園山征夫のビジネスコラム 園山征夫のビジネスコラム 園山征夫のビジネスコラム

語り継ぐ経営

第218回 適正な行動に移せない背景

Posted on 2016-09-15

 何かをすべきかを分かっていながら、だれもが良いと思っていながらもそれを実行しない例はいろいろな会社で見られる現象です。組織においていろいろなギャップが生じているからです。この背景とそれを行動に移すためにポイントは何でしょう。自分の反省も込めて以下列挙します。

 

1.知識は、即行動に移せるはずという過信がある。

 特に、上に立つ人に多く見られます。自分の知識を経営に即活かせるはずだと思うタイプの人です。

 その人の知識と部下の行動の間には、それらをつなぐ様々な武器、道具が必要なことに気づいていない。気づいていても、「それは簡単なことだ!」と武器や道具の開発の時間やコストについて、これまた上の人が過信することから発生します。

 上司がこのことに気づくように誰かが諫めるしかありません。

 

2.過去のやり方にこだわる。

 これまでいろいろな施策が行動に移せない理由は、従前の方法が役に立たなかったことの証明でもあるにも関わらず、皆、そう思いたくない。

 前例主義の思考に入ると手間が省けるメリットがあるのでそう思いたくない。かくして従前の習慣は執拗に生き残ります。

これを是正する一つの方法は、全く新しい組織を作り、違うリーダーに従来からの方法を見直させることです。

 

3.評価基準があいまいで統一されていない。

 ほとんどの社員が「これを上手くできたら、または、行動を起こして成果を出したらどうなるか?」を気にして仕事をしているのが本音です。誰もが高く評価されたい。

 評価項目が各組織で事前に統一、しかも、全体を俯瞰した統一評価項目にされていないと、「どうせやっても・・・」となる。勤勉に働いても公平に評価されないあきらめムード。結果として重要でないことばかりが評価されると誤解される組織になります。

 対応策として、評価基準を明確にするのが出発点です。しかも文書により伝達するのみでなく、対話して評価の仕組みの主旨から説明する。本人の人格全体でなく、期初に定めた個人の計画目標に従って実際の仕事ぶりを評価する、評価を本人に口頭でフィードバックするという、ごく当たり前のところを失念しないことです。

 

4.部下を動かすために恐怖をあおる。

近隣の国の元首さまのようなマネジメントのやり方をとると、社員は「やったふりをする」のが関の山。しかも組織に不信感がはびこる。ベストを尽くしても失敗したら罰せられる恐怖感があれば、表と裏を使い分け、行動に移さないのが得だと思うのが人間の性です。

 

5.業績を上げるために個人競争のみをさせる制度にする。

 私も経営の過程で、この現象を何回も経験しました。グループの長にグループのマネジメントを完全に任せていました。何かの事情でそれが上手くいかない段階になると、決まって部のメンバー間の個人競争のスキームを導入し、競争を煽るマネージャーがいました。上手くいきません。メンバーが助け合わない、情報を共有しない雰囲気が蔓延り、組織としての生産性はかえって落ちます。結果として、マネージャー交代となる憂き目。

 対応として、共通の目標をつくる、例えば、グループ全体の存続を脅かすほどの事態が発生したとして、それを回避するような共通の目標に向かって皆の力を結集させる。極端な例ですが、小手先のやり方でなく目標の設定の仕方で効果に大きな差があります。

 

6.問題を話し合っただけで、仕事をした気になる。

 これもよくある錯覚です。しかも、上層部の人に良くあるパターンです。

 そうなった場合の対策としては、どうすれば目標が達成できるかという具体的手段を設定し直し、皆での確認プロセスを経て行動に移すことです。行動に移すと結果が出ます。その結果と選択した具体的手段の差の議論に上司を巻き込むことです。これでその上司も話し合いをしたことと、組織としての課題設定に合意したこととは別物だということに気づきます。

 ご参考になりましたか?

 

第217回 単位当たりで考える経営

Posted on 2016-09-08

 社員への主旨説明やその浸透に皆苦労している幹部社員をよく見ます。聞く人が納得して次の行動に移せる、実効性のある方法はないかを探していると思います。私自身は二つの方法を駆使しています。

 

図解による説明

 以前、日常の事象を経済理論的に説明するために、経済理論を背景として、事象を図解で説明していました。例えば、米価格の二重価格制、値付け政策など日常の課題の本質部分を簡潔明瞭に説明するためです。経営でも同様な方法をとっています。視覚に訴えるほうが聞く人のイメージに残りやすいからです。この図解による部分は、コラムの立て付け上本日は難しいので他の機会に譲り、今回は一つの単位当たりで考える部分に限定します。

 

