園山征夫のビジネスコラム 園山征夫のビジネスコラム 園山征夫のビジネスコラム

経営

組み合わせによる切り口とプレゼンテーションでの留意

Posted on 2014-05-29

 最近ある方から、会社の中で新しい独立した事業を立ち上げる計画を伺いました。彼女の長年の経験とノウハウを活かして立ち上げるその事業、是非成功してもらいたいものです。出版で言語教育の分野に進出する由。話の成り行きから私にコメントを求められたので、新しい切り口をアドバイスしました。競争の激しいこの分野、「切り口に新鮮さが必要です。」と。

 私も若い頃に外国人とビジネスをする必要がありました。その時の経験から、「決してきれいな英語を話す必要はないです。むしろ、つたなくとも、話す内容、プレゼンテーションの方法などがビジネス上重要で、新しく立ち上げる事業の切り口をとがらすために、何かの組み合わせを考えられたらどうですか?その方がビジネスマンにとってうんと役立ちます。」と、日頃思っていることを率直にアドバイスしました。

 この場合、語学とプレゼンテーションの組み合わせとなります。あくまで道具としての英語教育を推進する企画で、新しい切り口となるかもしれません。英語を学びながら、プレゼンテーション力を高めるというビジネスでの実務的な手法も学ぶことになり、一石二鳥になると、勝手に考えています。

 

ここで本題のプレゼンテーションの課題に戻ります。

私も戦略や方針を社員に説明するにあたり、体験を通じて効果的なプレゼンテーションについて学びました。どうしても独りよがりの説明になりやすく、しかも聞く相手の人が「理解してくれて当然」という発想から出発していたことを反省しています。この体験と反省から、最近では、次のようにアドバイスをしています。

 

1.プレゼンテーションする本人が構図の核を鮮明に描き、本心でそう考えていることが大前提です。

 まず話すことの全体の、構図、すなわち、スケルトンが鮮明になっていなければなりません。話す内容の重みが違います。

 また、他人の言葉の受け売りでは無理です。心に刺さりません。プレゼンテーションの内容の出所は別なところにあったとしても、本人が本心でその内容に賛同して、本人もそう考えていることがまずもって不可欠です。

 

2.話すテーマを最大限2~3つに限定する。

 人間の記憶には限界があります。

 特に興味を覚えてもらい、記憶にとどめてもらうには、それくらいが限界です。ところが、話す側は言いたいことをすべて言いたいとの思いから、どうしてもテーマが多くなりがちです。盛り沢山の話題では、かえって焦点がぼけてしまいます。

 

3.短い言葉、しかも相手にインパクトを与える言葉を使うことです。

 1987年、私も会社を建て直すために今後の戦略的取り組みを「六つの約束」として社員の前に呈示しました。

 この第一番目が「5年以内の上場」。短いフレーズで、インパクトもありました。

 今の時代と違って、この頃は上場会社で働くことが一種の社会的ステータスにつながっており、社員にとって大きなメリットがありました。会社としても、社会的認知を得ること、人材の確保、資金需要対応ができるとして、当時はメリットがありました。

 

4.相手に分かりやすい言葉を使う。

 専門用語は使わないことに努力をしていました。それでも、カタカナ用語が多いと批判を浴びたほどです。なるべく平易な分かりやすい言葉を使うのが鉄則。知識を鼻にかける人や、見下される危険を感じる人は、それを隠そうとして専門用語を多用する傾向があります。相手に伝わってナンボの世界であることを忘れてはなりません。

 

5.目をあわせ反応をみる。

 沢山の聴衆の前でのプレゼンテーションは、時に困りものです。目の焦点を合わせる機会が少ないからです。

 しかし、話していくうちに、自分の話を真剣に聞こうとする人を聴衆の中から見つけることができます。このような人と時々目を合わせて双方向性の雰囲気を自ら演出するのです。聴く人の興味度を測るのと、自分自身のモーチベションを上げるためでもあります。

 

