折々の言葉 / 政治と国民
第176回 多極化時代の世界とアメリカの現状から学ぶこと(6)
前回からの続きです。
地方の疲弊と街づくりのコンセプト欠如
人口が減った上、首都や一部の大都市に経済活動が一極集中する弊害に対して、現政権でも大きなかじ取りをしているようには見えないのが残念です。過去には、人、物、金、知恵が三大都市に集中していたメリットも沢山ありました。しかし、今はどうでしょう。国家の戦略自体が分散型に変わったはずなのに、実体は、「なるようになる」的にしかなっていないと映ります。
特に、地方が悲惨です。
地方で得意なはずの農業、漁業、林業を含む経済活動が、活性化しているとは、とても思えません。私の出身地の出雲の田舎でもペンペン草が生い茂り、前の湖の景色全体も雑木が生い茂って何とも殺風景な景観になりました。これまで耕作されていた湖付近の田んぼも休耕となり、葦が繁茂して湖が見えなくなっている状態です。
景色を懐かしく思っても意味が薄いのですが、仮に観光などで栄える街にしようとの発想があるなら、行政としてのやり方、予算の配分などで一考するところが多いのではないかと思います。
村が町になり、市に統合されても何も変わらないのは何故でしょう。
それではまずいと、一部の中都市では、少ない人口を特定の地域に集約化して、住民の機能を集中する議論がなされています。この集約化で数十万の人口を集積させ、コンセプトを明確にした都市をつくるのも一つの方法です。例えば、観光、ハイテク、林業と材木加工、漁業と加工生産など特色あるコンセプトに衣替えし、特色ある街にするのも地方の活性化につながるのではないかと考えます。
その衣替えを実施する場合、競争原理を導入していく必要を感じます。地方のサービスの生産性は、アメリカの地方のそれに完全に負けています。
ローカルの疲弊の原因は、不完全競争が一般的なので、問題点があからさまに出にくい環境があるのも一因です。これでは、なかなか雇用の淘汰や移動が起きにくく、サービス生産性は落ちます。結果、地方の企業が共倒れ状態になります。
この労働移動を促進するには、地方では金融機関がカギだと考えます。自治体との協力の下、経済性を前面に出し、淘汰した企業の雇用を吸収出来る新しい産業を起こすコンセプトを実行に移すため、地方では金融機関が大きな役割を果たせるのではないでしょうか。
所得格差の萌芽
日本にもアメリカ流の考え方がビジネスの世界でいろいろ導入されてきています。もちろん良いものも沢山あります。しかし、考えさせられることも沢山あります。
一つは、経営者の報酬です。ある有名なメーカーでは外国人を社長に据え付け、多額の報酬を約束しました。その金額は、普通のビジネスマンの年収の100倍ほどです。
この金額が妥当か否かにはいろいろ議論があります。しかし、どんなに優秀な経営者でも、一生懸命に仕事をする社員100人分の働きをするのでしょうか。経営の仕事と普通の仕事は違うと主張しますが、私の経営体験では、その差額が妥当なほどのリーダーシップがどんなものかについては大いに疑問を感じる次第です。この報酬体系が、今後所得格差を大きくする原因の一つです。
もう一つは、金融業に従事する人の給与です。
現時点の日本では、アメリカほど金融がビジネス界を凌駕していないのが幸いです。金融界で仕事をする人々で異常に高額な給与を得ているビジネスマンは、外資系などの一握りの人びとです。成功報酬、しかも、短期的な成功報酬のスキームで高額な報酬を得る人々で、今の日本では限定的なのが幸いです。
今のうちにカネが全ての社会にならないよう、ある種の歯止めが必要です。これ以上、この傾向を強くしないように、株主のみならず国民による監視責任があると考えます。
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