諸島は・・・尖閣諸島、先島諸島・・・の7組の島嶼からなる」の記述もあると、ある本に記載されていました。

 要は、石油の埋蔵の可能性を知った頃から、尖閣諸島の帰属についてのそれまでの主張をがらりと変えて臨機応変に自分の主張をしてきているとみえるのです。証拠が出てきてもこのような対応をする人です。同様な姿勢は働く人々にもあるようで、反日教育を受けて育った自己主張の強い人をマネジメントする苦労も並大抵ではないことも聞きます。

 リスクを冒さなければ、メリットを享受できないのも事実です。しかし、そのリスクが事業主体としてコントロール可能な領域がどれほど大きいかが戦略上非常に重要な部分と考えます。政変などで事業の継続自体が突然困難になると、それまで築いた現地マーケットでの信用も一気に吹っ飛んでしまうほどのリスクかもしれません。新たに進出、現事業の維持・拡大、または、売却・縮小等いろいろな戦略のどれを選択するか慎重な分析を必要とします。

 

第252回 戦略の策定の大前提—環境認識(6)

Posted on 2017-08-31

前回からの続きです。

(3) 世界の経済をかく乱する要因が多くなる、その中でのビジネス展開には、自社のみではコントロールが難しいリスクがあるとの認識が不可欠です

 今や世界経済のかく乱要因が多様化しています。事業戦略上これらから生じるいろいろな地政学上のリスクを最大限斟酌したものに仕立て上げなければなりません。特に事業活動を行う上で、自社の力でそれがコントロールできるものか否かの判断が重要です。

 

a) リスクの根底には経済問題がある

 ヨーロッパや中東の一部で見られるイスラム教徒への差別待遇や彼らの貧困が、テロなどの原因を作っていると言われています。その一方で、最大規模のイスラム教徒を擁するインドネシアではキリスト教諸国と反目していないという事実からすると、上の主張に疑問を抱きます。

 そうだとすると欧州や中東のキリスト教とイスラム教の宗教問題の根源は何でしょうか。我々にニュースで紹介される現象の本質は、実は、経済格差ではないかと思われます。

 1968年、チェコスロバキアの民主化運動(プラハの春の推進)の際、急速な自由化を危惧したソ連や東ドイツなど当時のワルシャワ機構軍の5カ国軍が首都プラハに侵攻し戦車で踏みにじり、民主化路線がとん挫した事件が我々に鮮明に残っていますが、政治的に複雑な事情はあったとしても、これも原点は経済問題ではないかと主張する人もいます。

 ノーベル賞の受賞者が実質幽閉されるのをみるに、今の中国でも沢山の人民が地下で民主化の活動しているのではないかと憶測されます。政治を背景に経済が停滞すると国民の不満が民主化の運動につながりやすいリスクを潜在的に抱えていることになります。若干持ち直したとはいえ経済の停滞で国民の不満が蓄積、万一これが爆発すると権力の集中に努力している習近平政権も大きな潜在的リスクを抱えています。不平等尺度のジニ係数は2004年以降ずっと0.4以上が続き、2008年には0.47と世界銀行が発表しています。2010年には0.61との報告もあるほどです。0.4を超えると社会騒乱が起きる警戒ラインだとすれば、政権の維持も大変になります。

 また、ロシアもウクライナ問題からの経済制裁で経済が停滞気味で、プーチン大統領の失脚リスクもでてきていると言われるほどです。

 巨額の石油収入を各領主に分配する方法で地位の安泰を保ってきたサウジ王家は、石油開発国の供給をめぐる結束の乱れやシェールオイル等の代替エネルギーの開発などで原油価格の下落を招き、石油収入の減少から分配ができなくなり、各領主の経済的不満が爆発しかねない状態と一部で議論されており、国自体もリスクの真っただ中にいます。

 これらは現象的にはそれぞれ違う態様を示しています。しかし、根源的には経済問題、経済格差ではないでしょうか。これから来るリスクは、ビジネス戦略上、計り知れないほど大きな不安定要因です。しかも、事業経営上、自社でのコントロールが難しい部分です。

 その一つ、中国を例にとりあげます。

 

b) 成長はするが、中国などでのビジネスは大丈夫か?