6.最後のまとめをする。

 聴く人のなかには、最初に聞いたことと、最後の話がどうつながるかに迷っている人もいます。

 そこで、そもそも今日の話の主題はなんだったのかを相手の立場からまとめてあげることで、聞く人の頭が整理され、結果として、あなたの話が通じ易いのです。

 

 以上のことは、日本語だから、英語だからといった言語の違いを問いません。相手によってジェスチャーを入れる等のボディーランゲージに少し違いがあったとしても、以上の留意点を踏まえれば、本質的にはプレゼンテーションで大きな失敗をすることにはなりません。

 今回は、たまたまある人の新規事業の話を聴きましたので彼女にアドアイスしたことを思い出して、プレゼンテーションにあたっての留意を述べました。

 

 

忠誠心と企業の業績

Posted on 2014-05-01

 2014年4月21日の日本経済新聞の「経済教室」欄で京都大学の若林直樹教授が「忠誠心と業績向上」の関連について述べられていました。

 このような欄での説明なので、内容が自説の主張と言うよりどうしても教条的、多面的になるのは否めませんが、先生は結論として、「忠誠心と業績向上」の点を以下の三つの点から見る必要があると整理されています。

 1.仕事が面白くてやりがいがあると感じると内面的なやる気が高まり、業績が上がる。

 2.職務規定の役割以上のことをして積極的に他の人を援助する利他的行動が、会社の組織活動を向上させる。

 3.帰属意識とその効果は国により異なる。東南アジアに見られるタテ型家父長的意識モデルはヨコ型の個人主義的な意識モデルと異なる。

 また、社員の雇用形態や働き方の意識の多様化が現実的になってくるのに伴い、社員の多様な期待に合わせた形で動機づけをするいろいろな工夫の必要性と、日本的なチームワークの方法を海外移転するには、現地に即した形で考慮すべき点があることを課題としてあげられていました。

 基本的にはこの通りだと思います。

 私は、特に日本での経営にあたっては「農耕型企業風土づくり」の「定石」を踏まえた経営の必要性を主張(『これからの課長の仕事』および『これからの社長の仕事』)しています。それは、先生が整理された上記1~3の点を、まさに反映した経営手法です。

 わくわく元気に仕事が出来る環境を整え、社員のやる気を高める、チームの中で他の人を助け合う関係性から組織を活性化することを、経営上非常に重要視しています。何故ならば、日本人が古来より得意とする要素を経営の中に取り込む方が、企業の業績には良い効果をもたらすと考えるからです。

 人間集団の営みは、その土地や国の風土、慣習、宗教、思想などを上手く反映して初めて円滑に行われます。特定の目的の実現を目指す会社という経営体も、人間を抜きにしては成り立ちません。だとすると、そこに参集する人間の育った風土、宗教、ものの考え方などの背景を反映させた経営方法が集団の摩擦が一番少なく、理にかなっていると考えるのも、ごく自然です。

 仮に、経営体の日常の運営が日本人を中心に組成されているとしたら、私の主張する「フォーミュラ」にのっとり、「定石」を踏み、良いチームワークの中で社員のモチベーションを高めることを通じて個人の成長を促し、結果として会社の中・長期的成長を実現する経営が今求められていると、私は強く主張しています。

海外で展開する場合には、「農耕型企業風土づくり」を通じた具体的マネジメント方法を現地の環境、宗教、思想などに合致させる修正を加えれば済むだけで、経営モデル全体の「フォーミュラ」や「定石」は不変なものです。構成員たる社員を中心に置き、その土地や国に合致した方法で、彼らのやる気をどう出すかに最大限留意した「人間臭い経営」のやり方が、海外でも受け入れられると考えます。

 

 

 

経営者の姿勢

Posted on 2014-03-20

 このことについて質問されることが、最近多くなりました。ベンチャー経営者や起業家に話す時、強調していることがあります。

 

人間のモチベーション

 極端に言えば、経営の合理化などは機械で出来ない部分が多いことを、私は経営を再建した時に感じました。機械化よりも、どうしたら人間が意欲的にモチベーションを高めて仕事をしてもらえるかを考えることが出発点、しかも、この方が遥かに経営上上手くいくことを体験しました。すなわち、人間を、社員をどう観るかに関係してくることです。

