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語り継ぐ経営

競争で勝つ確率を高めるには

Posted on 2015-01-15

 経営環境が激変する中で、競争優位を持続するのは大変なことです。競争相手が沢山いるマーケットでは、毎回ビッドに勝つことは至難の業です。顧客の要望に完全に合致するのは大変です。しかも、本筋とは違う何等かの要因で選ばれないこともあるのでなおさらです。

 

競争で勝てる確率を高める作戦

 そこで考えるべきなのは、競争条件下で勝てる確率を高めることではないでしょうか?

 競争環境は、常に変化していきます。特にサービス業の場合、今は優位であったとしても、やり方などをすぐ模倣されてしまいます。特許などで縛られない部分が多いので、模倣されやすいのです。

 私が関係していたビジネス分野でも、新しいサービスコンセプトを導入して、しばらく競争上優位に立っていましたが、それも他社に模倣されてしまいました。さらに新しいコンセプトをすぐに考え、乗りきらなければならないことが、何度もありました。

 加えて、新しい技術が登場することで競争のフレームワークが変化し、過去のフレームでは優位だったビッド案件にも変化をきたしやすいのです。

 コールセンター関連で言えば、最近のIT技術の登場と利用の一般化により、「コミュニケーションをするという概念」自体に大きな考え方の変化をもたらしてきているのではないかと思うほどです。言葉を発してコミュニケーションをすることの基本に変わりはありませんが、新技術の登場によって、コミュニケーションの概念の幅が大きくなってきていると考えます。

 このような状況下では、その分野の新参者でも大きなビジネスチャンスを掴める時代が到来したとも言えるのではないかと、個人的には考えます。それほど競争に勝ちつづけるのは、至難になってきているのです。

 

企業風土づくりの大切さ

 このような厳しいマーケット環境下では、競争に勝つ確率を高める戦略が肝心です。

 以下の私の経営体験の例の中で述べるように、前提として、常にマーケットの変化を的確に捉えることが出来、しかも、それに俊敏に対応できる組織風土が不可欠であると考えます。この企業風土を背景とすれば、環境の激変化でも競争に勝つ確率が高まると考えるからです。

 私が主張する「農耕的企業風土」づくりが、結果として内部を安定させ、迅速に競合に対応できる組織力をつけることにつながります。この風土があったからこそ、内部の人材の力がアップして、しかも助け合う精神で内部組織の安定性を保ちつつ、俊敏に一致団結して戦える「燃える集団」をつくることが出来たのではないかと考えています。

 

内部の組織的安定性とベクトルの結集 

 まず内部の組織を徹底的に安定させることが肝要です。

 私は、社員の雇用を安心させ、持てる潜在能力を開花させる機会をなるべく多く与える努力をしました。競争相手に迅速に対応できる社員の行動体質を備えさせることも教育・研修に織り込み、社員の質を高める教育・研修を徹底して、共感する目指す目標を掲げ、社員に実績を積ませることで、自分の成長を実感させ、さらに、組織に貢献するマインドを持つことで、組織を安定させました。

 この内部の安定性を保つために、進むべき方向性を明確にして、且つ、当時としては少し無謀ではないかと思えるほどの高い目標を、「六つの夢」として掲げて、皆のベクトルを結集しました。

 また、部門をグループという小組織にし、その長に相当の権限を持たせて、グループという店の運営を任せました。私のエネルギーを、企業としての社会的存在意義を明確にすること、その中で社員が働きやすい企業風土、企業文化づくりをすること、社員のレベルを上げることに、注力邁進したのです。

 環境が大きく変化しても、「サービスでリーダーシップ」をとるという明快な経営戦略と徹底したリーダーシップにより、社員が安定した組織風土の中で、個々人の力を最大限発揮してくれることになりました。また、顧客との関係でも、彼らがこれを第一義と考えて、安定した顧客関係を維持できることになりました。

 

