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語り継ぐ経営

第148回 トーマス・ピケティから学ぶ(1)

Posted on 2015-03-26

 トーマス・ピケティ氏の本が話題になった直後、これを読もうと本屋さんで立ち読みしましたが、その分厚さに圧倒されました。かつてゼミで勉強のために読んだ(?)、読まされたケインズの通称「一般理論」よりも「厚そう!!」というのが第一印象でした。

 そこで購入は諦め、沢山出ているピケティ氏の本の解説書を数冊読むことに切り替えました。有り難いことに、どの本も大変分かりやすく書いてあり、私にとっての論点が明確になりました。

 

1.私なりの論点整理

 私なりに彼の主張を解釈すれば、論点の第一は、所得は「労働所得」と「資本所得」の和になり、この二つが平等に分配されないこと、第二は、このことがあるために、人々の間の格差が拡大していることと把握しました。上記の主張の帰結としての第三の論点、税に関する政策提言と整理されます。

 

2.格差拡大の比喩

 上記の第一の論点との関連で第二の論点の主張になりますが、資本収益率(r)と経済成長率(g)の関係です。ここで、rがgより大きくなると富の分配で格差が拡大すると説いています。

 ここで論理を勝手に個人のA氏とB氏の二人の関係に比喩的に引きなおしてみます。個人の投資からの収益率と個人の所得の伸び率の関係です。

 投資を出来る余裕のあるA氏と、余り資金に余裕がなく毎月の収入で家計をやりくりしているB氏がいると想定します。A氏が余裕資金を使ってこれから投資する儲けの率が、普通に働いて生活の糧を得ようとするB氏の所得の伸び率を上まわれば、何年も経過するうちに、A氏とB氏の二人の格差が拡大していくと把握すれば良いと考えました。

 rがgより大になるような条件下では、A氏の相続財産がB氏の生涯の労働で得た富より圧倒的に大きいものになると説いています。一旦生まれた資本は、生産高が増えるよりも急速に再生産していき、過去築いた財産が、働いて得る将来の収入を凌駕するまでに現在なっているとの主張です。

 現実に海外で大資産家になりそこに住んでいる私の知人を見ると、彼の資産が一定水準を超えたある段階以降その資産がどんどん拡大していったように、私には見えました。A氏のグループに属する人です。大きな資産が背景にあるので、彼は大胆な投資をしていました。リスクを冒すことが可能だったのでしょう。資産の運用をプロに任せて確実に資産を増やしていったようです。他方、上記のB氏は、少額の貯金から大きな投資リスクを冒す決断をまずできない、ましてや、料金を払ってまでプロの運用担当者を雇えません。A氏と大きな違いが出てきます。

 こうなると、A氏とB氏の貧富の差が更に拡大することになります。

 

3.資本と労働の関係

 マルクスの「資本論」にも書かれていた通り、過去、資本と労働は衝突してきた事実があります。マルクスの発想の原点はこれです。また、格差の程度こそ当時とは違うとしても、今もこの二つは現実に衝突しています。

 安倍首相が、企業で働く従業員の賃金のベースを上げるように経営者側に暗黙の圧力をかけ、実際に春闘で賃金のベースアップを労働者が勝ち取っているのを見ても、舞台の裏側で二つの衝突あることが推測できます。収入全体の分配、すなわち、収入の山分け方法を巡って、古来より必ずこの衝突が発生し、今も発生していることになります。

 ただ、不思議なことに今回の賃上げは、マルクスが主張する労働者が闘争で勝ち取ったというより、「鶴の一声」が経済団体に響き、資本家が余剰利潤の一部を労働者に分け与えたとの印象を持つのは、私一人でしょうか。

 いずれにしろ、交渉により資本所得の一部が労働所得に分け与えられたことになります。

 

4.何故、成長志向か

 ここで我々が思いをめぐらせなければならないのは、何故、世の中がこんなに経済成長を叫ぶのかです。「成長なくして、デフレ脱却なし」というスローガンめいたことが、時の政府からも叫ばれていた記憶があります。経済の成長でデフレを脱却したとしても、これと国民の豊かさがどうつながっていくのかの素朴な疑問には答えていません。

