折々の言葉 / 語り継ぐ経営
第239回 集中力 vs.「心のさ迷い散歩」
特定のことのみに考えをめぐらす
人間、一つのことに集中するのは大変です。経営上もたくさんの事案を判断しなければならない。この場合私は、諸事案の中で、重要度が高く、緊急性が高いものを選択して集中して判断する努力をしています。しかもできるだけ一つの事項に一定時間神経を傾注して、「何か特定のことのみを考える」努力をしています。
この方法を経営の場で実践して、部屋に誰か入ってきてもほとんど気にしないときもあったほどでした。
何も考えない—心のさ迷い散歩状態の発生
それでは上記と違い、「何も考えていない」時とはどういう状態でしょうか。
集中していない時です。集中していないので、心はあちらこちらに「さ迷い散歩している」と、私は思います。
心が楽しいことに配慮して散歩している状態なら良いのですが、「あれをどうしよう、これが上手くいかなかったらどうしよう」などと、思案事や心配事に心が行っていることが多いのではないでしょうか。自分の経験でもそうです。明らかに「心がさ迷っている状態」です。
これでは経営者ならずとも誰でも正常な判断はできない。
そこでどうするか。
マインドがフルの状態
よくマインドフルネスで集中できると言われます。人によって見解は違うと思いますが、私は、マインドフルネスを「Mind(心)」が「Full(満たされている)になる」ことに分解して考えています。
どうやったら心が満たされる状態にできるか。自分の体験からすると、心が満たされると集中するには好都合だと考えます。
しかし心が満たされることですぐ集中できるというより、「『心のさ迷い散歩状態』を回避して、心の安寧状態が保て、その結果、一つのことに集中しやすくなる」というのが、「マインドフルネスで集中できる」ことの私の解釈です。瞑想も一つの方法です。
すなわち、よく瞑想すると集中力が増すと言われますが、二つは直結するのでなく、心の状態を介して集中しやすくなる、という具合に考えるのが妥当だと私は思います。
そもそも瞑想は集中のためにするのでなく、心の中の雑念を払い、心を平穏な状態に保つためだからです。
瞑想による方法
瞑想する時、私が最も大事にしているのは呼吸法です。自分の意識を呼吸の流れに置く、頭から体を通して足の指先から呼吸が逃げる感じをもってやります。
最初は不自然さが残りますが、自然に身体全体に「気の流れ」を感じるようになります。そうすると、脳を通じて身体もある種の影響を受け身体の暖かさを感じる。心も何か特別な事象を全く意識しなくなる。隣が建築現場でくい打ち作業をやっていても、音は聞こえるが、まったく雑音として入らない状態になります。
脳の特定部位の反応
業績が低迷すると、経営者のストレスは尋常ではありません。
ストレスにさらされると、脳内の扁桃体が活性化されストレスホルモンが発生します。その結果、血圧上昇や急に怒り出すなど、過剰な反応を示すようになる。当然、判断力が低下し、仮に判断をしても過激になりやすい。
ところが、瞑想による方法で、この扁桃体が縮小する効果があるとのことです。
こうなると、怒りや過剰な反応に身を任せることが緩和できることになります。具体的には心が平穏な状態を保て、集中力の妨げが一部回避されてくる。
持続の努力
問題は、その状態をどれくらい持続できるかです。瞑想方法を実施していない場合よりは、実施し続けたほうが、その状態をたぶん長く維持できるのではないかと、私は思います。スティーブ・ジョブスも瞑想を実施していたといわれていますが、いずれにしろ持続する努力が必要です。
毎日、情報過多で注意力が奪われています。時間は有限で、そのうちの大半がデジタル機器に奪われ、Face to Faceで人間に接する時間が犠牲になってしまっている人が多いのではないでしょうか。デジタル機器の利用により、そこの情報に注意力が注がざるをえないとなると、その時間が多くなればなるほど、現代人は注意力の貧困を招く結果になってしまう運命にあります。
この状況を少しでも改善し、物事に集中するために「心のさ迷い散歩」状態を改善する自らの努力方法が決め手です。
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