園山征夫のビジネスコラム 園山征夫のビジネスコラム 園山征夫のビジネスコラム

語り継ぐ経営

第213回 経営者が人格の幅を拡げるには(1)

Posted on 2016-08-04

 複数の人格が同一人物の中に潜むという意味で、経営者は、若しくは、ほとんどの人間が、ある種の多重人格者だと思います。

 

複数の人格

 そう言う私も、下に述べる定義による多重人格の一人です。

 私は約20年位ある会社の経営者でしたが、社員の心を一つにまとめるために、会社のビジョンや将来像を熱く語りました。ある種の「夢」の実現に向けて自分の思いや志を熱く語っていました。

 その一方で、毎月の社長点検時には、計画の数字の達成に厳しく質問攻めで望み、ある意味で「数字の鬼」となっていました。そうしないと、企業として社会的存在価値が断たれる可能性があったからです。

 このように、同一の私に複数の人格がおり、置かれた状況や立場で「異なる人格で対処していた」ことになります。

 

人格とは

 ここで人格とは何かです。

 「あの人はxxの様な人だ。」と言いますが、実はこれが人格だと考えています。このxxに、普通は何が入るのでしょうか。

 真面目、数字に強い、手先が器用、細かい仕事が得意、人の面倒見がよい、陰険などなどが入ります。この言葉群を見ると、ほとんど才能と言ってもよいかもしれません。すなわち、嘘を絶対につかない優れた才能、理論的に思考する才能、繊細で細やかな作業を好む才能、マネジメントが得意な才能などの、才能群が浮かびます。

 

多くの才能の持ち主

 従って、多重人格とは、肯定的にとらえると多くの才能の持ち主だということにつながります。多くの人格のうち、現時点ではその一つが表現されているのです。

 課長のレベルで必要な才能が出ていたとしても、その人が経営者になって暫くすると、本人が深層的にもっていた隠れた才能が、社長職と言う状況や環境の変化で開花する人もいます。

 立場や状況に即して、人格が自分の中に育ち、表に出てくるのです。なお、よく心理学者が議論する幼少期の虐待の体験者は、この事実を強く抑圧されて表面に出ないようにしているといわれていますが、このような抑圧された人格の議論に関しては、私の範疇を超えたものとなりますのでここでの対象外とさせていただきます。

 

人格を育てる

 上記のような特殊な場合を除いた人格については、わたしはマネジメント出来ると考えています。

 それでは、表の人格に加えて隠れた人格双方を開花させるにはどうすればよいかを取り上げます。これを取り上げるほうが皆さまの生活がより豊かになるからです。

 答えは、人格を「変える」のでなく、隠れた部分を「育てる」発想です。

 皆、長年生きて、自分の人格を形成してきているはずです。育った生活環境、友人や会った人物、家族の影響、海外体験など様々な生後の影響により形成されてきたものです。

 現実にはその人格を自分でコントロールできない場合も発生します。

 このような場合には、変えようとせず、それはそれとして、新たな人格を育てる努力をすれば良いのではないでしょうか。

 個人的には、短気で結論を急ぐ人格の持ち主でした。それを自分で意識していたので、私自身、のんびり相手のことを聞く人格を育てる努力をしました。経営者になってからです。相手に寛容になる修業を自分の中でしたつもりです。自分で言うのもおかしいですが、そのような人格を演じていると、しばらくしたら、それが自分の中に「育ち」、意識的に必要な努力をしなくとも出来るようになりました。

 経営の指導を要請されるときなど、この体験のメリットにより、その経営者の心の在りようが何となく自分の内面に映り、鮮明に分かるように感じることがあります。その経営者が落とし穴にはまり失敗しないようにアドバイスするために大いに役立っています。

 

第212回 今、リーダーに求められている経営の視座(7)

Posted on 2016-07-28

前回の続きです。

 

海外の幸せ観の例

 幸せの国際比較をした研究があることもも知りました。2006年イギリスのレスター大学が178か国を対象にしたもの経済成長率のみでなく、健康、景観、教育、信仰心などを基準に各国の幸福度を計測したものです。

