「農耕型企業風土」づくり
第164回 ヨーロッパの精神性の概観(1)
今回、約1か月間、東欧を旅行し、観光などを通して日本人とヨーロッパ人の精神性に関して感じたことがあります。今回のコラムでは、ヨーロッパ、特に東欧の精神性に焦点を当て、概観してみます。
1.宗教、カトリック教の影響
まず、宗教の及ぼす影響です。
私はアメリカに留学の経験があり、宗教の及ぼす影響にも若干体験があります。
ところが、アメリカは移民国家です。それ故に、本家本元のカトリック教、又は、新教であったプロテスタントの精神性が薄まり、宗教が国民に及ぼす如実な影響を、アメリカでは今回ほど大きくは感じませんでした。
それに比べると、今回の東欧の旅行で、本家本元の精神性、カトリック教の持つ影響力をまざまざと体験させられました。勿論、国や地方よりこの影響の濃淡は当然あります。
根底に流れる宗教観
バチカンのローマ法王の持つ力は無視できません。ワレサ議長が率いたポーランドの民主化の運動を蔭で支援したのは、ヨハネ・パウロ2世、元ローマ教皇であったと言われています。また、次の教皇が異例にも生前退位し若手に教皇の職を譲ったのは、最近力をつけてきた近隣の国の宗教の侵害からヨーロッパを守るために、行動力のある若手の教皇の起用が重要との判断だったと言われるほどです。
かつて、モンゴル軍の攻撃から国を死守したと言われる騎士団の数々の展示品のあるミュージアムや、民衆を精神的に支えたとされる神父を祀る山の上の教会を、オーストリアのウイーン郊外に訪ねました。
これらを見て感じたのは、ヨーロッパを他の宗教からどう守るかが、中世ヨーロッパの最大の課題だったようだということです。それほど、キリスト教の精神性を広めたい、死守したい一心が、彼らの精神の底辺に脈々と流れていることがひしひしと感じられました。
かつて日本に仏教を広めた奈良時代の聖武天皇は、国を治めるのに仏教という宗教を使ったのでしょう。それは統治のための仏教の流布で、違う宗教から国民を守るという意識はまだなかったかもしれません。しかし、そういうものであったにしても、その宗教から実質的に距離を置ける我々日本人の精神性と比較すると、根底に於いて、宗教の持つ意味やその深さ度合いが東欧では大きく違うように感じました。
根底にあるものは、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義』(マックス・ウェーバー著)が、「プロテスタントの多い地域では納税額が多い」で始まるこのくだりにヒントがありそうに思いました。
マックス・ウェーバーは、ヨーロッパの人々は、仕事を神様への奉仕と考えて良く働くので、納税額が増えたと記述したかったのではないでしょうか。
マックス・ウェーバーの著作はカトリックの倫理ではありませんが、宗教改革の時に、当時のカトリック教の腐敗に抗して作った新教、すなわちプロテスタントである以上、根っこの部分は同じ精神構造を持っていると考えても差し支えないのではないでしょうか。
それほど、神の存在が絶対的で、その神への奉仕をベースとした精神性をヨーロッパの人々は持っていると考えます。
2.街の美意識
上記の通り、彼らは教会を中心に物事を考えていました、今もそのような人が多いと思います。
従って、元々の街(オールドタウン)は、教会、集会に利用する広場、市庁舎、食事処などを中心部に備えて街を作っています。この広場から波状的に伸びる馬車道の周辺に住民を住まわせ、高い塀をめぐらせて、住民を敵から守る構造になっています。馬車を走らせる通路がいつの時代からか踏み石になっています。
街の美意識も、この構造の中で育まれてきたと想像できます。精神的支柱たる教会を中心に、如何に街全体の美を構成させるかが問われているようです。
田園風景を中心にした美意識ももちろんあると思いますが、それは付加的なもので、あくまで、教会を真ん中に置いていて、住民の安全を保障できる環境の基本的セットが、ヨーロッパの人々の美意識の根底に潜んでいると思います。その証拠に、絵葉書の中で一番多いのはオールドタウンの絵図のように見受けられました。
それは、単に風景的な美に留まらず、彼らの心の安寧を支える美意識と見ました。
第162回 日本人の精神性(4)
先週のつづきです。
4.以心伝心
最後に、相手のことを以心伝心で分かる精神性を日本人は備えています。このことは、日本人が「違い」に敏感であることと裏腹の関係です。
他の人と一緒でないと安心しない、ちょっとした違和感を俊敏に察知する性癖を持っていることです。
島国の単一民族