 中国やインドの経済成長率が以前ほどではないにしても、まだ他の諸国と比較して相当高い水準を維持しています。国内の消費需要も旺盛です。かつて日本でも実現したように、中間層が増えて以前のような富裕層と低所得層の二重構造という図式が様変わりしつつあると言われています。貧困から脱出した層が中間層となり、消費を押し上げているパターンとみられ、この層が大きなマーケットを形成しているからです。

 また、いわゆる生産人口が2030年までは低下傾向を示さないと言われ、中国の人口構造もしばらくは人口ボーナス期で大丈夫のようです。「一帯一路」の戦略も、インドなどの周辺国との軋轢がありながらも、アジアとアフリカ、欧州を結ぶ広大な発想も一見魅力的に映ります。

 

第251回 戦略の策定の大前提—環境認識(5)

Posted on 2017-08-24

(2) 「人口オーナス期(人口構造の変化が経済にマイナスの効果を及ぼす時期)」に突入してきている事実を認識し、その対応が不可欠です

前回からの続きです。

 

c) 価値を創造する事業しか永く生き残れない

 それでは「人口オーナス期」の到来を戦略にどう生かせばよいでしょうか。

 人口構造の高齢化を新たな事業としてドメインを設定しなおすのも方法です。しかし、続けている事業特性からそれを狙うのが難しい場合、この時代には価値の創造で勝負するのは如何でしょう。量で稼ぐ時代ではないのかもしれません。

 米国発の有名な外食産業のM社と遊園地経営のD社の経営比較が良く例として挙げられます。両社とも日本で成長してきましたが、2000年に入る前後から作戦の差が出てきました。特に、日本が長いデフレ期に入る頃から外食産業の会社は売り上げを上げるため、低単価で顧客を増やす展開をしました。遊園地を経営する会社は、既存設備を更新し、新たなアトラクションの導入をやっていろいろな企画で顧客の魅力を増す展開をしました。

 後者の価値を売る作戦の方が、量を売るコモディティ化作戦より上手くいったという報告があります。

 人口の減少で量的な拡大は難しくなっています。自動車もそうです。量産化してきましたが、人口の減少、若者の車離れで新たな需要が期待できない状態です。完全にコモディティ化してしまい、以前よりは車の価値部分の魅力が薄くなってきたかもしれません。

 これは他山の石としたい一例です。

 人々は「価値の体験」をしたい。できれば同様な体験をその現場で一緒に共感したい。そのためにイベントや遊園地へ出かけその場の雰囲気という価値観を共有することに喜びを感じる時代です。このように価値を求める需要は沢山あると思います。これをどう実践するかが人口オーナス期の潮流ではないでしょうか。

 

d) 大・小の企業の二極分化となる。その中でしか生き残れなくなる

 大きく膨らみそうなビジネスエリアをドメインとして持つ場合は別として、人口オーナス時期には、ビジネス展開をしている大半の経営者にとっては、自社のマ-ケットは相対的に縮小すると読む人が多いかもしれません。

 特に、長年同じビジネスモデルの中で商売をされている経営者には、商売の浮き沈みを自ら体験してきたが故に、余計自社の対象とするマーケットがそのように映ると思います。

 ここで、その観察からどう作戦展開するかが問われます。

 この状況下での一般的なマーケット構図は、大と小の二極化が進みます。需要が供給を満たせない状況が続くからです。

 手段として、合併、提携の加速が見られ、結果として、二極化のパターンとなります。その機会を自社にどう有利に展開するかが戦略上問われることとなります。

 

 例えば、コールセンターの事業です。

 電話系の仕事は、マーケットが以前よりは明らかに縮小気味です。特に、費用対効果の点を考えると、電話系の方法が他の方法に代替されるのは一つの流れとなります。

しかし、IT化の技術が進めば進むほど、逆説的ですが「話す、一緒に解決する」需要は増し、事業全体としてのマーケットは、今後も一定の成長率で伸びると考えます。

 消費者にとっては、自分の意見を言う機会を増やしたい、誰かと対話して早く自分の課題を解決したい。事業者にとってもIT、特にAIによる生のデータの分析のチャンスを増やして競合より優位に立ちたい。双方の必要性があるからです。