単位当たりでの説明

 一例です。GDPという言葉は誰でもご存知です。否、GNPの方が良く使われているかもしれません。GDPはGross Domestic Productの略で一定期間の“国内”の総生産高を金銭評価したもので、国内の景気動向が良く分かる指標です。これはGNPから日本企業が海外で生産したモノやサービスの付加価値を除いたもので、国の生活水準を示すと言っても過言ではありません。国民の生活水準が毎年どれだけ変化したかを、静態的でなく動態的に捉えることを目的とし、国家レベルで重要な指標となっています。最近中国のGDPの成長率が当初の7.5%から7%台以下に鈍化したと報じられることは、中国の生産活動の減退で生活水準の上昇が以前よりは抑えられることを意味します。

 内容説明は別として、問題は、この尺度の全体表示です。国レベルではその指標でよいとしても、生活する我々個人にとっては「一人当たり」こそ、関心のある指標です。従って、このGDPも一人当たりで捉えることが国民一人一人にとって重要です。この尺度で捉えると、これまで見てきたものとは違う景色になることに気づきます。日本のGDPの成長率の下げを強調する人が多いですが、一人当たりで見るとどうでしょう。

 ある資料によれば、日本の一人当たりのGDPのは、2003年から2007年まで平均年率2.1%で成長したとあります。アメリカはこの間1.9%、ドイツは1.4%です。日本の年平均GDPの一人当たり成長率ではこれらの国々より高い。

 我々は、日本の人口が減少している状況を見ています。すなわち、人口が減少するので総合のグロスでの数字では、他の人口が多い国々にはかないません。もちろん総合が大きいにこしたことはないのですが、過度な悲観論は問題です。状況に応じた見方をしなければなりません。

 どこの国でも、国の成長曲線は成長から成熟の段階に入ります。いま日本は成熟の段階に入りつつあるとも言えます。成長段階の中国や他の国々と単純比較するほうがヤボです。一人当たりで測り、それぞれの生活の豊かさのために我々は何を優先順位とするかにむしろ配慮すべき時期ではないでしょうか。

 経営もしかりと考えます。収益面での全体の大きさはもちろん重要です。しかし、組織が成長曲線のどのあたりに位置づけられるかを知ることです。その上で、仮に成熟期に近づいているのであれば、一人当たりの付加価値の伸び率などこそ見るべきポイントとなるのではないでしょうか。もしその組織が、これから成長する段階にあると位置づけされているとすれば、この場合は、総合と単位当たりの双方の成長率が問われることになります。

 

第216回 不合理な判断のクセ

Posted on 2016-09-01

 ほとんどの人間は、自分は合理的な思考をしていると思っています。何かを購入する時の判断も、自分の消費行動を合理的と言いたいのが常です。

 しかし、果たしてそうでしょうか。自分の経験に照らしても、人間はかなり不合理な判断やそれから来る行動をしている場合が多いと気づきます。それに気づいて、少しでも合理的な判断をしようと努力していますが、いまだに不十分です。

 

一部の選択肢からの判断するクセ

1.人間は選択肢が沢山ある場合、かえって情報過多に陥り迷います。本来、それらの情報の中から無駄なものを省き、その中からあらゆる可能性を考えて適切に判断を下すのが正しいことも分かっています。

 現実には誰でも、自分の頭の中に浮かんだ一部の選択肢のみに注目して、それから判断する傾向があります。それで満足してしまうのです。しかし、本当にそれで良い判断が出来たのか。その時に自分の都合の良さそうな事象で判断して満足する傾向があることを忘れてはなりません。

 

最初の強烈な情報をもとにした判断のクセ

2.しかも、世の中の沢山ある情報の中で、自分が強い印象を受けた事象や最初に頭に浮かんだ事象を下にして判断していることがどんなに多いことか。

 このリスクを少しでも回避しようと、私はある時期から、それらの情報を一定期間メモの形で寝かせておくことにしました。手帳に挟んだpost-itを利用することが多いです。

 出会ったときには強烈な印象をもたらした事象も、時間を経てpost-itの内容を見ると意外にも最初の強烈さがどこかに飛んでしまうことがあります。

 このことで少しでも客観的で合理的な判断をする努力をしていました。

 

一部で全体を決める判断のクセ

3.さらに、沢山ある情報の中で、ある部分がその全体を決めることにつながることが如何に多いことかも思い知っています。

 脳の構造とも関係があるかもしれません。人間が反応することの多くは、感覚的な情報からです。その感覚で強烈な印象を持つと、他の部分もその印象に引っ張られてしまるようです。

 犯人像も一例です。指名手配の写真を見ると、そのことが目立ち、彼のすべての人格を悪と決めてしまうクセを持っています。

 現実には、その人の良い所も沢山あるはずです。何かのきっかけで罪を犯すことになったかもしれません。しかし、我々一般的な人間はその写真一枚で彼の他の部分も見る癖があります。