この背景は、島国の中で単一民族として生きてきたからではないでしょうか。ヨーロッパ、特に東欧諸国に比して日本は大きな民族問題を抱えていません。
ウクライナで民族問題が発生していますが、ガリツィア地方は複雑なはずです。神聖ローマ帝国が有名無実化しドイツの領邦国家が分裂状態になった頃、オーストリア・ハプスブルグ家の力も衰え、ポーランドはロシア、プロイセン、オーストリアに分割され、現在のウクライナ、ガリツィア地方は一旦オーストリア領となってしまいました。更にこのガリツィア地方は、第二次世界大戦後、ソ連領ウクライナと統合された経緯があることを世界史で勉強して知りました。ウクライナという一つの国としてまとめられても、そこに住む民族のことを考えると非常に複雑です。
日本でもアイヌや琉球など、民族の問題がないとは言えません。特に最近の安全保障・防衛問題から端を発した、政府の沖縄の人々に対する余りに鈍感な対応を見るに、日本でもその問題から民族問題に発展する危険性を十分孕んでいます。金銭で片づける問題では無く、沖縄(琉球)の人の心の問題なのに、政府の交渉の視点が何となくずれているように思うのは私だけでしょうか。
「違い」に敏感な認識と以心伝心
ヨーロッパ、特に、中東、東欧州の民族問題、すなわち、征服民族、被征服民族の間に潜む厳しい環境と、日本の置かれた状況は全く違うレベルだと認識しています。
宗教との絡みで、ヨーロッパでは民族問題が多種多様な課題を産んでいますが、日本は、ほぼ単一民族であることが、日本人が「違い」を認識することには敏感ですが、それに対処することの不得手さにつながっているように思います。多種多様な民族間で生きていけば、民族間の違いを認識しながら一緒に生きていく術を自然に会得します。自己の考え方、信条、宗教などと、周囲の人々のそれとの違いを認識しつつ、尊重する行動が自然と身につくはずです。
「違い」の認識には敏感であるが故に、我々は相手の考えていることを、言葉を介さないで分かる精神性、すなわち以心伝心の心を備えています。ヨーロッパなどに住むと、自分の考えていることを言葉に発して伝えないと相手には分からないと言われます。「違い」があるので、言葉でそれを表現するのが当たり前ということです。
逆に我々は、沢山の言葉を発して説明されるのに違和感を覚える時もあるほどです。この精神性が、グローバル社会の中で違う評価を受けたとしても、我々の根底には言葉を発しないで「通じる」何かをもっているのかもしれません。「違い」を敏感に認識しはしますが、行動につながらない性癖を持ちながらも、「以心伝心」が出来る優れた精神性を持ち合わせているのではないでしょうか。
以上、日本人の精神性の特徴として、和の心、神道という道徳観、「すみません」と水に流す心、以心伝心の4点について、ヨーロッパ旅行中コラムで述べさせていただきました。
第161回 日本人の精神性(3)
先週の続きです。
3.「すみません」と、他人に迷惑をかけたくない心の表れ
次に、「すみません」という言葉について述べます。
不可解な言葉
「すみません」の言葉は、外国人には不可解な言葉でしょう。今旅行しているこのポーランドの国でも、これに相当する言葉を見つけるのは困難かもしれません。同じ意味合いを持った言葉があるのか、しかるべき人に尋ねてみます。これも、我々日本人の精神性の一つと言っても良いかもしれません。「すみません」と、なんとなく過去のことを「水に流す」考え方です。
「すみません」とは
日本人と水との歴史的関わりについて考える人がいます。樋口清之氏という登呂遺跡の発掘をはじめ、数々の考古学的遺跡発掘をされた権威者です。
樋口氏によれば、水に流すとは、これまであったことをあっさり忘れ去ることで、良くも悪しくも、すんでしまったことは仕方ないという発想です。この日本人の行動様式が穏やかで優しい人間関係を維持するための知恵となったとの考え方を述べられています。「過去に拘らず、論(あげつら)わず、責めず、忘れ、受容し、許す」、これが日本人の行動様式だと、説明されています。
私もこれぞ日本人の特色ある精神性の一つではないかと考えます。勿論、グローバル化の中で、この思想を強調し過ぎるには一長一短あることも承知しています。しかし、それでも、我々の置かれた歴史的、風土的環境を考えあわせると、長い歴史の中で育まれた考え方で、誇ることのできる精神性の一つではないかと思います。
環境から育まれた知恵
日本人がこういう思考をするようになったのには事情があると思います。
環境です。人間の性格には、環境が与える影響が大と考えます。私は出雲の出身ですが、大阪の商業街の出身者とは性格的にかなりの違いがあることが分かります。