 ケインズは「一般理論」の中で、経済成長の結果、労働者の労働時間が大幅に減少して、労働者は減少した時間を人生にとってもっと大切なことに使うようになると考えていました。

 しかし、現実は違いました。技術革新の結果、企業の生産性が向上したのは事実ですが、これを生活の豊かさに結び付けるために、国民は何を強いられたでしょう。沢山の時間を使い、より沢山消費する生活パターンが、国民の価値観として定着している現実を、ケインズはどう説明するのでしょうか。

 ケインズには申し訳ないのですが、彼の論理を凌駕する経済学がその後出てきていない事情などから、皮肉なことに資本蓄積がある段階まで進みさらに経済が成長すると、B氏のような普通の労働者の労働時間がますます長くなり、以前より生活のゆとりが少なくなってきているように思えます。

 

 

 

第147回 孤高に生きる

Posted on 2015-03-19

「孤高の男」のあだ名

 以前経営を託されていた会社にいた時、ある記者から「孤高の男」と私にあだ名をつけられたことがありました。

 あるとき新聞記者諸氏からインタビューを受けた際に、会社の経営を引き受けるに至った経緯、親会社からの資金、人員などの援助をほとんど受けないで社員と共に必死に会社を建て直し、会社を成長軌道に乗せた戦略の背景となる哲学などについて質問を受け、それに対応した内容などから、一部の記者からそう呼ばれるようになったと推測しています。

 私は、付和雷同することが大嫌い、群れることが大嫌い、不正義が嫌い、内容を伴わない形式主義が大嫌いです。しかし、人と人とのつながりを非常に大切にし、正義や信義の保守のための日本的な人間関係を非常に大事にするという、一見矛盾しそうに見える両面を持っているのが、自分でも不思議です。

 

孤高に生きるとは

 考えてみると、この大切な人間関係を強固に出来るのは、逆説的ですが、私が孤高に生きるということの意味を、上述の経営の実体験で知っているからかもしれないと思います。

 ここに孤高に生きるとは、自らの主義や哲学を尊重し、むしろ、それらにプライドを持って生きる、その過程で、プロと称する人からは頭を下げてでも教えを乞い、自分の主義主張や哲学をさらにレベルアップすべく常に思考し、同時に、人との関係を重んじながら行動する信念の人の生き方を言うのではないかと、私は考えています。

 ここに定義する孤高を詰めていくと、孤独だからこそ人間同士の関係をいとおしく貴重なことに思う感覚を持つほどです。すなわち、孤独と人間同士の絆は両立し、その両方を持つ人が孤高の人であるという発想です。

 

最近の事件の背景の一部

 最近発生した、18才以下の若者が引き起こした痛ましい事件をニュースで見るたびに、この人たちは、本当に意味での孤独と人間関係の両方の重要性を分かっていないのではないかと感じます。今回の事件の背景には、いろいろな理由があったと推測しますが、彼らに孤独の中で自らを見つめなおす信念が欠如していることも、その背景にあるのでは?と感じます。

 18歳以下の若者に、それを求めるのは難があるとの指摘を受けるのは覚悟しています。しかし、今の世界の情勢の中で、果たしてそんなことが本当に胸を張って言えるでしょうか。私個人としては、彼らも普通に責任を負える世代だ、そういう人間いなってもらいたいと思います。

 

群がって、敵を捜す

 彼らは、信念が無いので群がる、群がった中のみで自分より弱い者をいじめて満足感をうるという、いわゆる孤独に耐える力の弱い人たちではないかと思うのです。

 いろいろな人との接点を、SNS等で半強制的に求めていく彼らの行動は、孤独に対する不安、恐れがあるからかもしれません。厳しい言い方ですが、孤独からの逃避です。

 実は、この孤独を恐れる心というのが、非常に危険だと考えます。集団に属さないと安心しないことから、他集団を排除する論理や、もっと大きく考えると、国単位での排他的ナショナリズムや民族主義の論理に陥りやすいからです。東南アジアの一部の国でこの現象が如実に表れている事実からも推し量られると思います。