組織としての俊敏性を持つため、経営側と社員との信頼関係

 競争条件下で勝つ確率を高めるために次に必要なことは、組織の俊敏性の源泉は経営と社員との信頼関係です。

 社員が突然解雇されるようなことは絶対にしないことを、私は明言しました。実際にリストラという言葉は語られませんでした。私自身は、過去にこの会社が存亡の危機的な状態があったことを考えると、雇用の安定性を求めている社員の心理を痛いほど分かっていたからです。

 勿論、変革のために小さな痛みを伴う組織変革などは実行しても、絶対に人の首は切らない経営側の姿勢が肝要ではないでしょうか。

 変化に俊敏に対応しなければ、競争に勝つ確率が下がります。私が過去関係していた会社では、自社で勝手に引いた業界の線引きをもとにした戦略発想を、敢えて捨てる努力をしました。強力なライバルはどこにでもいることを前提にして、業界なるものを無視した戦略をもとに、どこから来るかもわからない強力なライバルの進出に、何時でも俊敏に戦える体制を敷きました。 

 組織の俊敏性を図るための諸施策を戦略的に取り込んだ例です。半期に一回、全国から社員を集めて事業計画発表会を実施していましたが、期初に立てた戦略や計画を柔軟に軌道修正すらためです。社員もマーケットの変化に迅速に対応する姿勢と行動力を備えるようになっていましたが、トップとして、マーケットの変化に則して、路線の変更と覚悟を全社員に明確にするためです。

 加えて、イノベーティブな新しいことを仕事の中に取り込むことを、全社員の仕事の一環とし強調し、新しい取り組みで変化に迅速に対応できる風土を作りました。

 それぞれのグループの長が自らのマーケットを細かいフィールドで捉え、小規模な投資でもっても変革に俊敏に行動に起こし、上手くチャンスをものに出来る体制も敷きました。

 また、前期に伸張著しかった部門はどうしても資源を取り込みやすい傾向を打破すべく、予算編成はゼロクリアーで、各部門に資源を抱え込ませない、資源をマーケットの変化に則して全社的視点で配分できる方式としました。

 結論です。

 組織の安定性と敏捷性は一見逆説的に響きますが、私は内部組織の安定性を保ちながら、沢山の新規取組を迅速に出来る会社こそが、競争で勝てる確率を高くすることを確信しており、むしろ、この考え方が整合的だと考えています。

 

普通の中小の会社の競争作戦(2)

Posted on 2014-12-25

前回の続きです。

 

5.持たない作戦を展開する

 その当時、No.1の企業は設備、社員のレベル、ノウハウ、資金量等あらゆる面から我々の上との認識を私は抱き、彼らの「持てる力」が羨ましくもありました。「・・・が当方にもあれば・・・」と、はかない夢も抱きました。

 しかし、瀕死の貧乏会社を経営している私からすれば、それは経営上何ともしがたいのです。そこで、この時期発想を逆転させ、徹底して不必要なものは持たないことにしました。土地は持たない、不動産も所有しないなど「持たざる者」のひがみを、弱みから強みにするため「持たない」ことを会社の方針としたのです。

 固定費で会社がおかしくなる企業を近くに見ていたからでもあります。やせ我慢の論理です。固定投資が少ない分、その金を社員の教育に使い、サービスの品質を上げることの一点に集中した作戦を展開しました。当時のあらゆる資金を人材育成とサービスの品質向上に使ったと言っても過言ではありません。社員の意識の改革を図り、会社としても動きが迅速になりました。マーケットの変化に対応しやすく、且つ、顧客の意見に迅速に反応できる体質を作り上げることが出来たのです。

 

6.周辺分野から新規事業を開始する

 会社がある程度大きくなるとどうしても多角化の誘惑にかられましたが、我々はドメインを明確に決めていましたので、この誘惑に大きく負けることがありませんでした。

 ノウハウの無い全くの新規分野で戦うより、勝手を知ったテレマーケティングという既存の事業の周辺領域分野での進出に努力をしました。その結果、会社に大きなリスク負担をかけることにはなりませんでした。ベンチャー経営者の一部は、この落とし穴にはまることが多いのを普段から見ていたので、既存の事業の周辺での多角化を第一義に考えて作戦展開をしました。

