折々の言葉 / 経営
経営者の「心の置き方」(2)
経営者の「心の置き方」に関する前回の続きです。
第三に、「まず形から」入る
私は経営者として、契約社員も含めて数万人の社員をかかえていました。いろいろな努力をしましたが、その社員個々人の心のうちまでは読めないことが多かったのが事実です。会社の経営理念の下に事業目標の実現を目指して皆が行動を起こしてくれることを、最後は祈るような気持ちになったこともあります。しかし、祈りや願望だけでは解決しません。
いろいろ考えて、ある時からこの願望をリアルに近づけるには経営体の仕組や仕掛けという形を整えることから始めました。社員が自由闊達に仕事ができる環境づくりの仕組みと仕掛けです。例えば、文字という形にした経営理念なら、これも1000回も唱えているうちに、おのずと自分の心に響くレベルに理解度が増してくることがわかりました。
併せて、経営者としての自分自身も外形を整える努力をしました。禅僧も外からの見え方を重視し分刻みの修業を行っていると聞きます。胸の内の悲しみや苦しみがあっても外形としては笑顔で対応する努力をしました。
特に、経営者という立場があります。悩んでいる顔を社員の前で出していたのでは、結果は良いはずがありません。「まず形から」入り、苦しみも何もなかった顔をして社員に悟られず、さりげなく日々の経営判断を続けていく「心の置き方」をするように努力をしていました。この部分だけをとれば経営は割に合わない仕事かもしれません。
第四に、「忙中閑ありのギアチェンジ」をする
私の経営を振り返ってみるに、極端に忙しく悩んでいた時に頭で考えた結論に、正しいものは少なかったように思います。どうも迷いのうちの結論は、どんな結論が出ても間違いが多いように思われます。そこでこのリスクを回避するために、ある時から同じ仕事を長く続けないよう、脳の違う部分を使うように仕向けることに努力をしました。「忙中閑ありのギアチェンジ」です。
身を忙しくしていると、仕事をしているように一見見えますが、必ずしもそうではないように思います。発想にキレが無く生産性も落ちていきます。そこで忙しい中にも必ず「遊び」を加える工夫をしていました。この方が脳の思考の自由度の幅も増すのではないでしょうか。
生産性は機械を使って合理化をすることだけではうまくいきません。要は、どうしたら人間に意欲的に働いてもらえるかを考えることが出発点ですが、この出発点を忘れないためにも、時にはギアチェンジして脳の自由度の幅を広げて置くことに留意してはどうでしょう。
第五に、最後は「自然の摂理」に従う
私が主張する「農耕型企業風土」づくりの農耕作業の過程の絵図の中に台風などの災害の絵を入れております。土を耕し、種をまき、水をやり、肥料を与え、草を抜き、秋の収穫を待ちわびていても、突然台風や水害などに被災するかもしれません。せっかく収穫を待ちわびながら努力をしていたにもかかわらず、自然の行動までコントロールできず、災害で一瞬にしてすべてを失うことがあります。
経営者として模範的な心の動きをしたとしても何が起きるか予測はできません。そのことを悲しんでも何かが生まれることは望めません。最後は、自然の摂理に従うしかありません。 それでも努力を惜しまない、これまた人生かなと思います。
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