 日本は90位ですが、1位はデンマークです。

 この国は地図で分かる通り、平坦で比較的暖かい。農業が強い国で、社会保障制度を早々に充実させ福祉国家を築いた国と社会科で学びました。

 なぜ幸福度が高いのかは別として、本題との関係で幸せに焦点を当ててみます。

 この国出身の童話作家のアンデルセンが有名です。

 皆さんご存知の童話、『マッチ売りの少女』が幸せを語っているのではないかと思います。これはデンマーク人に幸せの考え方を諭したものとも捉えることができます。以下は、Wikipediaからの全文引用です。

「むかしむかし、雪の降りしきる大みそかの晩。
みすぼらしい服を着たマッチ売りの少女が、寒さにふるえながら一生懸命通る人によびかけていました。
「マッチは、いかが。マッチは、いかがですか。誰か、マッチを買ってください」
でも、誰も立ち止まってくれません。
「お願い、一本でもいいんです。誰か、マッチを買ってください」
今日はまだ、一本も売れていません。
場所を変えようと、少女が歩きはじめた時です。
目の前を一台の馬車ばしゃ)が、走りぬけました。
危ない!
少女はあわててよけようとして雪の上に転んでしまい、そのはずみにくつを飛ばしてしまいました。
お母さんのお古のくつで少女の足には大きすぎましたが、少女の持っているたった1つのくつなのです。
少女はあちらこちら探しましたが、どうしても見つかりません。
しかたなく、はだしのままで歩き出しました。

冷たい雪の上を行くうちに、少女の足はぶどう色に変わっていきました。
しばらく行くと、どこからか肉を焼くにおいがしてきました。
「ああ、いいにおい。・・・お腹がすいたなあー」
でも少女は、帰ろうとしません。
マッチが一本も売れないまま家に帰っても、お父さんはけっして家に入れてくれません。
それどころか、
「この、役立たずめ!」
と、ひどくぶたれるのです。
少女は寒さをさけるために、家と家との間に入ってしゃがみこみました。
それでも、じんじんとこごえそうです。
「そうだわ、マッチをすって暖まろう」
そう言って、一本のマッチを壁にすりつけました。
シュッ。
マッチの火は、とても暖かでした。
少女はいつの間にか、勢いよく燃えるストーブの前にすわっているような気がしました。
「なんて、暖かいんだろう。・・・ああ、いい気持ち」
少女がストーブに手をのばそうとしたとたん、マッチの火は消えて、ストーブもかき消すようになくなってしまいました。
少女はまた、マッチをすってみました。
あたりは、ぱあーっと明るくなり、光が壁をてらすと、まるで部屋の中にいるような気持ちになりました。
部屋の中のテーブルには、ごちそうが並んでいます。
不思議な事に湯気をたてたガチョウの丸焼きが、少女の方へ近づいて来るのです。
「うわっ、おいしそう」
その時、すうっとマッチの火が消え、ごちそうも部屋も、あっという間になくなってしまいました。
少女はがっかりして、もう一度マッチをすりました。
すると、どうでしょう。
光の中に、大きなクリスマスツリーが浮かびあがっていました。
枝には数え切れないくらい、たくさんのロウソクが輝いています。
思わず少女が近づくと、ツリーはふわっとなくなってしまいました。
また、マッチの火が消えたのです。
けれどもロウソクの光は消えずに、ゆっくりと空高くのぼっていきました。
そしてそれが次々に、星になったのです。
やがてその星の一つが、長い光の尾を引いて落ちてきました。
「あっ、今、誰かが死んだんだわ」
少女は、死んだおばあさんの言葉を覚えていました。
『星が一つ落ちる時、一つのたましいが神さまのところへのぼっていくんだよ』
少女は、やさしかったおばあさんの事を思い出しました。
「ああ、おばあさんに会いたいなー」
少女はまた、マッチをすりました。
ぱあーっとあたりが明るくなり、その光の中で大好きなおばあさんがほほえんでいました。
「おばあさん、わたしも連れてって。火が消えるといなくなるなんて、いやよ。・・・わたし、どこにも行くところがないの」
少女はそう言いながら、残っているマッチを一本、また一本と、どんどん燃やし続けました。
おばあさんは、そっとやさしく少女を抱きあげてくれました。
「わあーっ、おばあさんの体は、とっても暖かい」
やがて二人は光に包まれて、空高くのぼっていきました。」