 

7.小規模で新規事業を開始する

 そうは言っても、何か新しいことに取り組まなければなりません。そこで失敗代金をあらかじめ事業計画の中に織り込み、その範囲内で、しかも小規模でどんどん新しいことに試行錯誤で取り組みました。

 当たるか当たらないか分からないのが正直な気持ちで、とにかく小規模にスタートさせました。種を撒き成長の様子を見て、上手くいきそうなら、追加の投資を決断する、ダメなら撤退ルールに照らして撤退することで、新規事業が本体の屋台骨に影響しない作戦を展開しました。沢山の企画をチャレンジさせ、PDCAのサイクルを高速で回しながら新規事業を取捨選択していきました。このことで大きなリスクを回避しながら、且つ、新規事業で革新することに成功したのだと考えています。

 

8.一点に集中する 

 一点豪華主義を貫きました。

 人材にかける投資です。採用、訓練、教育等、「ピカいち」の人材を育てることに邁進しました。サービス品質は誇れるものとなり、有り難いことに同一サービスにプレミアムを支払っていただくまでになりました。サービス会社ですから、自社の企画に基づく「プロダクトアウト」的商品をそんなに沢山販売できませんので、「マーケットイン」的な企画力、提案力を磨かざるを得ませんでした。

 その結果、業界最強の企画営業部隊を造れました。しかも、体育会的ではなく、むしろこの真逆で、自由奔放に好きなことに取り組む高いモラールを維持していた営業部隊でした。彼らが、現在もいろいろな分野で大いに活躍しているのが今でも私の誇りです。

 経営者を退くまでの約18年かけて、普通の、若しくは、普通以下の会社を、この分野での実質リーダー企業に育て上げることが出来ました。

 上記に述べた作戦展開と、別の項で述べる「農耕型企業風土づくり」で中・長期的成長を図る私の経営の「公式」に沿い経営したことが、中小の会社を大きく発展させる一端になったものと考えています。ご参考になれば幸いです。

 

 本年1年間、アクセス件数を稼ぐために媚を売ることをせず、ひたすらビジネスマン、起業をされる方々に真摯に経営のヒントをお伝えすることを念頭にして、コラムを書いてきました。お読みいただき本当にありがとうございました。

 来年もよろしくお願いします。

 

普通の中小の会社の競争作戦(1)

Posted on 2014-12-18

 そろそろ2014年最後のコラムとなります。これを2回に分けてお送りします。

 私が、経営を委託されていた会社を約20年間かけて実質的に業界のNo.1にまで育て上げることができ、た競争作戦の一部を今回紹介します。ごく普通の会社であっても、業界のリーダーになれることの一例を作戦面から示すことで、これから起業される方々、現在置かれているポジションから更に飛躍して業界のリーダーになろうとしている経営者に、ある意味のヒントを呈示したい思いからです。

 

普通の零細中小企業の特徴

 私が経営を任された会社の特徴は、以下の通りでした:

・普通の小規模の会社でした。

・社員の質もこのレベルの会社では一般的に見られるような、普通のレベルでした。

・商品も特別競合他社と差異化を図れる商品ラインはありませんでした。

・この業界には大手通信系の子会社が、長年一番として君臨していました。

・大手通信系の子会社が持つ親会社のような固定的な顧客はほとんどいない状態でした。

・資金は極端に欠乏し毎月の手形の決済が危うく、手形の所持人とのハードな交渉の舵取り次第で、いつ不渡りを出し倒産してもおかしくない状態でした。

 すなわち、総じていえば、何処にでもある普通の会社、あるいはそれ以下の瀕死の状態の会社でした。この会社が十数年後に実質業界のリーダーになるために打ち出した作戦の一部は、『これからの課長の仕事』、『これからの社長の仕事』、『礼節と誠実は最高のリーダーシップです。』(いずれも拙著作)に紹介しましたが、今回は、表題のタイトルのテーマとの関連の部分にのみスポットを当てて、普通の中小の会社の取るべき競争作戦の事実を紹介します。