日本全体をヨーロッパの大陸部と比較してみます。ドナウ川流域と富士川の流域の比較でも結構です。狭隘な山谷、その河川の氾濫、火山活動の妨害など、自然災害が頻繁に起きる環境です。また、ヨーロッパの川と比較して日本の川は地形的な影響で流れが速い川が多く、水の量も多いため、自然災害が起きる可能性が高いのです。
順応性、諦めの境地
地形に加えて、日本列島は季節による寒暖差が激しく、地域によっても気候が大きく異なります。この自然環境によって、日本人の順応性の良さと諦めの速さが形作られた部分が多いのではないでしょうか。災害が発生し、その災害からの立ち直りも速く、変わり身の速さが、「水に流す」性格を育むことに関係したのではないでしょうか。現代の治水技術が無かった当時は、こうでもしないと日本人は生活が成り立たいことが多かったのではないでしょうか。
助け合う共同体
前回の項や『これからの課長の仕事』の本の中でも述べましたが、日本人の性格に影響を与えた最大の要素は、上述の自然環境に加え、生活が稲作農耕を基盤としてきたことです。
稲作には水が不可欠です。出雲の田舎に住んでいた頃、部落の常会という会合で水争いの調停に苦労していた父の姿を思い出します。水は上から下に流れるので、川上の村と川下の村で水争いがよく発生したと聞きました。これを避けるため、普段から皆が助け合っていく手法がとられました。土地と水で結ばれた村落共同体を維持するために、常会などの会合の場で全員の賛成を取り付け、何か事が行われていました。村の長は意見の相違を説得によって丸く収めて、わだかまりは水に流して結束を強めることで問題を解決しよう努力としていたのです。
人間関係の上で対立を好まない日本人は、よく「すみません」という言葉を発します。言葉通りにとると、自分の過失を詫びる言葉ですが、上述の背景を考えると、これは水に流す行動が表れた一つの言葉だと、樋口氏は述べています。同感です。私は流れに逆らいませんという人間関係を滑らかにするための知恵で、水に流す行動が言葉として表れたものです。
第160回 日本人の精神性(2)
先週の続きです。
2.神道というある種の道徳観
次に、一部の方々には少し違和感があるかもしれませんが、神道というものについてふれます。
ヨーロッパの町づくりを見ると、中心地に広場があり、そこに教会、一般的にキリスト教会が権威の象徴のごとく聳える姿がどこでも見られます。今いるここプラハの美しい町でもそうです。
日本の風景と明らかに違いがあり、「そうだ。神道こそ日本独特のものだ」と、これについて今日書きたくなりました。
神道は生活道徳か
ご承知の通り、キリスト教などに比して、我々日本人が信仰していると称する神道は、教祖も戒律もありません。
この点で神道は、明らかに西洋人が考えるような宗教とは違うのではないかと考えます。少なくとも、明治維新後の一時期に国が神道を国家宗教として指定するまでは、西洋人の崇拝する宗教とは全く違ったものではなかったのではないでしょうか。
神道は縄文時代以来受け継がれてきた固有の道徳とも呼ぶべきもので、教祖も戒律もヨーロッパで信仰されている宗教のような排他的な教団もありません。少し乱暴ですが、以下に述べるように、ある種日本人の心の底にある信仰をベースとした道徳観と考えてはいかがでしょう。
自然環境
そうなった背景があります。
よく言われる通り、日本ではブナやナラ等栗系の林の中で、果実が実る森林が形成されていました。この自然を大切にする縄文時代の信仰が、日本人の心の形成に影響しているのではないでしょうか。
縄文人は、人も動物も死後は平等でした。魂が集まったものを神様と考え、多様な魂を祭る習慣があったと、ある本に記載されていました。出雲で生まれた私は、自然の中でのこの平等感が非常によく分かります。鎮守の杜に行くことで、心清らかな感じを抱くのもよく分かります。
弥生時代に入り日本人が水田の畔に集落を営み、米という安定的なものを手に入れるようになると、狩りを行う必要がなくなりました。ヨーロッパの平坦な森林の風景の中で狩猟を行うのとは、明らかに違う状態が発生しています。田んぼの横に祠のようなものを祭ってある風景も、私の記憶のどこかに潜んでいます。稲作を始めた祖先に感謝する、稲の生育に感謝する、災害から稲作を守ってくれるように祈願したのでしょう。また、仏壇やお墓などで祖先を供養します。人間は亡くなると精霊、つまり神様になると彼らも考え、祖先を祭ったのではないでしょうか。
このように稲作中心の営みの中での日常生活の線上に、教祖も戒律もない信仰があったと思います。