 

 上記の引用を勝手に簡略化して解釈すると、冬の寒い夜に貧しい少女がマッチを売っていました。なかなか売れません。凍え死ぬような寒さの中、少女が自分を温めようとマッチを擦ると、ストーブが目の前に現れてきます。ところが、暖を取ろうとストーブに近づくとストーブは消えてしまいます。次にマッチを擦ると、ご馳走が並び燭台が現れますが、それを手に入れようとすると、ご馳走は消えてしまいます。

 また少女がマッチを擦ると、おばあさんが現れ、少女を抱き上げて天国に連れていきます。

 翌日、残ったマッチを抱えながら少女が死んでいる姿を見ることになるのです。

 

デンマークの幸せ概念

 この教訓は、人間は幸せを求めようとすると、なかなか得られない。たとえそれが得られることがあってもすぐに消えてしまうことを暗示しています。さらに、高望みをすることが如何に無益なことかも警告しています。

 欧米の一部の経営者には、家庭を犠牲にしてまで高額の経営報酬を求めて働き続け、さらに高望みを追い求め、結局、際限のない欲望の壁に突き当たり人生を棒に振った人もいます。そのような人を私は見てきました。

 そのようにならないようにアンデルセンは、玄侑氏の説く人間関係というより、自己を律する厳しい心を前提においているとみられます。彼の考え方がデンマークやヨーロッパを代表する意見かは不確かですが、幸せの考え方の違いが見えます。

 人は自己を律しそこそこの幸せを求めることによってこそ、満足度の高い人生を送ることができることです。この考え方が日本にないわけではありませんが、玄侑氏の人と人との関係から幸せを説く意見も非常に参考になります。

 

ゼロ成長時代の幸せ観

 日本のようなマイナスの人口成長率では経済成長率は高まるはずがありません。高めるには出生率(含む移民)を上げるか、資本の成長率、技術進歩率を上げることが必要だと慶応の時、経済原論で習ったのですが、それを実現する策がもちろん必要です。

 加えて、ゼロ成長率の時代の日本での「幸せ度」をいかに上げるかという、これまでになかったテーマに正面から取り組むことが国家施策として必要ではないでしょうか。

 ご参考になれば幸いです。

 

第211回 今、リーダーに求められている経営の視座(6)

Posted on 2016-07-21

前回からの続きです。

 

「幸せ」の概念

 私は、「これからの社長の仕事」(ネットスクール出版)の中で「農耕型企業風土」づくりを通じて会社を中・長期的成長と発展を実現できる「フォーミュラ」を説いていることを、この「今、リーダーに求められている経営の視座」の数回前に書きました。

 この「フォーミュラ」の特色は、社員を幸せにすることで会社の成長につなげることを骨子としているもので、会社の成長が社員を幸せにすることではないことを逆説的に強調したものです。

 これを国レベルで例えると、国の経済力がその国民の幸せレベルに必ずしも比例していないことでも分かる通り、国民の幸せ度はGDPなどの数字では測れません。

 現在もこの考えが踏襲されているかは未確認ですが、1976年にブータンの国民総幸福(Gross National Happiness)という概念(詳細省略)が紹介されたのも一つの試みです。

 

日本的幸せ観

 幸福度の国により考え方の差があるかは後述しますが、ここで一番言及したいのは日本人ならではの「しあわせ」観です。幸せの感じ方が日本での経営に大きく影響する考えているからです。

 たまたま読んだ玄侑宗久氏の『しあわせる力―禅的幸福論』に面白いことが書いてありましたので、参考のために要約紹介します。

 

語源

 「しあわせ」という言葉は和語で、室町時代には、人と人との関係がうまくいくことを「仕合わせ」と呼んだと言います。詳細な説明は省きますが、すなわち、日本人が考えたしあわせは、常に相手がおり、西洋的な計量できるしあわせ観と違うというのです。

幸福の幸という文字、日本人はこの一字で「さいわい」と読んでいます。「さいわい」は、「さきわう」という言葉が変化したもので、さきわうは賑やかにいろいろな花が咲いている状態のことだから一人では無理だと玄侑氏は言います。