 

1.大きなリスクを回避する

 会社自体が倒産しそうでしたから、いきなり大きな賭けをすることが出来ませんでした。

 次月の社員給与の支払いに窮している状態でしたから、大金を使うような新規事業は全くできませんでした。会社がある程度軌道に乗るまで、初期の頃はとにかくリスクを回避した事業作戦の展開に知恵を絞り、リスクを回避しながら活路を探すことに注力しました。

 知恵に窮して、一か八かの賭け的な事業リスク展開で活路を見いだそうとして失敗した事業者を、私の周辺に見ることがあるのが残念です。もう少し、せ我慢が大切だよと、教えてやりたい気持ちになることがしばしばあります。

 

2.固定費のかからない作戦に注力する

 サービスのクオリティーを第一義としました。

 これには、追加の大きな投資コストがかかりません。すでに採用している社員の固定費に追加コストとして研修費をかければ、可能な作戦でした。

 大きなリスクを冒す心配は全くありませんでした。しかも、少ないながらも既存の顧客を維持し、出来ればファン化するためには、クオリティアップの策が不可欠な要素だと経営感覚として気づいていたからです。大金をかけて差異化を図る作戦があっても、当時は会社としての余裕が無く、最小の投資で最大の効果を上げる作戦を選択したのです。

 

3.顧客の信頼を得るための活動をする

 顧客との直接接点を増やすことに専念しました。

 変な価格競争に巻き込まれてしまうと、売上は上がるが利益が出ず、資金に余裕がなくなります。それよりも直接顧客に出向いて担当者にお会いし、親しくなったついでにあわよくば他の会社のご紹介を頂くことにしました。

 後に、これを「顧客第一主義」と名付けましが、要は、直接顧客のロイヤルティーを獲得する作戦です。評判とは怖いもので、信頼を頂いたクライアントから紹介いただいた顧客はこれまた良い顧客で、結果として顧客の好循環が出来ることになりました。真摯に顧客の意見を聞き、それに誠実に応えていった賜物です。

 

4.NO.1企業とケンカをしない

 No.1の企業とは、一緒に音頭を取って業界の団体を作る努力をするなど、なるべく、直接ケンカをすることを回避しました。No.1になっているからには、それなりにノウハウが溜まっているので、やみくもに戦争を仕掛ける愚は犯しませんでした。

 No.1の会社の社長は人物でした。業界の正常な発展を目指す大義に共感いただき、業界の団体づくりには多大なご協力を頂きました。新米物の私など競争相手として彼の眼中になかったかもしれませんが、いずれにしろ、私からNo.1のこの会社に大きな戦争を仕掛けることは意識的に控えていました。

 会社の内部的には、いつかこの会社に勝つことを宣言していましたが、外での大きなケンカはなるべく避けました。他の通信会社からの注文や、この会社の親会社からおこぼれ的な注文を頂戴しながら、少しずつ商売のテリトリーを拡げていきました。No.1との戦いも当面小規模を旨として、当方のエネルギーの消耗を最小にする作戦を展開したのです。また、No.1の会社の親会社が全国展開をするある企画では、当然そのNo.1の会社が商売の大部分を受注していくのですが、我々も彼らと同一基盤の上で、ある程度の商売をさせてもらい、利益を享受しました。協力をする姿勢で、決してケンカを売る姿勢は取りませんでした。

 

 

幸せなビジネスマン人生をおくるための選択(2)

Posted on 2014-12-04

前回の続きです。

 

この頃の起業は慎重な判断

 50歳頃から起業する人を見ます。大変尊敬します。

 しかし、成功の確率は1%以下と思うべきでしょう。理由は、50才までサラリーマンとして会社で飼いならされた人が、いきなり大きなリスクを取れる体質をそもそも持ち合わせていない人がほとんどだからです。私の周囲でもこのような人が沢山いました。