 

何のために働きにきているか

 現実問題として、働きに来ている人々は、それぞれ自分の生活をエンジョイする手段を求めて、その会社に来ている。この意識を経営者が外さないことです。企業や経営者のエゴのために社員が犠牲になってはならないという当たり前のことを、経営が実践しなければならないことです。社員には、生活を支える賃金と、仕事に最大限注力しているというプライドがあることを忘れてはいけません。しかも、単に、意識を言葉にするのみでなく、経営層による実践です。実践を伴わない言葉は百万遍発しても、社員に対しては無駄です。彼らは言葉では生活していないからです。彼らは、実践を通じた信頼、信用を基に仕事をしています。

 

信用、信頼

 このような実践を通じた信頼感を醸成していくのが、経営が上手くいく近道だと、最近指導しています。

 本田宗一郎氏が、「人生はカネと信用の天秤だ。」と言われたことが、何かの本に書いてあったことを思い出します。カネが欲しいと天秤の重りをカネの方に仕向けるのは可能。しかし、そうするとカネは増えますが、信用がガタ落ちになる。カネが欲しければ、むしろ信用を先にとる方が良いとの主旨の記載だったと記憶しています。さらに、両方を高めるには、天秤の支点をあげる。良く勉強して力を蓄えるしか方法がない、と。

 私の体験では、勉強は本からはもちろん、実際に見たり、聞いたり、トライしたりすることから生まれる知恵こそが決め手だと、思います。しかも、知恵は本気で考える時にしか、これが生まれません。

 この意味で、自分をどう磨くかが今の経営層に問われています。

 

 

経営者の「心の置き方」(2)

Posted on 2013-12-26

経営者の「心の置き方」に関する前回の続きです。

 

第三に、「まず形から」入る

 私は経営者として、契約社員も含めて数万人の社員をかかえていました。いろいろな努力をしましたが、その社員個々人の心のうちまでは読めないことが多かったのが事実です。会社の経営理念の下に事業目標の実現を目指して皆が行動を起こしてくれることを、最後は祈るような気持ちになったこともあります。しかし、祈りや願望だけでは解決しません。

 いろいろ考えて、ある時からこの願望をリアルに近づけるには経営体の仕組や仕掛けという形を整えることから始めました。社員が自由闊達に仕事ができる環境づくりの仕組みと仕掛けです。例えば、文字という形にした経営理念なら、これも1000回も唱えているうちに、おのずと自分の心に響くレベルに理解度が増してくることがわかりました。

 併せて、経営者としての自分自身も外形を整える努力をしました。禅僧も外からの見え方を重視し分刻みの修業を行っていると聞きます。胸の内の悲しみや苦しみがあっても外形としては笑顔で対応する努力をしました。

 特に、経営者という立場があります。悩んでいる顔を社員の前で出していたのでは、結果は良いはずがありません。「まず形から」入り、苦しみも何もなかった顔をして社員に悟られず、さりげなく日々の経営判断を続けていく「心の置き方」をするように努力をしていました。この部分だけをとれば経営は割に合わない仕事かもしれません。

 

第四に、「忙中閑ありのギアチェンジ」をする

 私の経営を振り返ってみるに、極端に忙しく悩んでいた時に頭で考えた結論に、正しいものは少なかったように思います。どうも迷いのうちの結論は、どんな結論が出ても間違いが多いように思われます。そこでこのリスクを回避するために、ある時から同じ仕事を長く続けないよう、脳の違う部分を使うように仕向けることに努力をしました。「忙中閑ありのギアチェンジ」です。

 身を忙しくしていると、仕事をしているように一見見えますが、必ずしもそうではないように思います。発想にキレが無く生産性も落ちていきます。そこで忙しい中にも必ず「遊びを加える工夫をしていました。この方が脳の思考の自由度の幅も増すのではないでしょうか。