 要するに人間関係、人と人との間で「しあわせ」が決まると日本人は考えたと、玄侑氏はいいます。人間関係がしあわせをもたらすものだということです。

 玄侑氏によれば、「日本人がしあわせを感じるのは、思わぬことが起きて、その中で揺らぎながら何とかやりくりしつつそれを楽しんでいるような状況」ということになりますが、すべてロジックで片ずけ因果律で考え、確実な近未来を想定しようとする現代社会の発想とは違います。その発想では、予定外のことが受け止められなくなり、そのため、しあわせは、起りえないと彼は説いています。

 私もそう思います。

 障子で覆われた三畳の小さな茶室に寝そべり、障子に映る外の四季の移ろいを楽しむ。光も音も遮断しないのに、幽かな心豊かな瞬間を楽しむ。この自然との相対の中で変化を楽しむ国民性が日本人には本来あるはずです。

 物事は相対的です。関係性を重視し、これに上手く対応することが日本人の幸せ感の根底にあると、私も思います。

 

行き過ぎた個性の主張が妥当か

 これに対して最近気になるのが個性という言葉だと、玄侑氏は論じています。

 自己の輪郭を明確にすることを迫られ、明確にすればするほど説明できない事柄が増えています。

 自己の輪郭を明確にするには自己言及をすることになりますが、これにはきりがない。ちょうど自分のしっぽを咥えて食べる蛇のようなもので食べれば食べるほど苦しくなります。本来自己というものは関係性の中に成立し、関係は絶えず変わり続けるものと日本人は考えていたと、」玄侑氏は述べています。

 弱い人間が生き残ってこられたのは、集団で暮らしていたからで、こういった集団を作れる力が「しあわせる力」といえる。ところが、現在われわれは人の世話にならないシステムつくりをどんどんすすめてきています。「核家族」、「一人住まい」してその結果、人間の本質的な力がどんどん衰え、コミュニケーション力も弱まったのではないでしょうか。

 

皆で仲良く

 七福神という集団がしあわせをつくることも紹介されています。七人の幸せを運ぶ人です。昔自宅の神棚の横に七福神が飾ってあったのを記憶しています。

 七福神をめぐって歩く習慣は、江戸時代に江戸で始まったようです。七福神そのものは、室町時代末期ごろ、京都の臨済宗のお坊さんが考えだしたと言われています。

 なぜ七福神を作ったのかです。

 八百万のイメージなのだそうです。インドからの毘沙門天、大黒天、弁財天、中国から福禄寿、寿老人、布袋さん、あと一人日本から恵比寿さん、合計7人です。

 八百万のどの一つにも正義を求めないという日本人の感性が凝縮して示されている。正統も異端もなく横並びにごちゃまぜであることがしあわせなのだ。全員一致などありえないと、玄侑氏の本に紹介されています。

 日本人の幸せ感、素晴らしい意見だと思います。

 

第210回 今、リーダーに求められている経営の視座(5)

Posted on 2016-07-14

前回の続きです。

 

一番重要な組織の風土改革

 会社の成長・発展のためには、まずリーダーと同様に社員全員が自分で考える習慣づけが必要です。

 処理型ではなく、考えるタイプです。中・長期的に会社を成長・発展させるには、社員の力がポイントだからです。いわゆる「人材力」です。

 このため仕事の意味、目的、価値を社員自ら問う訓練を奨励しています。仮に週単位でのマネジメント習慣がある会社では、「週間報告書(週報)」での本人の記載内容にコメントを返して、紙面でも社員が「考えること」を鍛えることにしています。

 効果は覿面で、1年くらいで相当よい考える習慣づけが出てきます。

 

現場が「考える」ことの具体例

「まず、適正に仕事をする」意味を皆で議論

 頑張っているのに、成果が出ない、あるいは、トラブルが多いのは「仕事の進め方」に原因があります。そこで、「まず、適性に仕事をする」意味を具体化することを薦めます。

 仕事のミスをなくすには、単なる「心掛け」ではなく科学的に仕事の進め方を捉える必要があるからです。私の言葉では、「まず、適性に仕事をする」こと(詳細は本に記載)を現場で議論し、「考える」、仕事のプロセスを適正に自己完結させるレベルにもっていくことです。