 前回述べた通り、私は40才頃に会社の経営を任されましたが、実はそれ以前から、何とか自分で会社を立ち上げ経営してみたいという考えが、常に根底にありました。従って、実質倒産状態の会社と後で分かったのですが、その会社の社長の指名を受けた時は最大のチャンスと奮い立ちました。この会社を大きく立派な会社にして社員を幸せにしようと、起業家精神でわくわくしたのを覚えています。リスクテーキングの準備が既に出来ていました。親会社からの出向扱いも自ら返上して、自分が経営を託された会社に骨を埋める覚悟を持っていました。

 40歳の頃に来たからこそ、経営リスクを取れる年代でした。一般のサラリーマンと違い事業家のDNA、果敢にリスクを取れる体質も持っていたと思います。

 私のこの経験を考慮すると、50才代のどの様な人に起業を勧めるかです。技術やノウハウで相当の差異化がある人ならOKです。しかし、単にサラリーマンとして飼いならされそこまで来た人では、経営のリスクテーキングの重圧に耐えられるか心配です。リスクを取って起業するなら、普通のチャレンジングな人にはもう少し若い30才代か遅くとも40才代での決断を薦めます。以後のビジネスマン人生の幸せ度が違ってくると推測します。

 

定年後のことを見据えた準備

 50才を過ぎても、残念ながら自分にとりたてた能力が無く会社の中での見込みが薄いと考える人もいるかもしれません。

 そのような人は、残念ですが自分のビジネスマン人生にみきりをつけるのも一つの考え方です。何も会社が全てではありません。昇進のみで人間の価値が決まるわけがないからです。定年後をいかにハッピーに過ごすかを考え、そのための準備に精を出すのも一つの貴重な考え方だと思います。

 しかもこの準備には、すぐ取り掛かることです。「定年になったら・・・をする」という発想で我慢しても、まず上手くいかないと考えるべきです。できないことが、将来出来るとは思えないからです。突然責任を負い会社を去ることになるかもしれません、突然病気になるなどなど、いろいろ予測不能な将来も待っています。

 私の周囲でも、「定年後には・・・をする」と将来のことのために我慢して「今を過ごす」人もいますが、その通りになった人をあまり見ていません。それより、今を充実した生き方が本人にとって幸せだと考えます。

 準備のためにすぐ行動に起こすのが得策と考えます。晩年の人生のバランスシートで共通の失敗は、今やりたいことを定年後に先送りすることです。旅行、遊び等なんでも良いのですが、楽しみを先送りしても、それの実現が約束されない不測の事態が起きる可能性が、年齢と共に高くなることを考えれば、そのような選択は愚の骨頂ではないでしょうか。

 

転職の選択

 50代での転職も良いかもしれません。

 しかし、環境が激変することを覚悟してください。転職を機に、住む場所が変わるかもしれません。海外勤務になる可能性もあります。友人も変わってきます。これらのことを総合してその年代での転職のメリット、デメリットを判断されることを薦めます。

 貴方に本当に技術力やノウハウがあるかをしっかり見極めてください。サラリーマンとして会社の名前で商売をしていたことを、自分の実力と勘違いしている人を見るからです。このことを肝に銘じてこの選択されることをお薦めします。

 幸せなビジネスマン人生を送るために、多少のヒントになったでしょうか。

 

幸せなビジネスマン人生をおくるための選択(1)

Posted on 2014-11-27

 時代が変わってきました。これに対応してこれからのビジネスマンには、ある年令になる前に割り切りの決断が必要になると考えます。

 会社に骨を埋めるか、先のことの準備をするためにその間に必要なノウハウをひたすら蓄えるかなど、自分の人生の将来についての基本的なスタンスを持ってある時期に割り切る決断をすべきとの認識です。

 