 これを少しでも回避すべく、私は人をできるだけ多面的に見ることにしています。特定の社員の噂もしかり。ある人物を誹謗中傷する情報が流れると、その人物の全体をすべてその情報に紐づけてみるようはことを止め、「本当にそうかな?」と特定情報から感覚的に判断するのでなく、事実に戻り、それをもとにして判断する努力をしています。

 

それまでの判断を踏襲する判断のクセ

4.過去の判断が誤っているのに、その踏襲をするクセが人間にはあります。経営上、特定の判断で失敗したのに、更に多くの追加投資することも知っています。

 ビジネス社会で、その失敗が大先輩の判断である場合、余計たいへんです。しかし、考えてみると、その組織全体でみる限り、犠牲を最小限に食い止めるのが経営者の役目です。摩擦を恐れず最大限合理的判断をする行動努力を惜しんではなりません。

 

自分の力を過信した判断のクセ

5.サンプルの数が多いほど信頼性の高いデータが出ますが、人間には、自分の判断能力を過信するのみならず、状況をコントロールできる力があると過信することがあることです。ほとんどの人が学校で学んで分かっているにも関わらず、現実の判断では忘れがちになり自分を過信します。

 サンプルの数が多いと、そのサンプル次第で偶然に左右されることが少ないのです。例えばコインの裏と表をトスで決める方法がありますが、偶然、裏や表が出るのみで、これを一万回やればほぼ、50%の確立になることも、皆知識としては知っています。

 にもかかわらず、現実には、このような判断をしないで自分勝手な判断をすることが多いのです。

 

実力を反映しない判断のクセ

6.何事も、自分の実力の平均に近づくことを忘れがちです。経営上もしかりです。

 ある偶然で、良い経営結果が出た。ところが翌年は出なかったことで悩むものですが、良く考えてみると、自分の実力以上のことが昨年出来ただけで、それらと今年の実績を合計すると、実力の範囲内であることを忘れがちになります。

 悩むより、自分の経営の実力をあげるために勉強することが先の筈です。ところがこう考えないのが人間のクセです。立派な経営者は不合理な判断をする人間のクセに気づき、柔軟に考え方や行動を修正する力が強いのではないでしょうか。

 

第215回 物語を語る経営

Posted on 2016-08-18

相手に通じてナンボ

 私は、経営方針を社員に説くときに、計数だけでなく、できるだけ物語を語ることに気をつけていました。

 事業の計画の期初のスタート時点から期末までの間の諸政策には、一貫した物語があるはずです。方針が社員の「腹の底に落ちて初めてナンボだ!」と口を酸っぱく言っていたのは、計数のみでは無機質で社員の心に刺さらないので自分自身もこれに努力をしていたからです。

 腹の底に落ちるには、本心で、相手のペースに合わせて、同じことを何回も、しかも少し角度を変えながら説くことが大切ですが、これを物語として説くことが肝心です。

 物語(ストーリー)は、自分の過去の出来事、失敗などの経験、顧客との真剣勝負の間合いなどですが、これらが物語としての話し方によって、聞く人にとって感銘を与えることになります。

 この重要性を認識してもらうべく、私の主張する「農耕型企業風土づくりの経営」を推進するための経営の【定石】の13番目に、これを入れています。

 

若手の経営者の指導―教科書にないこと

 最近若手の経営者の経営指導をしながら彼らの育成の努力をしていますが、その指導に当たり教科書的で一般的な内容は彼らにほとんど響かないことに身をもって体験しています。

 むしろ、私の身近に起きたストーリー、私の過去の反骨的経営ストーリーなどを内包した一つの物語として語るほうが、はるかに彼らの心に刺さることを知りました。自慢話になりそうなリスクがあるので、これまではあえてこの指導方法を避けていましたが、最近は一部軌道修正をしています。

 ある意味で波乱万丈の経営人生、既存の体制に対して常に疑問を呈し、現状を打破して局面を打開して次の成長の活路を求めていった私の経営体験が、彼らの生きた勉強・研修になるようです。

 具体的には、破産寸前での再建決意とその裏での綿密な戦略と遂行物語、経営路線をめぐる親会社との対立と克服の手段選択、大仕掛けな経営主張の裁判での決着など、若手の経営者が、規模の大小は別としても、現実に直面する事態に対して、「トップが経営上どんな物語を描いて、どんな選択肢を選んだのか」が教科書には載らない生の体験を物語として語るのです。

 