 生産性は機械を使って合理化をすることだけではうまくいきません。要は、どうしたら人間に意欲的に働いてもらえるかを考えることが出発点ですが、この出発点を忘れないためにも、時にはギアチェンジして脳の自由度の幅を広げて置くことに留意してはどうでしょう。

 

第五に、最後は「自然の摂理」に従う

 私が主張する「農耕型企業風土」づくりの農耕作業の過程の絵図の中に台風などの災害の絵を入れております。土を耕し、種をまき、水をやり、肥料を与え、草を抜き、秋の収穫を待ちわびていても、突然台風や水害などに被災するかもしれません。せっかく収穫を待ちわびながら努力をしていたにもかかわらず、自然の行動までコントロールできず、災害で一瞬にしてすべてを失うことがあります。

 経営者として模範的な心の動きをしたとしても何が起きるか予測はできません。そのことを悲しんでも何かが生まれることは望めません。最後は、自然の摂理に従うしかありません。 それでも努力を惜しまない、これまた人生かなと思います。

 

経営者の「心の置き方」(1)

Posted on 2013-12-19

 人間いろいろな生き方があります。また、同じ人間でも人生のいろいろなステージで本人の生き方や心の置き方を変化させる人もいます。

 どの生き方が良い悪いというよりも、自分に適した生き方、特に「心の置き方」を探し求めていくのもこれまた人生、と最近考えています。蛇足ですが、私が関係している「ジョン万次郎から学ぶ会」の諸先輩理事の方々の生き方を垣間見るに、今も私自身「心の置き方」を学んでいる身です。

 私がある会社の社長という仕事に没頭していた頃の私自身の「心の置き方」について、『これからの課長の仕事』(ネットスクール出版)の中で数年前一部披瀝したことがありますが、今回は、少し視点を変えて経営者としての「心の置き方」について述べてみます。

 

第一に、「目標実現にむけて仕事をする」心掛けを持つ

 戦略をベースに事業目標や毎年度の計画を立ててもこれが必ずしも順調にいくとは限りません。私も約20年間の経営を通じてこのことを嫌というほど体験しました。

 こういう場合、経営者の心の置き方がおかしくなってきます。どうしても他人を責めたり、感情的になります。感情が優先してしまい自分の感情やその時の気分を基準にして行動しやすく、結果として、施策の軸がブレはじめて会社という組織の方向性が全く不安定になり、社員も顧客も誰も幸せになりにくい環境が生まれてくるのです。私はこれを回避するために、できる限りその時の気分にとらわれない配慮をしました。

 事業目標に向かって今やるべき仕事にどう取り組むかを最優先する「心の置き方」を持つ努力をしてきました。すなわち、事業目標の実現が遅れてしまうことがないよう、その時の気分や感情に害されず物事に対処できることに注力して、そのエネルギーを明日の糧にするよう心掛けました。こういう時こそ天秤の両側、感情と理性のうち理性の側に沢山の分銅を置く努力をしたのです。

 

第二に、「心の自由度」の幅を拡げる

 事業の進展がはかばかしくなく、顧客とのトラブルなどが連発すると、そのことのみを考えて呪縛の落とし穴に落ちるリスクを秘めています。私自身そこから出られなくなったことがありました。

 ある時期から、そうならないためにも心を開いた発想が必要とされることに気づきました。何か一つに心を固執しないで自由自在に変転できる心掛けに努力することです。逆に、手前味噌ですが、この心掛けをすることで全体の景色が良く見え、何か重大なことが発生しても逆に精神が統一し易いので適正な判断が出来た記憶を持ちます。

 いつか読んだ宮本武蔵の『五輪書』でも敵に対峙した時、どこか一点に注意や目線を集中せず、相手の総体に万遍なく注意を払い、全体として穏やかな状態を作る工夫をすることについて述べられていたことを記憶しています。

 このレベルまでは全くいきませんが、心構えとして「心の自由度」の幅の広さが経営者として必要だと考えています。このため経営者になるには禅の作法など自分に適した方法で「心の置き方」の鍛錬が必要になるかもしれません。