実力を貯える時期

 20代、30代の時には先輩から教えを請いながら自分の実力を蓄えることに尽きると考えています。

 勉強しかり、仕事しかり、徹底して自分の能力に磨きをかけ、ビジネスマンとしての自立の準備をすることです。この時代の努力こそが以後の人生の豊かさに大きく影響を及ぼします。中途半端なタレント(能力)では将来通用しないので、気合を入れて自己のスキルアップに努める頃です。

 

将来に起業する余地も残す

 実力を貯えながらも、一方で起業するマインドも欲しいものです。

 ベンチャーと呼ぶかアントレプレナーと呼ぶかその呼び方はどうでもよいことです。

 自分の実力のみを頼りにするか、あるいは、自分の能力と他者の能力を組み合わせて何か新しいことを作り上げる起業の準備もしてもらいたいのです。能力と起業の意欲さえあれば、世の中の様々な変化や突然発生する思いもよらない出来事に対しても適切に対応できるオプションが増えるからです。

 自分が一生懸命仕事をしていても、マーケットの変化やその会社が予期せぬ合理化策を実施して、あなたがリストラの対象になることがあるかもしれないことを思えば、起業も選択肢の一つとして持っておいた方がよいと考えます。勿論、経営することから発生する様々なリスクを取れる覚悟のある人にしかこれを薦めませんが。

 

人生の半ばでの迷い

 順風満帆にビジネスマン人生を送っている人でも、50代に差し掛かると、皆、前半の半生と後半の半生の分かれ道に差し掛かった時、複雑な感じを抱くものです。当然です。一生懸命頑張ってそこまでやって来たビジネスマンに定年というものが迫ってきます。この時期に、定年までの10年間と定年以降をどう過ごすかで迷いが出る人も多くなります。

 一般のビジネスマンは、この年齢になるとその会社の中での将来が見えてくるものだからです。出世の可能性があるか、そうでないかは、本人が一番よく分かっています。ただ他の人には言えないだけに、余計本人の心の中に迷いが溜まるはずです。

 ピラミッド型の組織を考えれば、残念ですが大半の人は上位のポジションに出世する可能性の無いのかもしれません。このこと自体は決して人間の価値を決めるものではありませんが、その時どう自分をモチべートし自分自身がいかなる行動を起こすかで、その後の人生の豊かさが大きく変わるのではないでしょうか。

 

得意分野を生かし会社内で貢献

 私は40才頃社長としてある会社の経営を任され、沢山の部下を持つことになりました。この部下へ給与はめったなことがない限り減額できません。むしろ、経営者は社員の給与を毎年上げて行く努力をしなければ評価されない宿命を持っています。

 経営者として部下という社員を観察する機会も当然ありました。特別な才能が無い普通の社員なのに、こんなに沢山の給料をもらってよいのだろうかと、社員側に立って逆に心配することもありました。経営責任のある社長の二分の一から三分の一ほどをもらえる立場の社員も沢山います。特別すぐれた才能を持たない社員もいます。このような人に会社が沢山の給料を払ってくれる商売はそう多くないのではないかと、自分ながらサラリーマンが羨ましくなったこともありました。

 凄い能力のある人と比べてください。大学の同期や近所に住む優秀な人で作家や音楽家になった人もいます。客観的に観て、特別な能力がある人でした。それでも、その分野での収入のみで食っていくのは大変と聞いています。これに比べて、収入の点だけを考えると、上記に記載のサラリーマンは楽です。

 だから、会社に感謝すべきとまで言う筋合いはありませんが、長年お世話になって自分を引き立ててくれた会社です。人生半ばの50才からの10年間をどう考えるかです。20数年仕事をしていれば、得意な分野は自ずと明確になっているはずです。まずは自分の得意な分野で如何に会社に貢献するかを考えても良いのではないでしょうか。その能力を駆使して、何か一つでも会社の資産となりうるものを築いていく努力をしては如何でしょうか。意外な展開で、本人に大きなチャンスが巡ってきて、更に豊かな人生が送れることになるかもしれません。