 

国との関係で距離を置き、孤高に生きる国の関係

 国との関係の外交でも、遠くで互いに見守るという付き合い方が良いかもしれません。国民を統率する統治者が心の奥底のどこかでは良からぬことを考えているかもしれないとすれば、違った国の統率者同志が近づくと悪が出てくるものと思います。

 隣国の政治が絡むと関係は更に複雑になります。そこで、国との関係を大切にするのなら、逆にある程度距離を置くべきかもしれません。

 

結語

 個人も国家も孤高に立つことに弱くなった今、自分自身や国家の指導者も孤高の意味を考え、孤高をきちっと見つめる気持ちを持ち、それによって自分や国民が心の奥底で誰かに支えられていることを、是非忘れないでいただきたい。

 

 

大切なことを見極める努力

Posted on 2015-03-12

 3月2日、かつて一緒に仕事をした仲間が、福岡の地で「園山を囲む会」を盛大に催してくれました。深更まで皆で飲み語り、本当に楽しいひと時でした。

 この会の締めの私の「社長講話(?)」の内容を一部踏まえて、本日は私が大切にしている思考と行動パターンについてふれます。

 

1.集中して本質に近づく

 私は最近、物事に集中することを心がけています。

 以前は、「あらゆることが大事」と「何でもかんでも」口をはさんでいたため、エネルギーの分散でいろいろな失敗をすることもありました。

 しかし最近は、周辺の甘い言葉にも同じなくなりました。大切なことを見極め、それに集中することで、少し全うな生き方が出来るようになったと思っています。 集中するために、考える、考え抜くことを訓練しているのです。

 若い経営者にアドバイスを求められると、必ず言うことにしているのが、「しっかり考えてみなさい。」です。彼らが事業展開を多角化したいと相談にくる時にも、「何に着手するか、戦略の選択を誤るなよ。しっかり考え抜きなさい。」と助言しています。格好良いこと、やりやすいことなどに目が向き、戦略の選択を誤ることで事業機会の時間的ロスを少しでも回避させるためです。

 事業の発展のために、本当にやりたいこと、やらなければならないこと、すなわち本質に、作戦展開を絞ることが出来るように習慣づけするためです。

 

2.ノイズの除去

 この時に気をつけなければならないのは、周辺から入ってくる沢山の情報の中に潜むノイズです。私は、何かのノイズに左右されない生き方、たとえ孤高であっても、心の中ではプライドを持って豊かに生きることを旨として努力しています。

 情報の中のノイズについて、私は次の例をよく出します。

 海外に長期出張して帰宅すると、溜まった新聞を日付の逆の順に読むことにしています。多くの場合、意味がない記事が何と多いことかと、唖然とします。その刹那には価値が高い情報だと思っていても、実は以後に修正を余儀なくされる情報や自分にとっては無価値なもの、つまり「ノイズ」が多いのです。

 考えてみると、世の中の大半の情報が、実は誰かが誰かのためにした、ある種の操作情報かもしれません。ましてや自分のやりたいこと、やらねばならないこととは無関係なものが多いもので、自分の思考の軸の観点からすると、ノイズです。 それらの情報洪水の中から本質的なものを捜す努力をしなければなりません。

 難しそうに聞こえるかもしれませんが、誰もが、これをやっているつもりだと思います。ただ、トコトン「選ぶ」ことをやっていないだけです。情報の内容を疑ってかかるという正当な思考や行動をしていないということです。

 

