折々の言葉 / 語り継ぐ経営
第211回 今、リーダーに求められている経営の視座(6)
前回からの続きです。
「幸せ」の概念
私は、「これからの社長の仕事」(ネットスクール出版)の中で「農耕型企業風土」づくりを通じて会社を中・長期的成長と発展を実現できる「フォーミュラ」を説いていることを、この「今、リーダーに求められている経営の視座」の数回前に書きました。
この「フォーミュラ」の特色は、社員を幸せにすることで会社の成長につなげることを骨子としているもので、会社の成長が社員を幸せにすることではないことを逆説的に強調したものです。
これを国レベルで例えると、国の経済力がその国民の幸せレベルに必ずしも比例していないことでも分かる通り、国民の幸せ度はGDPなどの数字では測れません。
現在もこの考えが踏襲されているかは未確認ですが、1976年にブータンの国民総幸福(Gross National Happiness)という概念(詳細省略)が紹介されたのも一つの試みです。
日本的幸せ観
幸福度の国により考え方の差があるかは後述しますが、ここで一番言及したいのは日本人ならではの「しあわせ」観です。幸せの感じ方が日本での経営に大きく影響する考えているからです。
たまたま読んだ玄侑宗久氏の『しあわせる力―禅的幸福論』に面白いことが書いてありましたので、参考のために要約紹介します。
語源
「しあわせ」という言葉は和語で、室町時代には、人と人との関係がうまくいくことを「仕合わせ」と呼んだと言います。詳細な説明は省きますが、すなわち、日本人が考えたしあわせは、常に相手がおり、西洋的な計量できるしあわせ観と違うというのです。
幸福の幸という文字、日本人はこの一字で「さいわい」と読んでいます。「さいわい」は、「さきわう」という言葉が変化したもので、さきわうは賑やかにいろいろな花が咲いている状態のことだから一人では無理だと玄侑氏は言います。
要するに人間関係、人と人との間で「しあわせ」が決まると日本人は考えたと、玄侑氏はいいます。人間関係がしあわせをもたらすものだということです。
玄侑氏によれば、「日本人がしあわせを感じるのは、思わぬことが起きて、その中で揺らぎながら何とかやりくりしつつそれを楽しんでいるような状況」ということになりますが、すべてロジックで片ずけ因果律で考え、確実な近未来を想定しようとする現代社会の発想とは違います。その発想では、予定外のことが受け止められなくなり、そのため、しあわせは、起りえないと彼は説いています。
私もそう思います。
障子で覆われた三畳の小さな茶室に寝そべり、障子に映る外の四季の移ろいを楽しむ。光も音も遮断しないのに、幽かな心豊かな瞬間を楽しむ。この自然との相対の中で変化を楽しむ国民性が日本人には本来あるはずです。
物事は相対的です。関係性を重視し、これに上手く対応することが日本人の幸せ感の根底にあると、私も思います。
行き過ぎた個性の主張が妥当か
これに対して最近気になるのが個性という言葉だと、玄侑氏は論じています。
自己の輪郭を明確にすることを迫られ、明確にすればするほど説明できない事柄が増えています。
自己の輪郭を明確にするには自己言及をすることになりますが、これにはきりがない。ちょうど自分のしっぽを咥えて食べる蛇のようなもので食べれば食べるほど苦しくなります。本来自己というものは関係性の中に成立し、関係は絶えず変わり続けるものと日本人は考えていたと、」玄侑氏は述べています。
弱い人間が生き残ってこられたのは、集団で暮らしていたからで、こういった集団を作れる力が「しあわせる力」といえる。ところが、現在われわれは人の世話にならないシステムつくりをどんどんすすめてきています。「核家族」、「一人住まい」してその結果、人間の本質的な力がどんどん衰え、コミュニケーション力も弱まったのではないでしょうか。
皆で仲良く
七福神という集団がしあわせをつくることも紹介されています。七人の幸せを運ぶ人です。昔自宅の神棚の横に七福神が飾ってあったのを記憶しています。
七福神をめぐって歩く習慣は、江戸時代に江戸で始まったようです。七福神そのものは、室町時代末期ごろ、京都の臨済宗のお坊さんが考えだしたと言われています。
なぜ七福神を作ったのかです。
八百万のイメージなのだそうです。インドからの毘沙門天、大黒天、弁財天、中国から福禄寿、寿老人、布袋さん、あと一人日本から恵比寿さん、合計7人です。
八百万のどの一つにも正義を求めないという日本人の感性が凝縮して示されている。正統も異端もなく横並びにごちゃまぜであることがしあわせなのだ。全員一致などありえないと、玄侑氏の本に紹介されています。
日本人の幸せ感、素晴らしい意見だと思います。
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