このポイントは、

・チームの仕事のゴールや目的をきちんと設定し、これを意識する。

・最終的なアウトプットイメージを明確に描き、チームの上司と部下の間でこれを共有する

・仕事のプロセス、手順を分解し書き出す。これで重要な手順を明確化する。次のプロセス、手順に進んでよいかを判断する判断基準をチームで決める。

・プロセス、手順毎に、正しい結果を導き出すために「必要なこと」を、チームでもれなくピックアップする。

・仕事の結果をチームで議論し改善策を書き残す。知見を共有化することです。

 これで全体最適な判断が出来、上司とのコミュニケーションも深まります。情報の共有が進むので会議が減ります。作り直しやミスが減り生産性が上がります。モチベーションが上がることにつながりますが、まさに、「まず、適性に仕事をする」意味をチーム全員で考え実行することにつながります。

 次に、社員の帰属意識、会社への関心を抱かせ、なんでも言える企業風土を持つ会社にすることです。この風土づくりの詳細は『これからの課長の仕事』、『これからの社長の仕事』に譲りますが、18の「定石」を踏んで経営することです。

リーダーに関わることを、一部をここに紹介すると、

・会社のビジョンと目指す方向性を共有する普段の努力をする、

・その方向性に向かって戦略を策定し、その意義を説き、社員とともに実践に移す、

・常に誠実に経営し、社員を大事にすることで、社員の帰属意識を醸成する、

・物事を事実・実態に即して捉え、課題を皆で解決し修正行動に移す、

・仕事の結果としての報酬の分配を事前に開示し、これを誠実に実行する

などなどです。

 なお、社員の研修目的のためにこの経営方法を詳しく知りたい方は、『礼節と誠実は最強のリーダーシップです。』(クロスメディア・パブリッシング)をご参照いただければ幸いです。

 社員の幸せを目指す経営をすることが、その企業の成長に如何に重要かが分かります。

 

第209回 今、リーダーに求められている経営の視座(4)

Posted on 2016-07-07

前回の続きです。

前回リーダーの資質などについて述べましたが、そのリーダーにも沢山の艱難が待っています。

 

困難へのリーダーの対処

 ビジネス上、沢山のトラブルや困難が一度に舞い込んでくる時があります。この時も、トップは我慢しなければなりません。特にベンチャー的な発展段階ではしかりです。

 いろいろなことが同時に発生し、その解決も単純ではありません。それでも、自分の仕事を投げ出さずに我慢して課題を解決しなければなりません。この時、リーダーはどう対処したらよいでしょうか。

・普段から情報開示を旨とし、常に開かれたコミュニケーションルートを経営上目指すことが大事です。

 自由に意見を言えない、何か発生しても隠す風土があるとしたら、これがリーダーの姿勢から発生していることが多いです。

 何かの事態が発生しても、リーダーは状況を隠さずありのままに開示して、全員が共通の理解の上で課題を解決する方向に持っていきたい。

・リーダーが自分の心理をコントロールする。

 実は、このことがリーダーとして非常に重要なことです。

 不安定な心理状態は、すぐ社員に伝わります。「何かあったのか?」、「自分の仕事はどうなるのだろう?」など不要な不安を社内にまき散らす原因となります。

 友達に相談することも方法です。また、自分の悩み事を何かに書き留めて問題を整理することも方法です。やたら不安を社内で掻き立てないことです。

・社員、商・製品、利益のうち、社員を最も大切にする。

 働きやすい環境を作ることにリーダーが努力をしていれば、社員という仲間がいるので、困難に直面してもリーダー一人で悩み背負い込むことがなくなります。

・社員への教育を重視することです。

 社員への教育投資を惜しまない。

 社員が辞める理由は、上司が嫌い、何も教えてもらえない、教えて育てる環境がない場合が大半ですが、もし社員への教育のなさをなげいているとすれば、そのような状態では生産性が下がるのも当たり前です。

 にもかかわらず、リーダーがこのことを認識していない場合が多いのは残念です。

・社内の政治力学に押されない経営をすることです。

 実績評価や給与査定のルールを厳格にやり、政治力学が作動しにくい仕組みとするのも方法です。リーダー自身も注意しなければなりません。よく相談に来る人をリーダーは評価しがちになります。これでは、リーダー自らが社内政治を作り出す原因になっているかもしれません。

