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折々の言葉 / 遊び心

忘れがたい歌(1)

Posted on 2013-12-05

 この所ずっと経営に関することを書いてきましたが、ここらで「閑話休題」です。頭のスイッチを切り替えます。私の思い出の歌、曲のことについて書きます。

 2013年の夏頃、あるTV番組で日本の昭和から平成を歩んだ時代背景とその時に流行った歌を比較して、歌のメッセージ性を説明していました。言われてみれば、聞く歌の中に「なるほど」と思えるメッセージが多く見受けられました。

 私は安保闘争から全共闘時代に青春を謳歌してきた人間です。ある意味で「闘う」時代を生きた人間です。したがって、「神田川」など1970年代のフォークソングを今聴いてみると、音楽に何となく「闘う」という姿勢が失せており、個人的には少し残念に思う反面、こじんまりした安らぎを求める優しい内容に安らぎを覚え、時代変遷がもたらした変化をまざまざと感じます。

 1995年頃、その少し前に流行った中島みゆきの「時代」の「まわるまわるよ時代はまわる・・」の歌をバックミュージックに加えて、自分が経営を任されていた会社の歴史を編集制作した社内限定版DVDを持っていますが、この頃も既にがむしゃらに「闘う」時代から明らかに安らぎの時代に変わってきたことがDVDに鮮明に表現されています。

 人間でもそうですが、国も会社もある種の時代背景の中で生かされ、成長から成熟段階に向かっていることを、このような歌が間接的に表しているのではないかと思います。

 

「カスバの女」

 歌のことで言えば、思い出深いものが沢山あります。その中でも自分にとって忘れがたいものをいくつか挙げます。

 1983年ごろだったと思います。アメリカのテキサス州、確かサン・アントニオのある酒場です。何かの仕事でそこに行ったはずですが、その背景は覚えていません。

 酒場というかレストランの奥にピアノが一台あり、そこでピアノを弾いている男性がいるのを垣間見ました。このレストランに入った時にはこの男性の存在を全く気に留めていませんでした。自分自身何か考え事をしており、いろいろな曲が弾かれたはずですが、それらも覚えていません。

 ところが、ある曲が弾かれた時、「え?何故、このアメリカでこの曲が?」と不思議を通り越して頭の中が真っ白になってしまい、その曲のことしか記憶していません。流れてきた曲は「カスバの女」です。レストランの中にいた多数のアメリカ人には何も関係がない歌だと思います。でも、私は「アメリカでこの曲を聴くとは?」と感銘というか何故かキツネに騙された感じがして、食事を止めてこの曲に聞き入りました。

 帰り際にはさらに驚くことがありました。よく見ると東洋人と思われる人がピアニストだったので、お礼のチップを差し上げようと話しかけたところ、なんとそのピアニストが作曲者本人であることが判明したのです。お名前は忘れました。「自分の曲で売れたのはこの一曲です。生活のために今アメリカでこのような仕事をしています。」という主旨の話を聞くに及んで、心の中で涙が止まりませんでした。

 私も日本人として、外国人に負けずに「頑張らなくては」と妙に日本人魂が奮い立ったことを記憶しています。

 

「真珠採りのタンゴ」

 もう一つは、「真珠採りのタンゴ」です。

 1977年頃、フィリピンに仕事の関係で出張していた時のことです。本島、マニラのアラヤ地区からミンダナオ島のインドネシアに近いカガヤンデオロというジャングルの中の小さな町にもよく出向きました。

 ある時契約交渉をマニラで行うため、ミンダナオのこの辺鄙な場所からマニラに戻り、ホテルの大きなロビーの横のレストランで、一人で食事をとっていると、男女の一群がロビーフロアーで優雅にタンゴを踊り始めました。特に、「真珠採りのタンゴ」の曲に合わせて踊る美しい姿は印象的でした。

 ところが、少し時間が経ってから、突然周囲がざわつき始め、曲とダンスが終了してしまいました。 「スペインのフランコ総統が先ほど逝去された」と知るまでにしばらく時間がかかりました。時代は流れているとはいえ、かつての占領国の総統です。かつて自国を占領した国家の総統が亡くなった時の、現地の方々の思いは複雑だったはずです。

 私にとっても、この曲を聴くと、かならずフランコ総統の逝去と、第二次世界大戦の残滓が消えうせた事実を鮮明に思い出す珍しい曲です。

 

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