物語を語るメリット

 お陰で、このことを聞きつけた紹介された他の経営者が興味を示してきました。彼らも指導を実践して確実に実績をつけてきました。

 このように、

・人から人への話は広がりやすいのです。良い口コミです。指導がストーリー仕立てになっているので、彼らの脳の中に入りやすく、覚えやすい。心理学的にはストーリーを入れることで聞き手の吸収力に数十倍の効果があるのではないかと思っています。

・自慢話に仕立て上げてはなりませんが、実際に起きたことを経営的視点から物語ることで、若手の経営者が学ぶ気持ちを自然に起こさせることができます。

 最初は少し拒絶反応がある人がいても、実体験の物語が経営を変えていくためのものであることが分かると、彼らも自然に態度を変えてきます。物語を話す私に敬意を示し、さらに学びたい真摯な姿勢が如実にでてきます。

 これの例外は、自分だけの考え方に凝り固まっている経営者で、他の人の意見を聞こうとするマインドがない人です。経営のスピードを加速させ、結果として、社員全体の支持を受けることができるのに、自分だけの考え方に凝り固まっていることが、明らかにマイナスになっていることに気づいていない人です。

 残念ですが、このような人は経営資質の限界があります。経営することが仕事であることを理解できていない人です。

・生の物語は、彼らの心に響きやすく、人を奮い立たせる力があります。

 「俺も挑んでみよう!!」という気持ちにさせる機会をつくるのが、この手法の最大の効果です。彼らの心のギアが回転しだすと、後は、経営の路線を踏み外さないように、その時点で必要な経営施策をしっかりアドバイスするだけで上手くいきます。結果として、確実に会社の成長のスピードを更に高めることにつながります。

 もちろん経営層のみならず、一般社員の育成にあたっても、物語を語る方式を研修に取り入れることも可能ですが、今のところ私の興味は、日本に日本の文化風土を反映したプロの経営者を育てることですので、ここは経営層に限定して言及しました。

 蛇足ながら、アメリカの大統領予備選挙の候補者の演説を聞くと、アメリカという国の経営のためにどういうストーリーで臨むのかについて物語が、この半年全くありません。

 単なるイベントのショウに成り下がっており、この間の時間と金を費やすに値するプロセスか否か個人的には疑問に感じる制度です。

 もし、経営者候補がこのような短絡的、人気取り的な演説のみを行ったとすると、まず経営者として選任に値しないと皆が見做すでしょう。

 ご参考になりましたでしょうか。

 

第214回 経営者が人格の幅を拡げるには(2)

Posted on 2016-08-11

前回の続きです。

 

人格を育てる方法

 自分の体験です。違う人格を育てるのに以下のようなことをしました。

 ある会社の経営を託された時に、経営の師匠と仰げる人が幸い近くにいました。

 その人のやり方などの技法を学ぶ人が多くいましたが、私は、それには余り興味がありませんでした。その人の才能というか人格を学ぶ、盗む努力をし、お陰で私に備わっていない才能を沢山学ばせてもらいました。

 しかも、その才能は自分が一番苦手とするものでした。自分の性格に向いていないと勝手に判断していましたが、それでは経営者が勤まらないことを分かっていました。意外なことに、やっていくうちに自分の隠れた人格を育てることに成功しました。

 

人格を育てた効果

この結果、

 第一に、人を見る見方の幅がうんと大きくなったように思います。部下の気持ちや相手の気持ちが分かるようになりました。今、経営コンサルタントとして経営者を指導していると、この新たな人格が大いに役立っています。

 第二に、いろいろな人の状況や心境に合わせて、それに適した人格で対応できるようになりました。顧客にあって、瞬時に状況に合わせた自分の人格を引き出せるようになりました。

 第三に、多重人格をマネジメントする努力をしていくうちに、自分自身の心の中の欲と言うかエゴを、少しく静かにみつめることが出来ようになりました。

 瞑想の訓練とも関係があると思いますが、自分の心の中のエゴを「何とかしよう」とするのでなく「そういうエゴが心のどこかにあるのだ」と、第三者的に観察できる時もあります。

 これが人格のマネジメントかもしれませんがこれを繰り返していくうちに、面白いことが起きました。

 経営再建の始めの頃は、再建のために何とかしなければ自分が失敗経営者の烙印を押されると、どちらかといえば利己的に発想する人格の持ち主でした。

 ところが、ある段階になると、自分は社員の幸福のために頑張らないといけないと考える視点に完全に変わり、更にその後、社会的存在価値のある会社にして、全ての社員が幸せ感を感じられる会社にしたいと、本心で考えるようになりました。この詳細は、『これからの課長の仕事』をご参照ください。

 小さなエゴからそれを包含して、だんだん大きなエゴに成長していたことになります。自分の志や使命感が健全な社会の発展につながってくるような変貌を遂げてきたことを覚えています。

 ご参考になれば幸いです。