人材育成 / 折々の言葉
日本人の精神性(2)
前回に引き続き、日本人の精神性を示すと思われる例示をします。
「無用の用」的なもので集団を維持する心
私の友人の竹村聡一郎君(株式会社コヨーテ)のコラムで、昔九州の炭鉱で働く人の中に通称「スカブラ」と呼ばれる人がいたということを読みました。
「仕事を好かんで、ブラブラ」が語源という説もあるようです。要は笑わせる役です。重労働に耐えながら働く炭鉱夫の集団に冗談など言いながらその場の雰囲気を作っていた人の話です。
効率化のためにこの人をその集団から外したところ、そのグループの生産性がガクッと落ちた旨の報告もコラムの中に記載されていました。
これを読んで私は「さもありなん」と、これまでの自分の主張の正当性にほくそ笑みました。日本人の集団の精神性が表れている事例と考えます。集団としての雰囲気とチーム力を大事にするための「無用の用」です。
私も経営経験で同様なことに遭遇しました。経済合理性をとことん推し進めた結果、以前より生産性が落ちる結果になったことがありました。
サービスを提供する集団においては、経済合理性以外の人間の心の部分への配慮が不可欠でした。人のモラールが重要なのです。
私は、このために、ルーチンの仕事の仕方に多少問題を持っていたとしても、場全体の雰囲気をいっぺんに変える能力のある人をチームの中に入れることで、どれだけチーム全体の生産性が上がったことか。この人の人件費を賄って余りある改善をみることができました。
東洋的死生観
「東洋的には、死生といい栄枯といわれまするが、ただ一つ気が消えたのが死であり枯であり、一つの気が満ちたのが生である。」(佐藤一斎、「言志四録」)
「生も一時のくらいなり。死も一時のくらいなり。たとえば冬と春のごとし。冬の春となると、おもわず、春の冬となるともいわぬなり」(正法眼蔵)
日本人の精神性とも関係があります。人生の生死のサイクルや死生観を言っています。
「散る桜 残る桜も 散る桜」(良寛?)
「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」(「はちすの露」、貞心尼)
などそれぞれの辞世の句と言われています。日本人の精神性を表した秀逸作品です。私もこの気持ちが少し分かる年代になりました。
青年団と掟、集団の知恵と独り立ち
忍耐と鍛錬を修練する「場」があったことを司馬遼太郎氏は、江戸後期に北海道交易で活躍した高田屋嘉兵衛を主人公にした「菜の花の沖」の中で淡路島の「若衆宿」のことを書いています。
縦社会で上の人の指示に従う村の共同体で、村のおきてを破る者は内部告発されます。その指示をどう実行したらよいかを自ら考える共同体です。
もちろん、今話題になっている「しごき」的部分があったことは否めず、「若衆宿」に100%賛成するわけにはいきませんが、結果として、成人として徹底して「独り立ち」するための指導をする部分は賛成です
司馬氏は、「街道をゆく」を書くために訪れた地域では必ず「若衆宿」を確認していたとどなたかが言っていたくらい、一人の独立性に関心を持っていたかもしれません。
日本人の安定志向
安定を望むのが日本人です。村の共同体の維持を優先します。元来ケンカを好みません。皆がまるく収まることが一番と考える国民性です。
この流れからすると、成果が残せないと収入が減る成果主義は元来日本人には向かない制度だと考えます。権限と責任をあたえ、自分で解決する能力、村を発展させる思考を身に着けなければなりません。
このことは、私が常日頃主張する「考える」ことに通じます。「常に考える」ことです。
脳の構造が違う
ある本でロンドンのタクシーの運転手は海馬が大きいと読みました。海馬が大きいと地理空間の案内を覚えるのが得意のようです。このことは人間の脳は人種によって違いがあることを意味する例です。
人の意思決定は95%位無意識に行われています。脳で決定した後0.5秒後には実践しています。山道でヘビに出会うと皆驚いて飛びます。無意識の判断の結果です。その後、「ああ怖かった」と。
脳の認知活動は感覚器官から脳に伝達された情報処理のボトムアップ処理と脳内に記憶された情報に基づくボトムダウン処理の二つにより行われますが、これも無意識に行われます。
驚くことのは、人種により「脳が違う」ということです。このことが最近知見されたようです。日本人は平均的に不安傾向が強く、また、包括的に全体を捉える傾向が強いようです。不安傾向は、セロトニン受容体を保有する人が多いからのようです。
セロトニン物質は最近健康商品で有名になりましたが、不安を制御する物質と関係あるとのことです。また、全体像把握との関係で言えば、金魚を入れた金魚鉢を観察する実験を行うと、日本人は全体像を印象強く把握するのに、アメリカ人は、金魚の個別の特徴に興味を覚えるようです。
日本人のマンガ好きとも関係があるのでしょうか?感性を重要視します。論理は後付けにするクセがあります。先ず全体のイメージを描き、その後にそのイメージを正当化する論理を仕立てあげる特性の一つでしょうか。興味ある部分です。
脳の構造を知ると、アンケートの主観的、言語的な一般的内観調査は限界で、人の思考を予測できる脳計測との組み合わせを考えるとさらに効果が増します。例えば、何かの商品で顧客に対して「好きですか、Aですか?、Bですか?」と聞き、回答者の脳の反応の強弱を観る調査機器があれば顧客接点はもっと緊密になるかもしれません。
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