3.捨てる=選ぶこと

 上に記載した、「選ぶ」ことは、その裏返しとして、何かを「捨てる」こととなります。

 限られた時間内で「あれもこれも」選択できないのが、一般の人の実態です。そこで、良さそうなことがあっても、更に良いことに絞るクセをつけなければなりません。

 このために、私が努力してやっていることは、頭の中で案件の自己採点をやることで案件の取捨選択の具体的評価方法です。

 まず自分に取って重要な軸を、次のa)~d)と勝手に決めています。

 a) 自分の主義に則しているか

 b) それをやることで、これまでの友人を多く失うことにならないか

 c) そのことを本当に継続して出来るか

 d) 金銭以外の物も含めてどんなベネフィットが自分にあるか、の4点。

 上から30点、25点、25点、20点とこれまた勝手に配点し、100点のうち何点になるかを瞬時に計算しています。

 これを、私が事業を経営する経営者で新規事業に着手したい時と仮定すると、

 a) 経営理念に則しているか

 b) それをやることで、従前の顧客を大量に失うことにならないか

 c) それを誠実に継続し続けられるか

 d) ベネフィット、利益を生む事業となるか、となり、同様な配点で計算することとなります。

 具体的な案件に直面した時、日を変えて評価していくのです。日によって配点がぶれる項目も現実には出てきますが、どこかで配点が落ち着きます。その時が判断の時点と、そこで最終評価します。

 私にとってさらに大事なことは、ある総合点数、90点以下の候補は全て捨てることです。下手な譲歩はしません。

 実際やってみるとすぐ分かりますが、この方法でやると、冒頭に述べた「あらゆることが大事」、「何でもかんでも」の呪縛から抜け出せます。経営者として焦る気持ちの整理にもなります。ほとんど90点以下の捨てる運命になり、本質的なことしか選択できないはずです。

 少し蛇足ですが、これに関して最近ある人からレビューを頼まれた「ふるさとの活性化」の企画案の中の附録として掲載されていたものを、真似たくない例として挙げさせていただきます。企画案を作成した方事態は非常に熱心で、企画案自体はリファインされてきたのが嬉しい限りです。

 ところが、附録として企画案に添付されていたある町の「ふるさと活性化方針」の内容には驚きました。役所が作成したものと思われます。

 あまりに教科書的というか、「あらゆることが大事」と住民全員を満足させようとしたのか真偽は不明ですが、結果としてどの住民も満足させられない施策の網羅に成り下がっていると、私には映ります。役所の立場上、仕方の無い部分があるにしても、あまりに「捨てる」こと、本質的なことに「絞る」ことが欠落している内容で、現実にはこの街からふるさとが活性化するには厳しいものに映るからです。

 

4.捨てる=選ぶことの私の体験

 「捨てる=選ぶ」プロセスの例として、私が実践した経営戦略策定の方法が参考になると幸いです。

 ある会社の経営を託された当初、サービスの価値を高めるため、サービス基準の設定や社員間のチームワークづくりなど会社として大切にしたい価値観を設定し、これを基盤としながら将来の魅力的なビジョンを掲げ、この実現に向けて毎期の年度計画を策定していくことにしました。ある程度の会社ならどの会社でもする方法です。

 しかし、これだけではサービスで差異化を図るという会社が、目指す価値を実行し社会に表明する意味はあっても、戦略の本質目標にはならないことを、私は知っていました。

 ビジョン自体は魅力的のものではあっても、その性格上、具体性に欠けており、これのみでは戦略の本質目標として社員全員を引っ張っていくには無理がありからです。他方、毎年の年度計画は数字という具体性はありますが、今度は社員にとって内容に魅力が乏しいものとなってしまいます。

 そこで、当時両方のことを考慮してやったことは、社員全員に魅力的で、かつ具体性があり、しかも測定可能な大きなものを目標に据えることにしました。

 「5年以内に、上場」というものでした。他のことは大半捨てて、この目標を本質的な戦略目標として、背水の陣を敷いて会社の作戦を展開することにしたのです。すなわち、考えて考えて、絞る、「捨てる」ことから選択した戦略目標でした。そしてそれは、会社の大きな発展につながりました。