 私の体験では、会社の成功を第一に考え、その副産物として自分の成功を考える人を採用したつもりでも、優秀な人材は最悪な社員になりうることも留意必要です。リーダーもしかりです。

 

心の習慣を変えるストレス・マネジメント

 今やリーダーはじめ世のビジネスマンにストレスに対する対策が不可欠になってきました。

 企業のリストラ、年功序列もなし、一定年齢になると給与がカットされるなどストレスが溜まるモノばかりです。ビジネスマン自身が限界感を感じてしまいます。

 特に、団塊の世代の人々は、仕事上、特定の居場所に上り詰めることに全力を注いできたからです。居心地が悪くなると酒、たばこに走る。しかし、それでは今の時代を乗り切れないのが今の世界です。

 しかし、人間にはこのようなストレスから回復する能力を元来備えもっていると言われています。へこんでも回復する力を持っています。

 笑いも良いでしょう。私の友人が「笑いの場」を設けて参加者を喜ばせています。心の生活習慣を変えることになります。

 深呼吸、体を動かす運動、睡眠、仲間や家族、自然との触れ合い等いろいろな方法があります。これらを実践すれば、ストレスからの回復力が増します。私もこれらのことを意識しています。

 人間性格があります。これをチェックするパーソナリティー指標も勿論あります。理想が高く厳格な人、受容的で思いやり豊かな人、客観的な人、自由で明るく行動的な人、自分の気持ちを抑えて周りに合わせる人等タイプがあります。

 自分の性格を知った上で、不足分を補う努力がストレスを予防できる方法です。決めたことをやらないと気が済まない性格の人もいますが、環境の変化に適合させて柔軟になるのも一つの方法です。

 ストレスからの回復力を高める資質の一つは、気楽に考える習慣です。辛いことがあっても「こういうことは起こり得ることだ。しかし自分は何とかやっていけるはずだ、大変でも意味がある」と思い、乗り切っていける資質です。

 リーダーはこうありたい。

 最後の方法として、とりあえず休むのも方法です。立ち止まり考えることです。焦ることは禁物です。

 

組織を動かすルール

 困難への対処も全てある目的に向かって組織を動かすためです。

 リーダーの統率する組織自体は複雑です。今、ますます複雑になってきているので、対処すべきことが多くあるように見えますが、「組織を動かすルール」は意外に単純です。

 私が「定石」と称することと重なるものです。

・組織をうまく動かすために、私は人間としての社員個人を、彼の行動を「知る」ことを重視していました。

 社員個々人を理解することと言いかえることもできます。今、何を望んでいるか、何をしているか、そのことで彼がどう満足をしているか等、とにかくその人を知ることです。

・社員、特に中間管理職の権限と自由に判断できる総量を増やすことにしています。

 社員個人に裁量を与えると、個人の行動を変えることにつながり、組織の動きが活発になるからです。

・助け合う環境を重視します。

 チーム自体が自立しながら協業する、チームワークを常に意識をすることです。集団で目指すアウトプットの共通理解がある前提です。対チームワークをよくして共同で何かの目標を達成する。このために対話の努力が必要となります。

・結果を共有することです。

 中間期、期末に目指した目標に対しての成果と反省を社員全員で共有することです。場合によりお祝いをする。

 助け合った人々に対して報いることです。しかもこれを単に金銭的なもので無く表彰など全員の前に彼の成果を示せる方法も得策です。

・組織を動かすために、もう一つ肝要なことは、対話力です。

 あらゆる仕事で、対話やコミュニケーションの取り方が重要です。商談、会議、報告会などビジネスマンならずとも、あらゆる人にとり仕事の重要な要素です。

 対話には言葉のメッセージによる対話と、ボディランゲージなど言葉以外のメッセージによるものとがありますが、リーダーにも双方が必要です。

 リーダーが「すみません、すみません」と公約を実現できなかったことを何回も社員に謝罪しながら、表情や体の動きから「本心が違うのでは?」と、我々には分かることがあります。ビジネスマンならず、だれでもこの違いを察知する能力を持っています。ところが、リーダーという立場になったとたんに、このことを忘れてしまう人もいます。時には、対話に於いて言葉より以上にリーダーの組織を動かす仕事に大きく影響を及ぼすことを忘れてはなりません。