 ただし、マーケットが伸びるとしても現存する事業者の全ての成長を賄うに必要な需要があるのかは、疑問です。

 消費者は、「話す、一緒に解決」したいとき、電話以外の違う道具の利用に違和感を持たなくなってきました。顧客自身も変わってきたのです。事業者としては、今のうちから新しいコミュニケーションの道具によって「話す、一緒に解決する」ことにシフトを図る必要性が出てきています。どの道具に特化するのか、小さくても、「専門」性を持つ戦略も選択の一つです。消費者自身が「専門性」を求めてきている今では、「総合」はキーワードではありません。

 その結果、企業も二極化を図らざるを得なくなるのではないでしょうか。

 この期には、大となるか、小として特色を生かして生き残るかの経営戦略を鮮明にし、そのための展開を早期に図ったほうが良いかもしれません。

 

e) 首都圏の一極集中化の速度が増す

 特定地域への集中化にはいろいろな見方がありますが、私は、政府が本腰を入れてこの問題に取り組まない限り、東京を中心とした圏にあらゆるものが集中すると考えます。

 経済原則上も、そのほうが効率的だからです。ITの技術により情報については距離がほとんどなくなりましたが、ITが連動する人やモノの動きには距離が影響します。

 日本の総人口は、2014年に1.26億人が2050年には0.95億人と減ります。日本全国では、空き家が増え、2030年には3家に1家、すなわち、両隣が空き家になるという発表もあるほどです。

 首都圏(8都県)も2015年をピークに人口が減少しますが、減少率では他の圏より一番少なく、この地域に人口も集中(片や高齢化が進む)して、出生以外の方法も考えないと生産人口が不足して経済が成り立たなくなりそうです。

 それでも不動産、カネ、人、ノウハウは確実に首都圏に集中してきます。集中したが、需要が無い場合どうするのでしょうか。政府や一部の企業家」は、一般的に新たな需要を人工的にでも作ろうとします。実需以外の方法でこの場を切り抜けようとすると、追ってしっぺ返しが来て経済の破滅へ向かうのは、他の国の事例で実証済みですので、この方法は長続きしません。そうなると、低い成長率で満足する国民性に変化するのではないでしょうか。過去先進国が円熟期を迎えたパターンです。この時にも特定の企業は伸びるはずです。

 この首都圏一極集中化の傾向に対して、自社のビジネスとの関係でリスクをどう捉えるか、逆にチャンスと捉え戦略にどう活かすかは結構悩ましい問題です。当面は首都圏にとどまり、その間に世界の他の地域の需要を取り込む戦略を立てるなど、中・長期的視点を必要とすることになります。

 

 

第250回 戦略の策定の大前提—環境認識(4)

Posted on 2017-08-17

前回からの続きです。

(2) 「人口オーナス期(人口構造の変化が経済にマイナスの効果を及ぼす時期)」に突入してきている事実を認識し、その対応が不可欠です 

 日本の人口の推定では、2010年には1.43億人の人口が2014年は1.26億人に減少しました。さらに、今後100年で人口が三分の一に激減するという計算もあります。

 2025年頃には65才以上の人が人口の3割以上を占める時代です。

 このデータを見る限り、よほどの抜本策が講じられない限り、若手の労働者が生産性を上げて潤っていたボーナス期のような経済成長期は、今の日本の人口構造においてはもう期待できないのではないでしょうか。

 その一方で、経済成長率は労働力人口の増加率だけでは決まらない、経済成長と人口はほとんど関係がないという議論もあります。

 労働生産性を上昇させる最大の要因は、新しい設備などを投入する「資本蓄積」と「技術進歩(イノベーション)」であるとの論理が背景にあるものと思われます。これは私が学生時代に学んだレオンチェフなどの「経済成長論」のモデルの通りです。特にイノベーションによって一人当たりが生産するモノが増えるという論理です。もちろん技術進歩にはハードの進歩のみでなく、ノウハウなどのソフトの技術も含まれると見るのが妥当です。

