折々の言葉 / 関係性
「運が悪い人」を採用していませんか?
なぜ、運が悪いのか?
以前、雑誌「プレジデント」の今井道子副編集長と話す機会がありました。その際、私が嶋口充輝先生(慶応義塾大学名誉教授、公益法人日本マーケティング協会理事長)から聞いた、原因と結果をつなぐ「因縁」についてお話したところ、彼女からは藤井聡京都大学院工学研究科教授の、「解明!運がない人は、なぜ運がないのか」(雑誌「プレジデント」、2011.8.15号)の記事写しを頂きました。
この記事の中で藤井教授は「『姑息なヤツ』は潜在意識の配慮範囲が狭い」と書かれています。そこに記載されている「認知的焦点化理論」によれば、運が悪い人は認知の焦点が他人より自分へ、社会の将来より現在へ向いて狭まっていくと読めます。逆に「運が良い人は、相手の利益を考え裏切ることもない。一緒にいると得なので誰もがその人と一緒にいたくなる」ので、真実の友人やビジネスパートナーができやすいようです。
採用面接時の一つの軸
私は、採用面接時に留意していたことがあります。面接に来られる人の中で、履歴書に倒産した会社ばかりが列記されている人には注意していました。人事部門にも、よほどの事がない限りこのような人を採用しないように指示していました。
倒産しそうな会社を選択する本人の判断力の悪さと同時に、本人がその会社にネガティブな運を運ぶ何等かの作用をしたのではないかと思うからです。いろいろな事情説明があっても、本人の認識の焦点がどんどん「自分」と「現在」に狭く固まっていき、周囲が一緒に仕事をしたくなくなる傾向のある人かもしれないと思うからです。
このような人には共通なパターンがみられ、不公平を受け入れることができない人のように思えます。
不公平は神が引き起こしたわけでもなく、ただ起きただけであると認識することが大事です。そもそも人間は公平でない世界に生きているので、やみくもに不公平の原因を論じ、事実を受け入れないその人の姿勢が気になるものです。
さらにそのような人の思考回路は、毎回ほぼ同じで変化しません。運の良い人は、自分の置かれた状況が運で左右されることを知っていて、環境の変化に対応して素早く作戦展開をしていますが、運の悪い人は何回も失敗しているにもかかわらず「自分はうまくやったのに・・・」と同じ作戦展開をしがちで、思考回路を変えようとしません。反省が見られないのです。
運の悪い人は「自分がこんなに一生懸命努力してきたのに・・・」と置かれた状況からなかなか逃げられず、損切りできません。自分がこれまで「投資」をしたので捨てられないのです。ここでいう「投資」とは、時間や金銭、あるいは、愛情や献身的努力かもしれませんが、不運を捨て去るには損が小さいうちに何かを捨てて諦めるべきなのです。
運命の人との出会い
誰でも一生のうちに数回、運命の人に出会います。それをいかにつかむかで以後の運が開けるか否かが決まります。移民としてアメリカのシンシナティーに来たProcter氏とGamble氏が運命的出会いをして石鹸売りとろうそく売りの商売を成功させ、その後P&Gの発展の礎を作ったことは有名です。
私にとっては、CSK(現SCSK)の創業者で、会長であった故大川功氏との出会いが「運命の人との出会い」といえる重要な出来事になりました。彼との出会い以降、私のビジネスマンとしての人生が成功裏に展開(詳細は「これからの課長の仕事」および「これからの社長の仕事」)したのです。
大きな仕事をするために
藤井教授の記事の通り、「運が悪い人」は、良い「因縁」をもたらさないようにも思います。本人の認識が自分に向かうので、その人の周囲に人が集まりにくい。他人を助けてチームで大きな仕事を成就し、皆でワイワイ騒ぎ喜ぶこともないのではないでしょうか。周囲の皆の将来を考えて何かの行動を起こす考えが少ないので、将来の絵姿を一緒に作り上げるチャンスにも恵まれない、というように、「因縁」の回転が何か変な所に引っ張られてしまっている感じがします。
私の主張する「農耕型企業風土」づくりで重視している「対話」、「湿り気のある関係」づくりなどは組織や集団に「良い運」を引きこむ一つの方法だと考えています。
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