日本の統一に果たした役割
時代が経て、出雲の国を含め大和の国を治める時に、少し信仰の形が変わりました。大和朝廷が国を治めていくことになり、この時、天照大神の意向を受けて国民を導く世襲の指導者を置く方法で、個々の集落を組織化し最終的に日本を一つにまとめたというのが通説です。大和朝廷はほとんど武力を用いず霊の信仰、つまり神道を広める平和的な手法で国家の統一を果たしたかもしれませんが、縄文、弥生時代を経た信仰の本質は変わっていません。
以上の過程を見ると、教祖も戒律もない神道は縄文や弥生時代の環境に原初をもとめ、宗教と言うより当時の日本人が置かれた環境下で安寧な生活を営む上での道徳観であると言っても過言ではないと思います。
宗教学者のフスや当時のボスニア、ザクソン、バイエルン、ポーランドからの俊英が学んだヨーロッパ最古のカレル大学のあるプラハのこの町で、日本の神道のことを考えるのは感慨深いものです。
第159回 日本人の精神性(1)
只今、家内と共にオーストリアにいます。
今回の旅行にあたり、ゴルフ仲間の椿さん、五味さんから、「ハプスブルグ王朝の歴訪ですか」と半分揶揄されていますが、ある意味で当たり、中東欧州の歴史を現場研修するつもりです。彼らの歴史や文化との比較において、日本人の精神性を一度振り返ろうと思います。そのため高校時代に受験のために学んだ世界史を、再度少し予備学習してきました。
以前、このコラムで日本人の精神性について触れたことがありますが、今回は、日本人の精神性を表わす特色について数回に渡り述べさせていただきます。
1.和の心
今回はまず、「和の心」について述べます。
自分のことは後回しで、他の人のために働く
東京オリンピックの誘致の時、日本人が持つ「おもてなし」のサービス精神を、誘致委員会が世界に打ち出し成功しました。
私は、日本人が古来持ち続けている大事な精神性の一つとして、「和の心」があると考えますが、これは「おもてなし」をも包含するものと思っています。
和とは自分のことは後回しとしてまず仲間のことを考える、仲間のために働こう、サービス(おもてなし)しようということではないでしょうか。私の母や家内を見ても、何も考えずに家族や友人のために、その通りの行動をしている様子を見るにつけて、これぞ日本人の持っている優れた精神性の一つだと誇りに感じます。
また、このことを日本人は正しい生き方と信じていると思います。
闘争の歴史
オーストリアの隣国の東欧スラブ系の国々や西欧ゲルマン系の国々でも、地域によっては「和の心」と同様な精神性を持っているかもしれません。しかし、総じて言えば、やはり、日本人の持っている精神性はヨーロッパの国々に比して特色あるものだと思います。
この和の心と対照的なのは、ヨーロッパの中世の歴史、特に12世紀以降の歴史、領主や支配者たちの闘争の歴史です。それは、彼らの風土や歴史の産物とも言えるところがありますが、ある意味でアメリカ人やロシア人にも共通します。
痩せた土地、平坦で長い河が流れ交通に便利な地形。したがって、食料や良い場所を求めて民族が移動して激しい闘争が発生し、結果としての併合、分割が起こりました。イギリスとフランスなどでは1339年から1453年までフランスのカペー朝の王位承継でもめ、100年間戦争をした歴史さえあるほどです。このような闘争環境下で数千年生きて鍛えられると、マキャベリが『君子論』を著わした時代ほどではなくとも、今もヨーロッパの人びとの人間性には、自分のことを優先して考える心が活きている部分が多いと思います。
災害に直面して
翻って、日本での出来事を思い起こしてみます。
東日本大震災のあと天皇皇后陛下が避難民を訪問された映像を、私は鮮明に覚えています。確か、皇后陛下が「生きてくれてありがとう」と、お声をかけられたシーンでした。
親族間で投げかける身内の言葉です。自分のことより、まず仲間のことを最優先に考えるこの発想は、皇室のみならず一般の日本人にも古来引き継がれている「和の心」を象徴しているのではないでしょうか。
また、東日本大震災や先の伊豆大島の不幸な災害を映像で見るに、他の国で発生したこのような事態での映像と明らかに違いがあることに気づきます。日本では、このような大変な事態に直面しても、自分より他人や仲間のことを心配している映像を見ます。しかも、それが何か特別なことをしているという感じが全くなく、自然に出ている姿です。
自分より仲間のことを考える、この心こそ日本人の精神性の一つです。
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