 確かに日本のような高度に発展した国では、人口のみではなくイノベーション技術 (技術進歩)の力が大きく経済の成長に影響を及ぼすことは正しいかもしれません。

 しかし、あくまで私見ですが、この議論は過去の産業革命時の成長パターンの議論かもしれません。かつては肉体的につらい仕事を機械が代替してくれ、電力エネルギーや新しい機械が生産力をあげてきましたが、今のAI化の時代では、少し違うパターンを示す感じがします。

 特に、人口オーナス期においては、若手の労働力の減少がイノベーションのもたらす生産性向上を凌駕して、全体として生産性は低下傾向になるのではないでしょうか。

 こうなるとこの時代、労働集約型の事業は難しくなります。人間が個々の家庭に宅配する事業は、消費者には便利としても配送担当者の不足などから事業の難しさはすでに報道などでご存知の通りです。

 また、対象とするマーケットが若者向きだとすると、競争が激しくなり、新商品が売れにくくなる傾向がでてきます。

 ところが逆に、高齢者を対象とするビジネス展開では、戦略さえしっかりしていればチャンスは拡大することになります。介護関係、高齢や生活習慣病医療、がんなどの患者視点を重視したヘルスケアの必要性が大となることが予想されます。

 このように、人口オーナス期において、ビジネスのチャンスが広がる事業と縮小を余儀なくされる事業が明確になります。このことを経営戦略の絵図の中にしっかり明示して今後の事業の集中・取捨選択に役立てなければなりません。

 

a) これまでの収益のソースが細る事業が出てくるはず。これを炙り出す

 「人口オーナス期」に突入した途端、これまで成長を支えてきた事業が、今後も「金のなる木」であり続ける保証が希薄になり、事業の取捨選択の決断を促すことになります。

 部門売却という冷徹な判断をせざるを得ない場面が登場してきます。

 環境の変化が味方をしてくれないと読んだ場合、トップの肝いりで長年続けてきた事業でも収益率が下がり会社全体の足を引っ張る前に、「捨てる」決断をする。このための冷徹な環境分析で妥当な根拠を見つけることが経営戦略上不可欠です。

 好き嫌いで事業の取捨選択をするのでなく、環境分析による当然の結果として、その事業がより活かせる会社に売却するのも、選択肢として出てきます。

 世の中いろいろな考え方をしている人がいるので、Due Diligenceの結果次第ですが、その部門に関連する社員もろとも引き受けてくれる売却ディールが成立する可能性もあります。自社にとっては「捨てる」ビジネスですが、他社にとっては、違う見方をすることもあるのです。

 

b) 敵の進出を研究した上での集中と分散を図る。複数の収益ソースを持つ

 事業を集中する時の決断で重要なことは、競合も含めたマーケット全体の流れ、特に、技術革新がもたらす影響です。昨日まで優位な事業でも、同一商品機能を劇的に安価な方法で作る技術を持った会社が、突然出てこない保証はありません。

 シャープの『亀山モデル』の例です。

 シャープはブラウン管に代替する液晶テレビに代表される独自技術で「オンリーワン企業」を目指すべく2000年ごろ頃「AQUOS」を市場に出し、これに集中して売上を劇的に伸ばし「亀山モデル」としてMBAの大事にも取り上げられたのは皆さんもご記憶の通りです。

 ところが、シャープが選択と集中を進めていた2009年頃に東京のベンチャー企業がファブレス方式で激安の液晶テレビを開発したのです。ディスプレイにはサムスン製品の液晶パネルを使い、他の部品を組み合わせて、ある会社の流通チャネルを通じて5万円台の液晶テレビを売り出しました。

 この結果、競合しないとみていたシャープの顧客が激安テレビに流れてしまったという、悪夢のようなことが突然発生したのです。少し後付けの説明になりますが、『亀山モデル』への集中の失敗です。このことがシャープの屋台骨を揺るがす原因になったのです。

 これまで競合とみなされなかったところから、まったく新しいビジネスモデルで攻撃してくるかも分かりません。屋台骨の収益ソースが一気に細るリスクもあります。集中と選択は非常に重要ですが、リスクに備えて収益の柱を複数持つことの重要性もこの例が教えてくれます。