 皆様の思考と行動のパターンの中で、捨てる=選ぶというプロセスを経て本質に近づくことに関して私の体験も含めて述べましたが、参考になれば幸いです。

 

 

営業センスとは

Posted on 2015-03-05

 最近、ある会社の社長と、新規事業の立ち上げの件で話し合う機会がありました。その中で営業を如何に活発にするかについて議論する場面がありましたので、その時のことを思い起こして、本日は営業マンの営業センスについてふれます。

 

1.商品へのほれ込み

 営業マンを増員して新規商品の営業を更に活発にしたいという考えには大賛成です。ただし、条件あり。自社の商品に本当にほれ込んでいる営業マンを追加アサインすることが決め手だと、私はアドバイスしました。そのことが営業のスキル以前に重要なポイントだと考えているからです。

 新しい商品である以上、いろいろ不完全なところがあります。このような状況下では、営業マンがその商品にほれ込んでいるといないとによって、事業の展開に大きな違いが出ます。「これは売れないなー」と思っている営業マンでは、その商品が売れないのが当然だからです。営業には「この商品が好きなんだ」という熱い思いが不可欠です。

 お客様へのプレゼンテーションの場面でも、営業マンの迫力が違います。お客様からは、その営業マンの本気度などすぐ見抜かれます。営業マンの思いが相手に敏感に伝わるので、「私が好きなこの商品をお薦めに参りました。」という姿勢が自然にでることが必要なのです。

 

2.プレゼンテーションの手順

 さらに、新規の商品である以上、お客様には、その商品の良さについての情報が不足している場合が多いです。従って、お客様には周辺の情報が必要です。その場合、相手の立場を考えて、相手側が欲しいと思う情報を真っ先に出すプレゼンテーション資料にすべきとアドバイスしました。

 一般的なプレゼンテーションでは、自社の紹介から始まって、マーケット状況の説明があり、その顧客の課題の解決にその商品がいかに役立つかを最後の方で触れることが多いです。私は、ずばり相手の課題の解決にその商品がどうメリットがあるかに触れる方が良いとアドバイスしました。特に、対象となる中・小の企業の経営者に対しては、プレゼンテーションの順序をこのように変えた方が良いと考えます。

 お客様は自分の商売をずっとやっているプロですので、自らの課題は分かっています。貴重な時間の中で、その課題を解決してくれそうな提案や商品か否かをまず知りたいのです。そのような提案や商品には興味を抱き、彼の心の中での抵抗感をまず払しょく、若しくは、下げるように、プレゼンテーションのイントロの部分が大事なことを強調したいものです。ここが営業マンの勘所です。

 

3.良い体験をしてもらう

 これに成功したら、他の顧客での事例を基にして、まずはその新しい商品を体験していただくことです。顧客は頭の中では分かっていても、疑いたくなるものです。体験するとしないとでは、安心感が全く違います。新しい商品は、一般的に入り口のバーが非常に高いので、このバーを下げてもらうために、まずトライアルの体験してもらうことが一番です。しかも、良い体験をしてもらうために、周到な準備をしてから「お試し期間」として体験してもらうことをお薦めします。

 

4.顧客の意思で選択

 ここまでくれば、しめたものです。後は、クロージングです。良い体験をしたらすぐ次のステップ、すなわち、契約に持ち込むことです。ただし、ここで自分の論理だけで突き進むような無理をしないことです。顧客は体験を通して商品の良さを分かっていますから、プッシュの方法に最大限の留意が必要です。

 逆に経営者として選択する立場でもあった私の経験からすると、選択する側は、自らが合理的、且つ、主体的に意思決定したのだと、常に思いたいものです。従って、顧客自身が意思決定を合理的にしたのだと思える方法にすべきです。その意味で、せかすのは禁物です。

 同業者の契約状況などの情報をそれとなく出して、他の人の判断に顧客が感化されるように仕向けるのも一つの方法です。何故なら、経営者は、他の人、特に、同業者の行動に同調しやすい性格を持っているからです。

 

 

経営上、私が大事にしたいこと

Posted on 2015-02-26

 以下に述べる企業風土・企業文化を持ち続ける企業が成長をし続けていることを、私は経営を通じて学びました。こういう企業風土を造る会社は成長し続けています。

 

1.その時に顧客が求める価値の提供

 顧客に対して、その時に求めている価値を提供し続けることです。

 顧客は時代により変わります。同じ顧客でも時の経過によって要望が変わってくるものです。どの会社も特徴と言いますか、格好良く言えば、コアビジネスを持っています。これを時代の要請に応じて自ら変質させることが肝要です。

 例えば、私が関係していたテレマーケティングの事業では、最初は電話という道具を利用していました。その後、インターネット環境の発展により電話に加えてPC端末での応対が加わりました。更に今は、この分野の技術進歩と顧客の要望の変質に対応してチャット機能での応対に変容、若しくは、今後これが加わってくるのではないでしょうか。

 その時々に顧客が求めている価値の提供をするため自社のコアの能力を再構築して、基本となる顧客対応の能力に徹底して磨きをかけることです。

 

2.身の丈を認識

 身の丈経営に徹することです。

 私は経営に携わっていた当時、テレマーケティング関連事業の分野において、サービスでなら自社も勝負をできるが、物的製品や私が不案内な商品での勝負をするのは身の丈に合わないと認識をしていました。

 そのため、当時多くの経営者が投資に走った不動産や金融の分野には一切手を出しませんでした。その結果会社の経営は、1990年代にバブルと言われた現象の影響とは無関係でした。戦略自体は大胆な展開絵図を描きましたが、経営実践上は身の丈を知って、余剰資金があっても慎重、且つ、質素にふるまっていました。お蔭で、企業経営のリスクを最小限にし、しかも、会社の成長のスピードを上げることが出来たのです。

 

3.価値観を繋ぐ行為

 価値観を共有し、その価値を社員の行動で将来に向けて繋いでいくことです。

 価値観を繋ぐ主役は、私の分身たる幹部社員でした。新・旧入り混じった幹部社員の軍団でした。水は上から下へ流れるとの例えの通り、主として幹部社員を徹底教育し、彼らを通じて価値観を繋いでいったのです。

 どこの会社でも社是、経営理念などがあり、応接室などに掲げてあります。しかし、それだけでは何のためにもなりません。行動にも価値観が表現されねばならないのです。社員の日常の行動に価値観が徹底して表現されていなければ、会社は思った方向に動かないからです。

 このため私は、特に社員の教育を大事にしていました。また、賑わうイベントや神事なども大事にしていました。教育や賑わうイベントは、共有すべき価値を公開し、社員が自らの体験を通じてそれを共感することに役立つからです。

 教育やイベントは、社員が組織の中で学習、体験するためには不可欠なプロセスでした。なにも特異なことをやるのでなく、会社が目指すこと、それをどう達成するか、何故社員の協力が必要か等を徹底して議論する場と頻度を沢山設けたのです。目標を達成したら、それを皆で祝う場を設けました。そこに出席して、皆が醸し出す雰囲気と臨場感を体験させるためです。

 神事は、もともと私が出雲の出身でありましたので、これを大事にしました。センターの開設などには、どんなに小さくてもそこに神主を招いてお祓いお浄めの儀式を怠りませんでした。この一見理論的には理解しがたいことについても、皆が価値観を共有してくれました。

 

4.自由度と裁量範囲

 自由度と裁量度を高めることです。

組織としての限界はありますが、個々の社員が希望することをなるべくやらせることにしていました。その環境を与え、その中で彼らが自律的に考え、自己の裁量で判断、行動を起こせる環境を作ることです。

 身を縛られ自由が無い環境では、生産性、特に中・長期的な生産性が高まらないからです。また、自由な環境から創造性が生まれやすいからです。

 

 以上、主要な点のみを上げましたが、このような企業風土・企業文化を造り上げる過程こそが会社の成長と発展につながると考えています。